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第14話

中野は自分の部屋に帰らなかった。まだ寒い部屋の中で身体を小さく丸めていた。膝を抱えて。彼は幼い頃にこうしていたことを思い出す。懐かしい記憶。幸せだったのか、よく中野にはわからない。だが、中野には幸せだったのではないかと考えていた。 冷えていく、無人の部屋には中野しかいない。それに中野はホッとして、また絶望をする。中野の癇癪をなだめるものはいない。また中野一人で己の感情に折り合いをつけなければならない。 そうしたことが面倒くさいと感じる中野がいた。しかし、このまま時が過ぎるまでいられるわけでもない。 風呂に入り、夕食を済ませなければならない。中野は自分の無力さを知る。腹の中から怒りが滲み出そうになる。 そんな中野をときは無情に過ぎていく。中野は体を丸め、なぜ怒ったのか考えていた。何も知らないのに、中野の気持ちを無視して山代が中野の心に入ってきたのだ。それで怒る。 しかし、中野はなぜか無性にイラついた。ひどく。まるで中野の存在が単純ではないかと言われたような気がした。 中野は複雑と言いたいのだろうか。そんなことを考えていた。暗闇が近くなる。夕日が沈めばもっと体が冷える。どうにでもなれと中野は考えていたが、冷えていく体は耐えられないので、部屋を出て行く。 暗い道を歩いていくように中野は山代がいる部屋に入っていく。山代は普段通りである。だから、中野は怒るべきか拗ねるべきか、迷った。そんな中野に山代は「お帰り」と言った。 「おまえは」 つい中野はそうつぶやいた。中野の言葉に山代は不思議そうな顔をする。 「喧嘩しただろう」 そんな中野に山代は「そうなのか」と平素と変わらない。中野は化け物だからかとつぶやきそうになる。化け物だから、中野と喧嘩したとは考えない。反省もしない。余計に怒りがこみ上げてきそうになる中野がいた。 奥歯を噛み締めて、耐える中野がいた。喧嘩をしていいことはない。不快な気持ちが中野の胸に広がる。 「中野、どうした?」 具合が悪いのかと中野の顔をのぞく山代に中野は殴りたい衝動に駆られる。抑えている。相手だって心がある化け物だと中野は知っている。そんな中野を山代は目を細めている。 「俺が嫌い?」 なぜそんなことを聞くのだと中野は問いかけたい。 「なんで」 「消えろと思っている」 山代の顔は無表情である。中野はそれを見て、言いようのない気持ちになった。恐怖なのか、畏怖なのか、中野にはわからない。ただ、中野は気持ちを読まれるとようやく気がついた。 「俺の心を勝手に読むな」 いいなと中野が言う。中野は山代が了承しないと、わかっていても口に出した。山代はにやりと不気味な笑みをこぼしていた。 それは化け物らしい表情だった。 「返事は?」 「いやだ」 「なんだ、主人の言うことが」 いきなり頭を固定された中野は驚いた。山代の大きな手が中野の顎を掴む。そうして唇を重ねる。まるで捕食者のような目をした山代がいた。彼は本気で中野を抱きたいのか、食べたいのかわからない。中野にはなぜ山代の逆鱗に触れたのかわからない。 「俺は、主人じゃないのか」 と中野は唇、中野の呼吸させるために離したときに言った。中野の顔が屈辱で真っ赤にしている。 「中野は主人だ。守られる」 「だから」 会話をする前に唇が重なり、舌が入る。歯茎を刺激する。中野には気持ち悪いはずが、なぜかゾクゾクと背中に走るものがあった。長い睫毛から中野を見つめる山代は冷えた目をした。 中野だけがわけのわからない衝動に駆られる。中野は危機感を持った。ゲイではないと言ったが、自分が感じていることを知り、自分がそっちの方面の人間かわからない。まさか、男の姿で感じているのか、それとも山代のキスが上手いのか、中野にはわからない。 ただ山代が本気なのかわからない。 ようやく唇から解放された時、透明な唾液が落ちていく。普段ならば汚いなど思うが、酸欠とあまりにも感じたことのない濃厚なものに中野は頭が働かない。 「中野」 一つになろうと言われた。何がと思う。山代が笑う。そうして山代の手が中野の自身に触ろうとしたときに「なに盛っているんだい」と言う声が聞こえてきた。 渚の声だ。渚が部屋にいる。渚の顔を見ると、渚は呆れていたのだと表情で中野に悟らせた。 「すみません」 中野は誰に謝っているのかわからない。 「山代、それは術士と同意の行動かい」 「えっ」 「人間じゃ和姦という言葉があるんだ。ちゃんと相手の意思を尊重して、合意の上でそれをしないと、あんたは追放される。しかも、中野は未成年だよ」 ニヤリと渚が笑った。 