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第16話
中野は伊沢を待っていた。帰りが遅くなることを気がついているだろうか。そんなことを中野は考えていた。中野は貧乏ゆすりをした。帰るころには辺りは真っ暗だ。中野のところに伊沢が来る。中野の隣には山代がいる。
中野を見つけて満足そうにする伊沢を中野は腹立たしい。そんな気持ちを中野は伝えられない。不機嫌そうな顔をした中野に「ごめんね」とだけ言う伊沢がいた。
「伊沢ね。俺、忙しいから」
「嘘つけ。なにもしていない」
「勉強していたの」
暇だからと言った。それは正しかった。中野と山代は勉強をしていた。宿題を終わらせた。中野はしばらく勉強して凝った体を伸ばす。
「中野、なんで山代がいるのよ」
「山代がいなかったら退屈していたから」
伊沢はイライラしたのか、もおと言った。ようやく中野は気がついた。二人きりになりたいのだと。そうして、親密になりたい。山代がいてよかったと改めて思う。
「山代はどうしても、中野といるの?」
「どうしても」
そんな会話をする。伊沢は山代を気にしているのは恋敵と認識しているからか、と中野は考えていた。中野はそんな風に伊沢は感じていることを想像する。
中野は面倒臭く感じた。どうしても付き合わなければならない。モテて嬉しいが、なんとなくしっくりしないものがある。そんな中野を知らずに伊沢は中野に笑いかけた。
中野は笑いかけるべきか悩んでいた。それでおかしな表情になったのだろう。伊沢は不思議そうな顔をする。
「帰ろうか」
中野はそんなことを言われてうなずいた。中野と山代は机に乗った勉強道具をしまう。充電器を用意する。
スマホの電源を入れて、渚に帰りは遅くなるとメッセージを送る。渚から返事はなかった。渚は中野に伝えることはしないか。アドバイスが欲しいと言ったらどうするのだろうかと中野は考えていた。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない。家に連絡しただけで」
「私も連絡した。迎えがくるから」
そうなんだと中野が答える。三人は学校を出て行く。埃っぽい玄関を出て行く。玄関を出ると冷たい風が吹いている。マフラーを巻いた伊沢は「さむっ」とつぶやいた。
「寒いよ」
「わかっているよ」
そんなことを二人で言う。山代は静かだった。そんな山代が不思議な感覚になる中野がいた。空は茜色に染まる。茜色は雲によって表情を変える。光が陰るところ、明るいところは薄いバラ色に変わる。
中野は息を飲む。
「きれいだな」
「うん」
「ああ」
伊沢はちょっとつまらない顔をした。伊沢は歩き出す。山に太陽が飲み込まれる前に歩かないと危ない。猪や熊がでるのだ。不審者はいないとは言いきれないが、獣は怖い。熊よけ用の鈴が鳴る。
中野達はたわいのない話をする。そうして、時間が過ぎる。伊沢が足を止めた。急に駆け出す。
「おじさん」
伊沢の前には倒れている人がいる。中野と山代も駆け出す。そこには顔が真っ青な男がいた。そうして、中野は「動かすな」と言っていた。
「脳梗塞で倒れているかもしれないだろう」
伊沢はうなずいた。伊沢はスマホから助けを呼んでいるのだろう。中野は混乱しながら、前を向くと、そこにはもう一人倒れている人間がいると気がついた。
「大丈夫ですか」
男は完全に気を失っている。動かさないようにする。山代がいないとようやく気がついた中野は探すべきか迷っていると「中野、ここにも人が」とメッセージが届いた。
結局救急車が来て、あたりを散策したら五人の男女が倒れていた。トレッキングに来ていたということで、何かに襲われたのか、事故に巻き込まれたのかと考えられた。
ひと段落して伊沢の家族が迎えてに来て、中野はようやく渚に電話をかける。
『もしもし』
「渚さん。あの実は」
渚は車にむかってくれるらしい。流石に真っ暗な中で歩かせるのは危険と判断したらしい。中野と山代は現場ではなく、近くの目印になる場所を探していた。辺りは真っ暗で視界が悪い。暗闇の中手探りで歩いている。
「山代、手をつなごう」
「なんで」
「暗くてどこにいるかわからないだろう」
「俺はわかる」
「俺がわからないから」
暗がりの中で中野は山代の声がする方に手を差し出す。山代がどんな顔をしているのか中野には想像できない。ただ、山代は手が重なった。冷たい手だった。
「そろそろ、手袋をしないと、な」
お互いにと中野は言った。目印になるガソリンスタンドを見つけて、渚を待つことにする。一応メッセージを送る。無人のガソリンスタンドは明るい。まぶしいくらいだ。そこに座るところもなく、立ったまま、ぼんやりと中野は山代の手を離そうとした。
