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第10話

 中野は疲れた顔をして、ぼんやりと台所のテーブルに片手で頬杖をしていた。彼がいま、なにを考えているのかというと、友定のことである。  どうして急に友定の前に父親が現れたのかを考えていた。つい最近のことはわかる。なぜみんなのいるところで現れる、と中野は考えていた。  現れるのには条件が必要になる。なにかに影響、影響とつぶやいた中野は目の前が開けたような気がした。 「もしかしたら」 「友定さんに現れたのは、父親じゃなく、異界の住人」  最近異界の住人が迷い込んできた話。そうして、異界からの関わりがあるのは中野と山代である。  考えをまとめようとしている中野に、山代は平然と食事を出す。皿うどんを中野の前に出す。皿うどんに中野は目を白黒させていた。 「考える前に腹ごしらえをしてからかだ」  中野の顔を山代はつかんだ。そのまま顔を近づけるので、手のひらで受け止めた。 「なにを考えているんだよ。この発情期」 「発情期ではない。愛を確かめている」 「おまえな。平然とそんな歯が浮くようなせりふを」 「歯は浮かない」 「例えだ」 「まあ、いい。友定のことを考えるのではなく、俺のことを考えろ」  いきなり山代が真面目な顔をしていう。彼の目は黒く染まり、黒目が大きく見えてくる。そうしてそれは物を思わない人形のように見えてくる。  顔が整っている分、余計に人形のようで、中野には不気味に見えた。 「おまえが望めば、友定を悩ます奴を喰ってやろうか」 「やめろ。もしかしたら本当に父親かもしれない。それに」  友定が本当に怖がっていたならば、現れない。なにか知らせたいことがあるのだろうか。それとも鏡の世界に一生閉じ込めたいのか。中野はそこまで考えて肌に鳥肌を立たせた。 「なんで、異界の住人はここにいると正気をなくすんだろう」 「それは安定しないからさ。異界の住人にとって、ここはでたらめだ」  じっと中野は山代を見つめていた。彼の人形めいた顔は、ゆっくりとはがれるように、彼本来の顔なのか、うっすらと皮肉めいた口振りで片側だけ笑いを作っている。しかし、もう反対側はなぜか冷めた目をしていた。 「コントロールが難しいのか」 「いや、契約をすれば、簡単だ。だから、俺達は人間を探す」 「まさか、友定に契約させるつもりか」  おっと、と山代は楽しそうに笑った。明らかに中野の反応を楽しんでいる。中野を困惑させたいのか、それともなにか伝えたいのか。中野にはわからなかった。 「どうして鏡の中に閉じ込められているんだ」 「それはあべこべだからさ」  これで合っているのだろうか、中野には確信が持てず、また悩みはじめていた。そんな中野を楽しげに山代は見つめていた。  山代は中野をからかったのか、わからないが悩ましい問題は中野が解決できるわけではないとわかっている。  三田に相談したいというときになかなか家に帰らず、現れたのは大家だった。 「おっ。ちゃんといるな。未成年組」  チャイムが鳴る。現れたのは半纏を着た男である。井桁模様の半纏に、パジャマ姿である。そうしてサンダル。ちぐはぐな格好である。 「勝手に出ないようにはしてあるけど、おまえ抜け出すなよ」  そう言われた中野はうなずいた。このアパート自体術士の集まりである。  術士が暮らすアパートだからこそ、大家も術士なのだ。迷惑なことも多少なりなら目をつぶってもらえる。 「中野は絶対安静だからな。山代、しっかり見張っていろよ」  そう言われ、中野は腹立たしさを覚えていた。まるで子供のような扱いに、まだ子供とわかっていても中野は反抗したくなる。そんな中野に気がついたのか、ニヤニヤと大家が笑う。 「そんなに怒るなよ」  彼は中野をからかうつもりであるのはわかっている。中野は「怒っていない」と言うのがせいぜいの虚勢だった。 「まあ、いいけど。無理するなよ。三田さんも心配していたし」  なぜここで三田が現れるのか中野にはわからなかった。保護者と言っても仕事が忙しくてめったに帰らない人間が心配しているだろうかと中野は考えていた。 「わからないけど、ありがとう」 「ん。素直が一番だ」 「ねえ、異界の住人って呼ばれることがあるの」 「さあ。大体が観光だろう。ちゃんとピザを取得しないからこうなるけど」  ジョークにも取れる言葉に、中野は笑わず、大家を見ながら「観光。じゃあ流されたらどうなる」と問いかける中野がいた。  冷たい風が玄関から入る。大家は険しい顔をした。 「おまえが心配することじゃないよ」  心配しているのか、俺は、中野はようやく気がついた。