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第12話

 山々が見える。なだらかに連なる、紅葉した山々が。どんよりとした雲が天に広がっていく。吐いた呼気が白く上る。  長雨にさらされ、濡れている葉に足元を滑らないように気をつけながら中野は学校に向かう。アスファルトだからか、つるつると滑っていた。坂道を降りるとき、足の筋肉を使う。ギュッと買ったばかりのスニーカーが鳴っている。  下り坂に中野の体重がスニーカーにかかる。そんな中野を尻目に山代はすいすいと降りていく。まるでなにもないように。中野を下から見ている山代はじっとしている。 「先に行けよ」 「だめだろう」  明らかに面白がっている山代がいることに中野は気がついていた。山間の村、小さな村で人より獣が多い村である。うねるように山が迫るようにそびえ、また見える。寒い日の朝は霧に包まれ、昼になるとようやく明ける。  今までいた土地と違い、図書館はあるが、使っている人は学生や老人ばかりだ。それも車に乗って隣の町、麓の町に行かないとない。あとは公民館があるだけ。 「おっ、中野か」  男のようにショートカットに髪を切った浦和がいう。浦和は女だが、活発な女子だ。 「おはよう。ちょっと手間取っている」 「ああ。なるほど。気をつけろよ。滑るから」  慣れた様子ですいすいと急勾配の坂道を降りていく。道の真ん中を。  あっと中野は虚を突かれたような気持ちになった。田舎だからめったに車は通らないから、道路の真ん中を歩いても構わないのだ。  バカだなと中野は自分のことを殴りたくなった。浦和は降りていく。そのあとを追うように中野は歩いた。  学校は車で来る生徒もいるが、中野と浦和は徒歩だ。一時間かかる。それを歩いていく。まだまだ道は長い。  学校についた頃には中野はヘトヘトである。授業の前に飲む砂糖入りの紅茶を入れて飲むくらいしかできない。  車で行けよと言われる。ある人物が、かした修行のためとは言えなかった。  道、また上り坂を歩いていく。中野は必死に登っていた。こんなことに意味があるのかないのか、中野にはわからなかった。ただ、やらなければいけないことは確かである。  汗が流れていた。  教室に中野は入った。体がだるいと訴えるようで全身熱い。中野はクラスメートに挨拶する。といっても五人くらいだ。背が高い山田、一番大人しい吉岡、そうして女子の浦和と女子の伊沢、最後に山代。 「おっ。間に合ったか」  山田が席についた中野に問いかけてくる。中野は水筒から紅茶を取り出す。一口ずつ飲んだ。山代も同様だ。 「おまえら、仲がいいわけじゃないよな」  山田は苦笑する。吉岡はちょっとだけ引きつった顔をした。 「山田。おまえなあ」 「いとこでも似ていないよな」  浦和の言葉に山代が答える。 「似ていない、いとこはたくさんいる」 「仲いいのか。いじめられていないか。中野に」 「山代君は大丈夫でしょ」  そうだなと浦和は納得する。中野は苦笑した。みな仲がいいことはよきことかなと言われるが、中野には暑苦しい。しかし、そう言わずにいるのは中野自身心地よいことを知っているからだ。 「中野は大丈夫」  山田がバンバンと背中を叩いていく。力は入っていない。 「山田、やめろよ」  中野は苦笑した。みな気さくな人間だとわかる。軽口を叩きながらもなんだかんだ、新参者の中野と山代に気を遣っているのだろう。教室は一年から三年までいる。  そんな山の生活を中野は嫌いになれなかった。スマホのネットはなかなか繋がらないなんてあるが、それを補うように人の関係が濃厚だ。 「おっ。中野。走ってきたか」 「違います」  担任の芹那がいう。芹那は男性で、英語を担当して、数学も。他にも教師がいるが、親しみやすい教師である。  中野の苦笑に「なんだ。ちょっと疲れただろう。そろそろ授業だから、あまり無理するな」と言われた。  中野は笑っていた。三田は一体なにをやっているんだろうか、中野は考えていた。 「中野は山代をコントロールできないんです」  三田はとある人物、渚という女に言っていた。渚は五十代くらいの女性だろうか。白髪まじりの髪を一つにまとめて、ジャージ姿で畑をいじっていた。 「まあ、わからないけどここで預かるよ」  中野は二人の様子を見ながら置いて行かれると気がついた。救いを求めるように中野は三田を見たが、三田は中野の頭をなでていた。 「迎えに行くから」  お願いしますと頭を下げた中野がいた。渚は「はい、はい」と言うだけだった。  そんな回想をして中野に突然英語で話しかけられた。目を白黒させている中野に英語のELTが笑いかける。