「中野、離さないで」
「えっ」
いきなり子供みたいなことを言い出す山代に中野は誰もいないことを確認してから「いいよ」と言った。山代はほっとしたような顔をした。そんなに中野のことが好きなのか、中野には想像できない。
中野は恋した経験がない。自分もいつかと考えているが、それは幻想だと中野はわかっている。恋は自分に強い自己暗示をするものである。だから、中野はそんなことができない人間だとわかっている。
暗示するほど、人とは関わらないようにしている中野が、恋するなんて無理な話なのだ。
「俺も恋して、誰か恋人を作るのかな」
「中野には無理だ」
「うるさい。言っただけだろう。普通ではないから、そんな当たり前のことを求めたくなるんだよ」
山代はなにも言わない。ただ、中野を見つめる。
「中野は俺じゃなければダメじゃないのか」
「なんだよ。それ」
心外そうに山代が言うから中野は呆れた。どういう思考回路なんだと思わずにはいられない。そんな中野の思考を読む山代がいた。
「中野には俺が必要だ」
「そうだな。奥さんに手を出すなよ」
「奥さんは、俺」
「キツイ冗談だよ」
そんな会話する中野に山代はぎゅっと手を握る。それがまるで精一杯のアピールに感じた中野は「いつかさ、変わるよ。俺も山代も」と言った。
「変わらない」
山代は唇を尖らすように言った。ああ、そうなるのかと中野は感じていた。結局は変わるのだ。中野も山代も。そう強く考えてしまう中野がいた。
青白い光が天井から注ぐ。広い敷地には、コンクリートがなだらかに土を覆う。車に入れるガソリンの機材やら並ぶ。それがカッコいいようで世界の終わりに来てしまったような感覚をさせている。
中野はそんな自分の意識をそらすように、スマホをみて時間を潰すかと考えていた。ネットニュースになるかも、それでも伊沢は無事に家族の車に乗った。それでいいのだ。
中野はスマホに渚のメッセージがないか、確認する。車を運転しているからメッセージを送る暇なんてないとわかっているが、なんとなく気になる。寒さが体に染み渡る。
手を口元に当てて、息を吹きかける。女子のような行動だが、寒いのだからそんなことは言っていられない。
そういえばいつのまにか中野の手を山代は離したようだ。中野の手をただ繋ぎたかったのだろうと中野は解釈することにする。
中野のことなど忘れていた山代がいる。そう思う中野はなんだか面白くないのだ。
そんな自分が意外である。中野が言わせるとなんでそんなに山代が気になるのだ。
「おまえさ。手を繋がないのか」
中野の言葉に山代は興味をなくしたような顔をしている。中野にはつまらなく感じる。
「まあ、いいか」
山代の気まぐれだといい。そんなことを考える時点で山代の思う壺なのだろうか。山代に対してそんなことを考えている中野が妙に自分が子供っぽいと思う。
そういえば昔こんなことをしたことがあるような気がする。頭の中では映像は浮かばないが、こうしていた記憶があるとうっすらとデジャヴのように感じる。
誰かいたはず。誰か隣に。思い出したいのに思い出せない。それなのに、中野は自分の中に切なさが生まれていることに気がついた。懐かしさと切なさが織り交ぜになったのは確かである。
中野はしばらくその記憶の感情に浸っていた。それは決して嫌ではなかった。むしろ、心地よい感覚だった。
「中野」
「ん?」
「悲しいのか」
ハッとした中野を山代が疑わしいものを見るような目で見つめてくる。そんな山代に中野は無理矢理に笑う。
「大丈夫。なんとか平気」
中野はつぶやきそうになった。そうか、俺、泣きそうな顔をしていたのかと。山代が、気がつくくらい。そんなことは絶対にないとは言えなかった。
「俺は泣かないよ」
心配するなと言いそうになる中野に山代は不思議そうな顔をした。
「泣いたら涙を舐めさせろ」
「絶対にいやだ。変態」
そんな会話をする中野は心配したのではない。なぜかわからないが、心が満たされたような気がして笑った。自分の意識してくれる山代が嬉しいのか、笑うことで気分が良くなったのか、中野にはわからない。ただ、山代のおかげで少し湿っぽい気持ちが楽になったのは確かだ。
「ありがとう、山代」
「なんで」
「いいんだよ」
山代はわけのわからない顔をした。そんな山代が中野には好ましく映る。こんなときがくるなんて中野には信じられないでいた。
「あんた達」
そんな声が聞こえてくるまであと少しであることを中野は知らなかった。中野は空を見上げていた。
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