23 / 33
第23話
中野は眠っていた。そうして、自分の意識がさらわれて行く、暗闇の中、一人中野だけがいる。そうして、伊沢を見つけた。
伊沢はスケッチブックを持っていた。鼻歌を歌う彼女は上機嫌であることはたしかだ。中野は伊沢に話しかけようとするが、伊沢は気がつかないのか、通り過ぎて行く。
中野は伊沢の後について行く。伊沢は神社に入った。そこは狛犬が鎮座していた。突然、男が現れた。待ち合わせしたのか、伊沢は驚かず、笑っている。大学生くらいの男かと思われる。熱心に井沢のスケッチブックをのぞいている。
何を言っているのか、わからない。中野はいやな予感がした。そうして、神社の裏手に場面が変わっていた。下半身がむき出しの伊沢は痛いのか、涙が出ている。男は満足そうな顔をしている。そこで、男が笑っている。
写真を撮っている。中野は男を殴りかかろうとした。その前に、なにかが来た。牝鹿、大きな牝鹿が男に突進した。そこに、伊沢は反応しない。ただ、腹から血を流している。
「我が子よ。人間と私の子よ。こんなことになるなんて」
男が死んでいる。牝鹿の血が流れている。そうして、伊沢の血に触れた。伊沢の傷が治った。
伊沢は牝鹿を見つめていた。牝鹿は笑った。
液体の水になった牝鹿がいた。
風が吹いている。誰かが手を握っている。誰かはわからずにいた。そう、中野の手に収まるくらいの手だ。
「大丈夫、大丈夫」
自分と似ている声。どこかで聞こえていた。俺はと中野はつぶやいていた。
「兄ちゃん」
顔、向かい合っている少年の顔が見えていた。中野と少しだけ似ている顔をしている。そうして、中野が顔をしかめた。頭がガンガンする。
「やっと、会えた。兄ちゃん」
いきなり中野の身体に少年の体重がかかる。うめき声を中野はあげた。
「やめろ、中野は病み上がりなんだ」
警戒するように、中野は少年を見た。少年は中野と変わりのない年だろう。そんな少年は中野を抱きしめている。兄ちゃん? と言われて、誰が? と思っていた中野の頬を寄せる少年がいた。
「わからない。あんた、誰?」
「あー。そっか。小さい頃は一緒に暮らしていたから覚えていないか。俺、兄ちゃんの二卵性の双子の弟の中野篤志(あつし)」
「いや、聞いていない。なんの話。まだなにか言いたいのか」
「冷たい。こうして、俺の血液で兄ちゃんの血を足したのに」
「他にもあるだろう。血は」
「そうだけどさ。ねっ。覚えていない。俺、兄ちゃんを守るために生まれたんだよ。母さんにもそう言われた」
「なんだよ。それ。こいつは俺の弟って」
中野は混乱していた。いきなり現れた少年が弟というのだ、混乱するのが当たり前といえばそうだ。中野の頭の中の海馬に尋ねてみても、中野の脳には少年の記憶はなかった。
「山代、こいつ、知っているか」
「記憶が正しければ。中野に後をよく追っていたガキだ」
「おまえ、相変わらずだな。兄ちゃん以外なら、乱暴な口をきいていいのか?」
「おまえはおまけだ」
「そういうな。兄ちゃんが生きてくれるだけで俺は良かったと思うよ」
中野はその言葉を信じていいのかわからなかった。早く渚が来てほしい。さっきの夢を話したい。
「悪いんだけど、渚さんと話したい」
「あっ、そうか。ナースコール」
どっと疲れた中野がいた。篤志は機嫌がいいだけが救いだ。山代は腕を組んでパイプイスに座っている。篤志をにらみつけているだけである。もしかして、本当に中野の弟なのか、そんなことを中野は考えていた。
「おー、起きたのか。中野兄弟」
「ほら、兄弟だろう?」
「う、うん」
山代はちっとも嬉しくなそうな顔をした。
「あと、おまえ、山代。役立たず」
「うるさい」
「兄ちゃんと俺の絆に妬いているんだな」
さすがに中野は疲れたのか、また眠くなっていた。そんな中野を看護師は来て、先生を呼ぶことになった。顔色はまだ悪かった中野を山代が見つめている。
「まだ本調子ではないから、周りも静かに。あと、血は抜かれたから、君は危険な状態なんだから、無理は禁物です」
そう言われてしまった。ようやく腕を見ると、静脈の部分だけが深い傷。深く切られていたのだろう。伊沢の体にどこからそんな力があるのかわからない。
「篤志だっけ? 悪いんだけど、席を外して」
「いいよ」
「山代、実は」
と言う前に中野はぼんやりした気持ちになった。喋りたいのに、喋れず、意識が遠のく。そんな中野は頭の中でまだ喋りたいと思った。また眠っていた。
「中野」
山代は中野の側に行く。そうして、青白い中野の顔をそっと触る。そうして、顔を近づけて行く。息をしているか、確認する。中野の鼻から息が漏れている。それに気がついた山代は緊張した肩を落とした。