「私の証言ひとつで、あんたと中野を離れ離れさせることができるよ」 山代はまじまじと渚を見つめた。 「わかった」 「これからあんたと中野は別々の部屋にする」 山代が初めて動揺した顔を見ていた。中野は成り行きに任せるしかできなかった。 そんな中野を山代は救いを求めるように見つめていた。中野にとって願ったり叶ったりでもある。だから中野はうなずいた。山代は信じられないものを見るような、そんな顔で二人を見ていた。 「山代、わかったな」 これで身の危険はなくなると中野は考えていた。山代は「中野を観察することができない」とつぶやいた。 「勉強しろ」 「で、あんたはどうやって守られる主人を脱却するんだい」 渚に言われた言葉に中野は絶句する。見られたことの羞恥心と指摘されたことの恥ずかしさと情けなさで中野は顔を青くした。 「見ていたら止めて下さい」 「だから、止めただろう。感謝してほしい」 なにを言っているんだ、コイツと初めて中野は渚に対して怒りを感じた。 「なんで、助けてくれないんですか。俺、危なかった」 「それくらい術士ならばなんとかしろ」 あっけらかんという渚に中野は「無理。俺は見習いなんです」と言った。 「それじゃあ、見習い以下だね」 まるで買いことば売りことばのような会話に中野は嫌気がさした。渚は目を細めて、二人をにらめつけた。 「さっさとやることをやる」 山代は新しい部屋に私物を入れる。中野は手伝うべきか迷っていた。中野はしばらく見ていた。 「なんで怒った?」 中野の言葉に山代は不思議そうな顔をした。わけのわからないという顔だ。中野に怒っていることを山代が気づいていないと中野は悟る。 「怒っていたからあんなことをしたんだろう」 投げやりな中野の言葉に山代は問いかけることをしなかった。山代はしばらく中野を見つめる。心を読もうとしているのだろう。 山代の好きにはさせない。となにも考えないようにする。それくらい簡単ではないが。 「ふっ」 「なんだ」 山代は笑う。なぜ笑うのか中野にはわからない。意味がわからない中野はいらだつのを隠せなかった。そんな中野に山代は笑うことはなかった。 「心を隠すのは恐れるから」 なにを言う前に山代が言う。山代の言った意味がわからない中野は問う前に山代が新しい部屋に入る。 「監視されている」 はっと中野が言った。それだけいうと山代は背中を見せたまま、襖を閉じた。山代の言葉は断片的で中野にはなにを言っているのかわからない。 襖を開けると、山代はスマホを触っていた。 「俺のプライバシーのため、ノックしろ」 「うるさい」 よくもそんなことがぬけぬけと言えると中野は山代をなじりたくなる。しかし、中野は抑えた。 「今、言った言葉の意味」 教えろと中野がいう。しかし、山代はどこ吹く風でイヤホンにつけた耳では聞こえていないようだった。 「山代」 中野が言う前に「中野はまた、あれをされたいのか?」と言わられた。山代は笑っている。 「いやだ」 だからではないが、中野は部屋から逃げていた。山代が変な解釈をしないか不安だったためだ。もしあのまま部屋にいたら大変なことになりそうな気がしたからだ。 「くそ」 中野は口からそんな言葉が出てきた。監視されている誰に、それはわかりきっている、渚だ。それを信じたくないから中野は山代に聞いたのだ。でも、どうやら中野は渚に監視されているのだ。あまり気持ちいいものではない。 中野が自分ではどうにもならないことだと思い知らされる。怒りから壁を殴りたくなる中野がいたなど、誰も知らないように、中野は己の手を力一杯握りしめていた。 夕食くらい手伝わないとようやく中野は気がついたのだ。 「あら、早い」 「監視して楽しいですか」 「別に」 「仕事で?」 「そんなことはいいよ。キャベツを刻みな」 今日はカツだよと渚が言う。中野は大人しく、キャベツを刻む。千切りはしたことがないからゆっくりしたものになる。気がつけば集中していた。 「守るためだ」 「わかっています」 「でも、腹立つだろう」 渚の言葉にうなずくべきか迷っている中野がいた。中野と渚の信頼関係はできていない。 「いいんだよ。正直に言えば」 「腹立たしいです」 「で、あんたはそれが嫌ならやるんだろう」 「修行ですか?」 「修行ねえ」 まあ、そうなるかと渚はつぶやいた。 「振り回してやればいいじゃないか、山代を」 どうすればという前に中野はキャベツをきざむ。千切りにはならなかった。カツが上がる音を聞きながら、腹が減ったと考えていた。

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