外国人というより、日系人らしく、日に焼けた肌に健康的な笑いを浮かべれば、人好きしそうな顔をしている。  黒髪にえくぼをこぼして、キャサリンが笑う。  英語、ゆっくりした発音で、ぼーっとしちゃだめよと言う。 「だって、中野は自宅から一時間歩いているから。都会から来た人間にはつらいわ」と浦和が英語でいう。  キャサリンはびっくりした顔をした。 「そんなに歩いているの。映画俳優になるわね。マッチョの」 「からかわないでください」  中野がいうとキャサリンは大真面目になれる、なれると言っていた。ある視線に気がついた。山代がこちらを見ていた。目を合わさずに中野はそらした。  だから、山代がどんな表情をしていたか、中野にはわからなかった。山代が怖いと中野は感じた。  次は体育だった。教師全員とクラスメートでサッカーをする。たまにバスケのワンオンワンをしたりしていた。  浦和はキレのある動きをしていた。中野は駆け回る。山代はどうだろうか。なんとなく山代を見る。体格のいい教師にマークされている。舌打ちをしていいのに、顔色を変えない。  中野は飛び出た。浦和がうなずく、パスをしてシュートを決めようとする。相手の動きに合わしてフェイントをかけるように、と思っているとボールを取られそうになる。必死で蹴った。 「あー」  浦和が言った。 「ナイスファイト」  ボールを簡単に止められた。はあと中野はため息をついた。息切れをしている中野に浦和がアドバイスをくれる。中野はうなずいていた。 「浦和と仲いいな」  耳元にささやくように山代が言った。  山代の目は怪しく光っていた。嫉妬しているのだろうか。 「山代」  話しかける前に山代が歩いていく。焦った中野は「こっちに来い」と言った。  山代は従った。使われていない準備室だ。机が積み重ねられ、椅子が重なっている。山代は窓の外を見ていた。彼の目には果たして山が見えているだろうか。反対に、なにも見えていないか、それとも別のものが見えているだろうか。  中野はそんな自分に笑い飛ばしたくなった。今更だ。異界の住人と自分が同じ視点でものを見ているわけではない。そう三田から教わった。 「浦和に」  ぐいっと体を引っ張る山代がいた。山代の顔と中野の顔の距離が近くなる。山代は中野の退路をふさぐように抱きしめる。 「中野」 「おまえさ。なんで俺と契約したの」 「好きだから」 「は?」 「一番初めに会ったからだ」 「だからって。鳥の雛でもあるまいし」 「中野はわからない。だが、俺にはわかる。中野は俺を求めている」 「だから、俺は求めていない」  なにがわかると中野はぶっきらぼうに言った。中野にしてみれば言い訳と決めつけをされたような気分になったからだ。 「浦和には手を出すなよ」 「わかっている」 「嘘臭い」 「中野は俺になにをくれる。キス?」 「調子に乗るなよ。これはご主人様の命令」 「対価をもらっていない」 「対価って」  いきなり中野の視界は反転した。背中が痛いはずが、痛くない。布団の中にいた。中野が使っている布団は畳んで押し入れにいれたはずだ。  しかし、中野が使用している洗剤の匂いが、した。 「学校」 「学校なんてどうでもいい。俺と中野の問題だ」  ようやく中野は自分が住んでいる場所、自宅にいると気がついた。  なんでという前に柔らかい感触が中野を襲った。しっとりとした口どけに中野は混乱した。山代に唇を奪われたからだ。中野の混乱をよそに、中野はじたばたを暴れていた。  なにかが奪われる感覚が中野にはした。荒い息の中野を見下ろす山代は笑った。そうして服を脱がそうとした。 「中野はきれいだね。中野の肌は絹のようだ。俺を喜ばすためにある」 「なっ」  山代の瞳孔は大きく広がっていた。山代になにかされると感じた中野は思いっきり腹蹴りをした。力がうまく入らない。  ジャージは簡単にはだけた。山代はTシャツをめくり、胸まであげていた。  湿った感覚に中野はゾワリと背筋を凍らせた。 「なっ、渚さん、助けて」 「ほら、山代。やめなさい」  山代は甘噛みをしている。腹にチクリとした。キスマークをつけた。 「あんたがなにもあげないからこうなるんだよ」 「えっ」  渚さんは腕を組んで山代と中野の秘め事を見つめていた。 「あんたは山代を避けるから、山代はあんたが恋しくて、こんな暴走するんだ。頭をなでればやめるよ」  そう言って渚は出て行く。中野は自身にさわれそうになり、慌てて山代をなでていた。 「山代、ごめん」  山代の目は見開いた。山代は大人しくなった。はだけた衣服を整える中野に、山代は抱きついていた。だから、中野も抱きしめてやる。

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