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第13話
山代は落ち着いたのか、静かに目を閉じていた。彼の息、呼吸は一定のリズムで繰り返した。中野はほっとした。このままでは処女を奪われただろう。冷や汗ものだ。山代はなにを考えているのかわからない。子どもみたいな理由だ。そう、触れていないからという理由。中野はどうすれば山代が満足するのかわからない。
ただ触れるだけでいいのかと、考えていた。山代と、中野は呼んだ。山代は布団の中でしっかりと中野を掴んでいた。それを振りほどくには、中野は非力だ。
「山代、学校」
どうしてこうなったと、中野は考えている。渚が言うように中野が山代を避けていたから、こうなったのか? 山代はなにを求めている。初めて中野は考えた。山代は言うことを聞かない。それは、中野が山代になにも与えていないからか。
なにか与えてきた。術士は。そうなのか。自分はまだなにも知らない。知りたくなかったのか、中野は自問自答した。彼にとって山代は契約した化け物だ。だからこそ、中野にとっては恐ろしい。恐怖がそこにあるはずだ。化け物と人間が共に生きるなんて無理ではないか。中野の意識の根底、そんな思いを山代は嗅ぎ取ったのかもしれない。
中野はため息をついた。まるでだめな人間だと、中野は感じた。
中野はぼんやりと、天井を見た。板の木目には、なにかの出来損ないの顔に見える。そう、化け物の。
辺りは静かだ。耳鳴りがする。
気がつけば微かに雨音がポツリと響いた。洗濯物と、中野が言う前に、誰かの足音が聞こえる。サンダルだろうか、バタバタと言う音、それが聞こえた。中野はぼんやりしたまま、なんだか落ち着くとつぶやいていた。まるで包むような温かさ、人のぬくもりに中野は疲れた体が休息を求めていることに気がつく。
見つめられているとは中野は気がついていない。
「中野。どこに行った」
心配したと、担任の芹那が言う。中野はまあと濁した。
「なにか悩みでもあるのか」
芹那の言葉に慌てて中野は首を振った。山代も同じことを言われた。みんなで探したらしいと聞いて、中野は改めて頭を下げた。山代も同様だった。
「学校をサボるなんてなかなか出来ない」
人数が少ない、この学校ではすぐに大騒ぎになる。反省文と校長の説教とボランティアで許されるようだ。芹那は笑っていたが、教頭と校長は怒り心頭だった。それが普通かもしれないと、ようやく中野は気がついた。
「山代と中野なにしていた」
山田に問われた。クラスに戻ると、興味津々の山田に中野は苦笑した。寝ていたと、答えた。
「だったら、保健室で休め」
迷惑と言われた。
「まあ、そのおかげで授業は潰れたから」
吉岡は静かに言ったが、浦和と伊沢は怒っていた。
「授業、遅れて困るのは私達よ、あんたは呑気ね」
中野が素直に謝った。しかし、伊沢は黙っていた。
「英検の勉強を邪魔した」
中野はごめんと言った。それしか言葉が見つからない。山代は謝るかと思いきや、知らん顔だ。山代は山田と様子を見ている。卑怯だと、中野は言いたくなる。伊沢は目を細め、中野をにらんでいる。そんな伊沢を中野はただひたすらに謝り続けた。なんとか、許してもらった。伊沢の英検の勉強を手伝うこと、試験の面接の練習を付き合うことになった。いやだとは、流石に言えない。
どんな形であれ、中野が招いたことだ。そんな自覚があるせいか、素直な中野がいた。
今日の放課後は流石に無理とわかっていた伊沢に中野は休日付き合うことになった。吉岡がびっくりしたような顔をしたので中野は不思議に思っていた。
山代はいきなり、ついていくと伊沢に言った。伊沢はいいわよと、挑むように答えていた。見えない火花が中野に見えた。
「山代。まさか嫉妬?」
「当たり前」と山田。
そんな会話を山田としていいのか、中野は気になった。中野はため息をつきたくなる。面倒なことになりそうだ。
「なんかさ。山代って人間だったんだな」
改めて噛みしめるように山田が言った。のっぽの彼は、ほうきが扱いにくいのか、苦戦していた。山代は顔色を変えない。さっさとその辺を掃いている。
中野はなにも言わない。騒ぎ、いや、渦中に放り込まれたのはわかっている。まさか自分が青春、まるで漫画の登場人物のようなことになるとは、考えもしない。伊沢と浦和は別の場所にいる。が、いつ戻るかわからない。
「山田。やめろ」
山代が言う。山田はうんとうなずいた。
「ばあちゃんがさ。人の恋沙汰は、犬も食わないってさ、言っていた」
「それは、夫婦喧嘩じゃない?」
「まあ。そうだけど」
吉岡に指摘され、山田はちょっと顔を赤くした。ゴミを掃きながら四人は黙った。なにを考えているのか、中野にはわからない。
「おまえら、できているの」
「山田、やめろよ」
山代はにやりと笑う。嫌な予感が中野にはした。
「できているって?」
山代が問いかけてくる。山田と吉岡は顔を見合わせている。
「二人とも、手が止まっている。俺と山代はできていない。山代、二人をからかうな」
「だよね。びっくりした」
吉岡がほっとした顔。山田は胡散臭いものを見るような目で見ていた。
「できていたら、おまえらにわかるような行動はしないだろう」
「確かに」
「それに山代はいとこ。近親相姦になる」
「やべえ。そうだ」
「BL漫画ならありだぞ」
山代の言葉に中野は苦笑した。
「あれはリアルじゃない。友達曰くファンタジーだから」
山代はちょっとだけ満足した、そんな雰囲気があった。中野はほっとした。
「禁断の愛は燃え上がるとか、聞くけど」