「中野」
切なげに言う山代がいた。そんな山代を誰も邪魔するものはいない。そう、山代はそっと、中野の唇に自分のものをあてがう。唇と唇が重なる。そうして、中野が起きていたら嫌がるはずだが、それがわかっていても、山代はやめないでいた。
「山代、やめな」
「渚か」
「エネルギーを中野に与えることはやめなさい」
山代がうっすらと笑う。
「人間のやり方では生温い。あの女をよこせ、あいつから力を奪って食ってやる」
「無理だよ。次の山の主を宿している」
「どちらかが山の主になるのか」
「さあ、わからない。普通の学生として生きたいというのが悪いことではない」
「無責任だ」
そうかい、と渚はつぶやいた。疲れた顔を渚はした。そんな渚を山代は非友好的な眼差しを送っている。ピリピリした緊張した空気が流れていた。
「おまえが正しいのか、わからない。中野の性格を考えてみろ」
「中野は許す。お人好しだから」
「そうだね」
「今のは見逃すから、あの子から手を引け。それが上の考えだ」
「いやだ。なぜ中野がこんな目に合わなければ」
「中野が望んだことだろう」
山代は悔しそうな顔をした。中野の顔は青白い。そんな山代を渚はため息をついた。
「あんたの主人は、中野だ。私じゃない。わからないか」
「中野は守る」
「どうして、あんたはそうなるんだろうね」
「?」
戸惑う山代に渚はなにも言わない。そうして、着替えを置いて「入りな」とドアを開ける。篤志が入る。篤志はきょとんとしたまま「兄ちゃん、寝たの?」と問いかける。
「なんで、俺のことを伏せていたの?」
「ああ、あまり思い出したくない過去だからね」
「俺のこと?」
「違うよ。それは、あんたも関係しているからだよ。あの家の人間だから」
「そっか」
兄ちゃんと篤志が言う。彼の目には幼い中野が見えているのか、眼差しが優しくなっている。そんな中野篤志をにらみつけている山代がいた。そう、山代は中野が独占できずにいることを怒っているのか。
「役立たず。おまえさ。兄ちゃんが悲しむことをするなよ」
「中野は俺が救う」
「わかっていない」
消毒くさい匂いがする病室の個室で、そんなことが話されていた。中野はそんなことを知らず、ただひたすら眠っていた。
中野は眠っていた。ひたすら体が休息をほしかったのか、気がつけば三日も眠っていた。だるい体で、目覚めた中野は日差しがまぶしいのか、目を細めている。ようやく、頭の痛みが消えている。ドクドクと血が流れている感覚に中野はホッと胸をなでおろしていた。
「中野」
ああと中野は返事をした。中野の言葉に山代はホッとした顔をした。中野の顔色を確認する山代にまるで、いつもと違うと思っている中野がいた。
「なあ、俺の弟はどうなったんだ?」
「帰った」
「そっか」
「受け入れたのか?」
中野は首を振った。そうして、何かを考えているのか、遠くを見るような目つきになっていた。
「篤志と俺が兄弟だとしたら、だますつもりなんてないと思う」
「だます? あいつはおまけだ」
「人におまけもない。それぞれに価値がある。それは確かだ」
「俺には、価値がない」
いきなり山代がつぶやいた。山代には珍しく泣きそうな、それにこらえている顔をしている。中野はそっと山代の手を触る。
「山代は価値があるよ。俺を守ろうとしてくれた」
「主人を守られないバケモノなんて聞いたことがない」
「仕方がない。おまえも万能ではない」
「俺は、俺は、中野を守るために生まれた」
「篤志と同じことを言うんだな。そういうことはやめてくれ。俺は守られるようなたいそうな人間じゃない」
中野の言葉に山代の顔が歪む。なんで、泣く? 中野には不思議だった。頭の回転が遅くなっている中野は、情けないのかなと思った。慰めは無駄なことなのだ。そう、肌で感じ取った中野は山代の手をつないでいた。
「俺は」
どうすればいいかわからないと山城が言った。
「なにもしなくていいよ。側にいてくれ」
「そんなことは許されない」
処分が決まる。中野の。そう、中野は考えていた。そんな中野を山代はどう思っているのか、わからない。
「すべては俺の責任だから、気にすることではない。俺はしたいようにできたから、満足だ」
二度目はごめんだけど、と中野は笑った。そんな言葉は慰めだとわかっている。でも、中野にはそういう言葉でしか、表現できずにいた。
「俺は、中野の言うことを聞く」
「えっ」
「まだ、やりたいことが残っている」
「力を認めたわけじゃないのか?」
ともだちにシェアしよう!