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第21話
中野はちゃんと授業を受けていた。授業なんて受けたくないと考えていたが、実際には惰性に近い。それと、周りの圧力、勉強をしないと悪い子という雰囲気に飲まれていた。
温かい日差しが平等に教室の中に入っていく。寒い、ヘアコンの暖房の風よりも温かい。それに中野はホッとしていた。中野は伊沢を見つめていた。彼女の華奢な体は椅子に座り、真剣な面持ちでタブレットを見ていた。それがなんとも、愛らしいと中野は感じた。
中野にはやっぱり納得することをできずにいた。伊沢にくっつけば、なにかわかるのではないか。そんなことを考えていた。伊沢が中野に付き合ってほしいのはなぜか、ということを中野は考えていなかった。中野自身頼られることが当たり前になったからだ。
青空が窓から見える。太陽が光っている。白く。まぶしい光が放ち、中野達の顔を白く照らす。カーテン、白い薄いものが閉められた。それでも、太陽の温かさを感じる。
「いい天気だな。こういうのを」
そう言われて、中野は現実から戻っていきた。そうして、タブレットに集中していた。彼の目にはタブレットの文字を読み上げていた。歴史の授業である。なかなか、覚えるのは大変だということを知る。
確かに中野は山代をコントロールできなかった。山代はなにをほしいか。中野の体である。若さが欲しいのか。サキュバスというものが頭に浮かぶが、ファンタジーから現実に出てくることはない。異界の住人というより、人間の想像で作ったもののように思えた。
異界の住人はいろんな姿に変わる。人間が見たいものに変えるのか、それとも、自分達の気持ちだけで変化させるのか、わからない。一定の形を保たない。
それが異界の住人なのかもしれない。
「中野、ありがとう。次は」
そんな当たり前のことを中野は思い出していた。中野にできることは異界に返すことくらいだ。そうすると、山の主ではなくなるが、生きていけるはずだ。そう、中野の頭の中ではそんな理屈を考えていた。
「なんだ、中野。座らないか」
「あっ、はい」
ボッーとして、考えごとに没頭した中野に担任の芹那に言われた。慌てて座る中野に生徒達は「大丈夫か」と言われていた。
「なにか、悩みごとでもあるのか?」
心配そうに芹那が問いかける。慌てて、中野は首を振った。そうして、芹那は心配そうな顔は変えない。なにかあったらちゃんと伝えるようにと言われた。
優しい先生だなと中野は考えていた。中野は少し、疲れた気分になった。
わがままだなと中野は自分でも思う。むしろ、好待遇であると、中野は考えた。ようやく中野はなにか言わないと、と気がついた。
「スマホゲームに夢中になっていたから、そのことを考えていた」
「そうか。スマホゲームはほどほどに。中毒になる人間もいるから。管理の仕方が大切で」
芹那の中野に対してなにか問いかけたい気持ちは落ち着いたようだと気がついた。中野はそれだけで、安心した。大人に心配されるのはあまり好きではない。だいたいがおおごとになるからだ。そう、静かになりたい。中野はわがままだった。
「中野。朝のことが、気になるのか?」
山代の問いに中野は苦笑いを浮かべていた。そんな中野はしばらくなにかを考えていた。
「俺は未熟かな」
「だろうな」
ムッとした顔をした中野がいた。そんな中野を山代は静かな目で見つめ返す。中野は足元を見た。サッカーボールを蹴っている。リフティングをしている。
「俺、やっぱり渚さんの言っていることは理解できない」
「だから?」
「助けたい」
「なにを」
いきなり第三者の声が聞こえて、弾かれるように中野と山代は後ろに振り向いていた。そうして、そこには伊沢がいた。伊沢の手にはタブレットがある。録画されたのかと中野は考えていた。
「伊沢いつから」
「助けたいと思っているんだよね」
「えっ」
「なにから」
伊沢の目が真剣なものになる。黒目がキュッとしまっている。それが中野は恐ろしかった。理由はなぜそこまで助けたいものを気にするのか、中野は疑問だった。
「別にゲームの話」
中野が誤魔化すと、伊沢の目は細めていた。
「嘘。そういうの、私の目を見てから言って」
目と中野はつぶやいた。まずいと思った。目は大切だ。相手の力と力のぶつかり合いで、自分の有利ならば相手を屈服できるが、それができず、場合によっては相手に屈服されてしまう。中野は伊沢の目から逃れようとするが、何かの引力を引きつけられるように、伊沢の目を見てしまった。
「やめろ。伊沢」
「助けたいのね。よかった。これで、助かるかも」
「山代」と中野は叫ぶ。
「助けたいのではないか。山の主を」