中野の頭をグリグリとなでている大家は「そんなことはめったに起きない」と言って立ち去った。 「わかったか」  山代がいきなり背後から中野に言った。中野はなにか考えていた。険しい顔をした中野に「メールだ」と中野のスマホを見せていた。  中野はスマホを見ると貝からだ。メールの内容は沢村先生のことばかりだった。中野はため息をつきたくなる。中野は鍵を閉めて、自分と山代の部屋に入る。布団を敷いて、暖房器具をつけない配慮だ。 「暖房くらいつければ」 「電気代がかかる」 「風邪引いたらもっとかかるぞ」  いきなり、声が聞こえた。中野はウワッと声を上げていた。  そこには人がいた。部屋の隅の影から、現れたのだ。 「蜉蝣(かげろう)ありがとう」  星野がいた。星野は革靴を脱いで、中野の顔をのぞく。 「山代を借りていいかな」 「えっ。メールでいいじゃないですか」 「緊急なんだ」 「だったら俺も行きます」 「危険だから」 「俺が中野を守る。それでいいだろう」  ったく、と星野が言った。星野は怒っているように見えた。スマホを取り出すと電話をかけるようだった。 「山代は捕まえましたが、中野が行くと、ええ、ええ。わかりました」  スマホを触っている星野は困惑した顔で「ついて行っていいって」と言った。大家に知らせに行くべきか、迷っていると「蜉蝣が知らせたみたい」と星野が言った。  大きな背の高い男がニヤリと笑っている。これが星野の契約した異界の住人だ。長いふわふわとした髪に黒いコートを着ている。一瞬不審者のように見える。しかし、顔の作りは整っているせいか、安心するものがあった。 「とりあえず、蜉蝣、連れて行くぞ」  スニーカーを履いてベランダに出た四人がいた。中野はスエットの上からコートを着ている。  そうして、気がつけば別のところにいた。  広い空間だった。なにかがいた。うずくまっている。そこに女がいた。なにかを書いていたようだ。それが終わったのか、手を叩く。女は顔を上げると「ありがとう。星野君」と言った。女はショートヘアーで、パンツスーツを着ていた。紺色で、会社員が着ているものと似ている。 「君は中野君ね。山代君を借りるわ。いいわね。じゃあ、行くわよ」  広い部屋に、なにかが書かれた文字がある。その文字は判読できないが、この世界ものではないとわかる。  山代は無言で文字、円を描くように書かれた文字の中心部分に立つ。山代はなにをするのかわかっているようだ。 「なにが起きるんだ」 「たいしたことではないよ」  星野はそうつぶやいていた。  女は呪文を唱えていく。それはなにを言っているのかわからない。この世の言語ではなく、まるで音楽に近いものである。  低い音から徐々に高いものになる。気がつけば歌を歌っているように聞こえる。  山代の周りに鬼火が一つ、また二つ、もう一つ、ゆっくりと増えていく。雷が鳴ったような音が響いた。 「なぜ、呼ぶ」  気がつけば、骸骨先生、骸骨を持った男が現れた。 「あなたを元の世界に帰します。いやなら、戦いになります」  女は刀を取り出した。抜いた刀の刃はなく、星野も同様だった。中野をかばうように立っている。 「懐かしい匂いに誘われて来たらこうなるとは。いいだろう。帰ろう。帰ろうとして邪魔されるんだ」 「ああ、それは」  いきなりなにか走ってきた。 「今日こそ、私と契約して」  女だ。若いが、なぜかガリガリにやせ細って、まな板のような体をしている。 「困りますよ。私、あなたとは契約しないと言ったはずです」  骸骨先生が言った。骸骨先生は興味がないのかやれやれと肩をすくめた。 「異界の住人がすべての願いを叶えるものではありません」 「私は、きれいになりたいの」  ああと中野は理解できた。骸骨先生を呼び出した。異界から無理やり呼び出したのはこの女だ。執着とも言わざる得ない願望が、ここまでの力を呼び出した。  鏡に閉じ込めたのは、言うこと、自分と契約するためだ。 「なんでこっちに手招いたの」  中野が問いかけると骸骨先生はつぶやいた。 「子供達と話がしたかったから、それだけだ」 「クラスメートの父親なの」 「……さあ」  知らないなとつぶやいたとき、女は骸骨先生に飛びかかった。女の細腕が骸骨先生の首に手を回す。はあはあと女が息を吐いていた。 「さあ、私の願いを聞きなさい」  骸骨先生の目は開いた。ドスっという音が聞こえた。女が後ろに弾き飛ばされた。 「いやだ。私が正気を保っているから。早く帰したまえ」 「そうしたいけど。まだまだやるべきことが残っているわよ」 「なぜ女はあなたを執着するの」  術士が言った。

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