山田が興奮気味に言う。中野は首を振る。
「山代でたつのか」
「あっ」
山田は顔を更に赤くした。好きなのか、ただ興奮しているだけなのか、中野にはわからない。
伊沢が来て、山田はそっぽを向いていた。
ボランティアはたいしたことをしない。ただのゴミ拾いだ。通学路、学校の周りを清掃するだけ。ゴミ袋を持って、芹那と一緒に行動する。拾うときは、大きなトングで拾う。なるべく真剣に、と言われた。
「大変だねー」
散歩がてら、歩いていた老人に言われた。
「ありがとうございます」
にこやかな調子で、個人情報を尋ねてくる。中野はどうしようか、迷った。中野が老人に捕まったと気がついた芹那は、助け船を出すように老人と話す。世間話で盛り上がる。
「ごめんなさい。邪魔しちゃって」
老人は笑う。それくらいだった。中野に話しかけてくる人は。中野は葉が落ちてくる道を掃除する。葉を集めた。
タバコの吸い殻もあり、ペットボトルもある。人がいないはずが、誰が捨てたのかわからないものもあった。
「山道に入るから捨てる奴がいるんだろう」
芹那は呆れたようにつぶやいていた。まるで迫ってくるように山が近いところで登山客か、それとも廃棄業者が捨てていたのか、想像だけで実際には見ていないので確証はない。中野は紅葉した山々を眺めながら、なんとかならないかと考えていた。
「ゴミ拾い、ご苦労さん」
芹那に言われてハッとした中野は、自分が途方もなく、バカだと自覚した。
多分、普通の学生ならば、素晴らしいことだ。しかし、中野は術士見習いだ。そんなことをする暇なんてないのだ。それより山代に言うことを聞かせることが大切だ。
ん? と、芹那が不思議そうに見つめる。中野は「なんでこんなにきれいなんだろう、山がと思いました」と誤魔化した。
芹那は笑うと、手を叩いた。
「たしかに、きれいだな」
「ですよね」
「でも、土砂災害で孤立していたなんてあるからな」
「怖いんですね」
「雪深い町だしな」
芹那は笑った。しかし、それを苦にしているわけではなさそうだ。
中野は芹那のたくましさに感心するばかりだ。中野の視線が恥ずかしいのか、芹那は「ジュースを奢ってやる、みんなには内緒だぞ」と言った。
「山代はこの風景、好きか」
中野の問いかけに山代は目を見開く。そうすると、幼子のようでかわいいと中野は初めて思っていた。
人形のように整った顔をした山代が純粋な子供のように驚くからだと、中野は言い訳する。
中野はしばらく山代を見ていた。
山代は顔をいつも同じ表情に戻すと「わからない。懐かしいが」と答えた。
「その返事はダメだ。きれいだとか答えろよ」
「中野はどうなんだ?」
「きれいだよ。あと、自分が小さく思う」
「?」
「人間は小さい、弱い」
「当たり前だ」
「忘れてしまうんだ。人間だから」
「中野はわからない。強くなりたいのか」
「また、なにか企んでいるのか」
呆れた顔をした中野に真面目な顔をした山代がいた。
「中野の願いを叶えたい」
「ありがとう。でも、いいからそういうの。自分の力で叶えなきゃ意味ない」
山代はまばたきを繰り返した。わからないようだと、中野は気がついた。
「人間は難しい」
おーいと、呼ぶ声が聞こえる。中野と山代は駆け出した。芹那が呼んでいるのだ。ジュースはなにするか、中野は考えていた。山代に尋ねると、中野に任せたと言った。
「芹那先生、俺と山代はコーヒーで」
「なんだ。コーヒーか。先生は紅茶」
芹那は千円札をいれる。そうして、中野と山代はコーヒーにありつけた。缶コーヒーを飲む山代の表情はわからない。中野は缶コーヒーを素手で持てなかった。芹那が持ってもらおうとすると、山代が掴んだ。
「熱くないのか?」
「熱くはありません」
「山代は我慢強いのかわからないな」
芹那が感心するように言った。驚いたわけではなさそうだ。芹那は山代に対して生徒と思っているようだ。
「あんまり無理するなよ」
「はい」
「信用していいのやら」
芹那は中野の視線に気がついた。笑ってやる芹那に中野は初めて山代が我慢強いと思う芹那と化け物だから平気だと思う中野がいると、気がついた。初めてだった。山代が我慢いることに気がつかずにいた。
中野には、山代が我慢しているとは考えていたら変わっていたのだろうかと、改めて考えていた。山代は不思議そうに中野を見つめていた。
「なんだろう、おまえ達は仲がいいとは思えなかったから、よかった。仲良くしているようで」
「はい」
中野は返事をした。山代は中野ばかり見ていた。学校の近くには駄菓子屋がある。そこで中野と山代は駄菓子を買う。中野は腹持ちがいい、鱈のお菓子。山代はスナック菓子だ。安いのに、人はあまり見かけたことがない。中野は店の外にあるベンチ、赤い色をして、世界的に有名なジュースのロゴが入っている。
戻ろうか、と思っていた。中野自身戸惑いもある。中野と山代の関係が変わる。以前ならば考えられない。
「なあ、山代は我慢していたのか?」
中野の問いかけに山代は顔をしかめた。中野はなぜそんな顔をするのかわからなかった。
「中野が俺に抱かれたいからそうしているのではないか」
「違う」
「まさか化け物の付き合い方がわからないのか」
バカにしたわけではないが、中野には答えにくい。そうだというのは、恥ずかしい。
「中野」
山代の顔が近くに寄る。美しい、人形のような造形が、近くにあるのに対して中野は殴りたい気持ちになっていた。
葉が揺れ、サラサラと音を立てている。
「わからない」
ようやく中野が言った。
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