「だからって、こんなやり方は」
「もう中野は黙っていて。どうする山代、私に挑む? 大好きな中野は私に従うけど」
「おまえに、中野をくれるつもりはない」
山代の体が変わっていく。それを中野は見つめていた。体つきが太くなり、鱗が生え、目が爬虫類に似たものになる。そうして、手が羽根に変わり、それは皮と骨の薄い羽だ。顔も変わる。美しい顔が獣に変わる。
「やだ。私を殺すの。いいわよ。やってみれば。だけど、無理よ」
助けてくれと言う声が聞こえてくる。そうして、中野は背筋が凍るような気持ちになった。まるで冷たい手で触られたように、中野は体をふるわした。そこにいるのは、形を持たないもの。液体になり、溶け出した体を必死に形作る、奇怪なもの。
「ああ、術士の匂いだ」
しゃがれた声に、老婆のような声。昨日、聞いた声だと中野は気がついた。冷たい液体が中野の体にまとわりつく、それにゾッとした中野をそれは笑う。
「これで、あたしは助かる。昔の姿に変わる」
「異界に戻れ」
「なにを言っている。私は山の主だ」
おぞましい姿の中に透明な部分がある。そこには赤いものがいくつもの丸い球体として並んでいる。ようやく中野は血だと気がついた。
「そんなことをしても、自分を穢すだけだ。やめろ」
「うるさい。おまえは関係がない」
それはいい血だと笑う。その前にバケモノ目掛け、獣になった山代が襲いかかる。バケモノは液体になり、獣の爪を通さない。通したとしても、液体が爪に垂れるだけである。
「山代、逃げろ」
「中野。いやだ。絶対に。守るんだ。俺の中野を」
液体がまた固まり出す。そうして、今度は大きな氷柱のような形になって、山代の体を突き抜けた。山代は翼で逃げられるはずだったが。足に液体が手のように掴んでいた。故に、避けることはできずに、正面から攻撃を受け止めていた。
「ほれ、どうする」
ヒッヒッとバケモノは笑っていた。
「伊沢、これがお前の望みか」
「ええ、だって、私には責任があるから」
「は?」
ここでは危ないから、行きましょうと伊沢が言う。中野はどうすればいいのか、迷っていた。剣を取り出すには、カバンの中である。
「おまえはなにもできることはない」
だから逃げろと中野は山代に命令していた。全身全霊で言うことを聞けと伝えたかったが、山代には通じていないようだ。山代は傷つきながらも、もう一度、挑もうとする。
そうして、なにかが来るのだ。中野は再び悪寒のようなものを感じていた。そう、言いようのないものが来る。伊沢と一緒にいたときに感じたものである。ここにいてはいけないという本能が叫ぶ。しかし、中野の足は動けない。まるで土に糸で縫いつけてしまったようだ。動けない。
「中野」
伊沢は不思議そうに中野を見つめていた。なぜ気がつかない。と中野は口に動かす前に、山代が向かってくる。バケモノは笑っていた声を止めて「アイツが来る」と叫んだ。
「中野」
中野の手を掴んで、伊沢とバケモノは影に隠れていく。まるで、意思を持った影に飲み込まれていくようだった。山代が突撃しようとしたら。影が先に飲み込み、中野を飲み込んでいた。中野は気がついた。自分がこんなことを考えていたせいで、巻き込まれたのだ。
「山代」
山代は中野を見つめていた。彼の手を握りたかった。そうして、中野の意識は途切れた。
中野と山代が叫んだ。人が来そうな気配もする。しかし、そんなことをかまっていられない。そうして、山代は消えた影を見つめていた。
山代は飛び立つ。そこには、山がある。なにかが来る前に、山代は山に向かった。遠くにいた渚は、中野と叫んでいた。
「山代?」
そんなことが起きていた。
中野が目覚めると、そこは洞窟だった。鍾乳洞かもしれない。白く固まった結晶の柱は上から落ちてくる水に滴り、ぽちゃんと湖に落ちていた。
中野は辺りを見回した。暗いのでなにがなんだか、見えない。暗闇の中でも、わかるのはバケモノくらいだ。
「いってえ」
ゴツゴツとした地面に寝かされていたせいか、背中が痛む。そうして、立ち上がるために腰を上げたときに首に重みを感じた。「うわっ」と声を上げ、バランスが崩れる前に立ち直すと、ジャラジャラと鎖が鳴る。首に手を当てると、首輪がつけていることを知る。
「俺は犬か」
そんなことを言える余裕があることに中野はホッとする。伊沢はどこに行ったのだろう。それが気になる。
ずり、ずりとなにが近寄っている音がする。中野は思い出した。伊沢が助けたい、山の主がいた。見えない目で気配だけ感じる。そこには液体が広がっている。それは服を濡らすことはなかった。
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