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第25話

 退院してすぐにバスに乗り、電車に乗る。体力が落ちていて、外界の空気がひどく慌ただしいと中野は感じた。そんな感覚は氷が溶けるように、忘れて慣れていく。  中野は寒さのためか、顔を赤くしている。篤志の姿はさすがにないだろうと考えていたが、病院からずっと篤志はついてきた。 「退院することは、知っていたから、ついて行く」 「仕事はどうするんだ」  篤志は「俺も見習いだから、平気。だって、まだアルバイト以下だ」と笑っていた。不満というより、そんなことで仕事がつとまるのか、不安が残る。ひとごとと割り切ればいいのだが、毎日の見舞いやこうしてついてくることに、憎からずと考えている中野がいた。 「おまえは帰れ。おまけ」 「そんな言い方はないだろう」  そうだー、そうだー、と篤志は中野に合わせるように言った。そんな二人を遠巻きに見つめている客人達がいた。  電車から新幹線に乗り換え、中野の隣の席を誰が座るかでもめた。 「俺が兄ちゃんを守るの」 「うるさい。おまけに守れるか」 「俺はオマケじゃない」 「わかった。じゃんけんにしよう」  つい、恥ずかしくなって中野が言った。 「意味がないよ。化け物は人の心を読める」 「それがいい中野」 「俺は病み上がりだから、わかった。言うことを聞くやつがいい。静かにできる」 「はい。俺、できます」 「わかった。後ろから守る」  あっと中野は内心声を出していた。なぜなら、どちらかが折れてほしいと考えていたからだ。中野の気持ちをくみ取ってくれた山代に、なぜか感動のようなものがこみ上げできた。 「ありがとう」 「む」  篤志も、な、というと、明るい笑顔を篤志が見せてくれた。新幹線はスピードを上げる。中野は眠っていた。疲れた。それがわかっているのか、中野が眠っている間、二人は静かだった。  スマホを触っている篤志に気がついた中野がいた。 「なあ、篤志。俺、夢の中で会ったような気がする」 「なに、口説いているの?」 「違う。気のせいならばいい。どうでもいいことだ」  中野は新幹線の外を見ていた。風景はどんどん変わっていく。早いくらいだ。体がだるい。ぼんやりした頭で隣を見ると「はい。お弁当」と言われた。買っただろう、お弁当と大きな文字で書かれているものを差し出された。 「ありがとう」 「お茶はどうする? 買ってくる?」 「前に買ったお茶があるからいいよ」  ニコニコと篤志がこちらを見つめている。それは子犬が尻尾を振っているような、そんな連想をしてしまう。かわいいと言うべきか、いじらしいというべきか。  こんな明るい性格だから、友達も多いだろうと勝手に想像する中野がいた。中野はなにげなく「 友達、多いだろう」と問いかけた。 「ううん。いない」 「ウソだろう」 「ううん。本当。だって、俺、たいてい寝ているから」 「はっ?」 「友達、いらない。事件に巻き込まれた友達を守りきれるか、わからない。人質に取られたら、兄ちゃんが優先だから、見殺しにすると思うから、作らない」  平然と言われた。中野は頭の中が真っ白になる。言葉をなくしている中野に「それが、俺の普通だから」と笑った。それは、屈託がない笑顔だった。  心から満足しているというような。中野は重いなと思った。そこまでするほど、中野に価値があるとは言えないからだ。 「友達、作れよ。まだ見習いなんだろう。俺は作っている」 「えっ。いいよ。兄ちゃんさえいれば、なにもいらない」 「おまえな。それって、自分をないがしろにしているんだぞ。そんなやり方、俺は嬉しくない」 「あー、やっぱり。みんな、同じことを言うねー。でも、そういうものだから、俺達」 「俺も含めるな」  弁当を食べている中野をふふっと、篤志は笑っていた。  嬉しくないと言っても相手には話が通じないだろう。どう嬉しくないと言えばいいのか、悩ましい。そんな中野を見つめる目があった。 「中野。大丈夫か」  後ろから山代が声をかけてくる。後ろに振り向いていると、山代は窓側の席でぼんやりとした顔をしている。 「山代。大丈夫か」 「力が入らないだけだ」 「えっ。島に着く前になんで」 「僕のせいでしょうか」  山代の隣に男がいた。眼鏡をかけて、艶やかな髪の毛を眉毛の上にそろえて切ってある。そうして、長い指で、前髪で触っている。二十代だろうか、二十代後半だろうか。 「僕は、ちょっと気を食うから」 「あっ、おまえ、付いてきたのか?」 「おまえって」  置いていったのにと篤志が言う。周りの目がこちらに向いていることはない。その眼鏡をかけた男を保護者だと思っているせいか。 「こいつ、俺が契約した化け物」 「あっ、こんにちは。篤志がお世話になっています」 「あっ、どうも」  で、気を食らうって、と篤志に問いかけると「すぐに腹ペコになるんだ。こいつ。だから、俺の影に潜ませている。で、現れると、見境がなく気を食らう」と平然という。 「危ないぞ。一般の人が関わったら、気絶したらどうするんだよ」 「あー、大丈夫。そこはコントロールできるからな。なっ。竹光(たけみつ)」 「竹光っていうのか」 「うん。つい来なくていいのに。おまえさ」 「寂しいことは言わないで。篤志。僕は君を守りたいだけ」  寂しいのだ、という竹光の態度でわかる。寂しげな笑いをするなと、中野は考えていた。 「いい化け物だな」 「えっ。セクハラするからいやなんだ」  はっと中野は言った。 「手をつなごうとか言われて、いいよって言うと手にキスして、額にキスされて困っている」 「はっ?」 「前の主人のくせが残って。ごめんね」 「いやいや、そういう問題ではないと思う」 「まあ、補給すれば元気になるよ。席を交換しよう」  なぜ、おまえが仕切ると言いたくなった中野がいた。どうして、こうなったのか、中野にはわからない。  結局、中野は山代の隣にいた。篤志はどうでも良くなったのか、眠っているようで静かだ。山代は目をつぶっている。長いまつ毛が伏せられ、唇から薄く口を開いている。中野は山代の手を触る。そうして、じっとしていた。  不思議なことに、山代の顔色はいい。ゆっくりと血行がよくなっていた。  小さなフェリーに乗る、波が荒い。船の中は暖かい。船の中でぼんやりと中野は外を眺めていた。山代は落ち着いた。それで、彼が無理していたことにようやく中野は気がついた。  竹光いわく、ちょっとしか食べていないと言う。それで、わかったわけではないが、山代が無理していたことに気がついた。考えてみれば、山代はあの戦いで傷を負っていた。いわば病み上がりに近い。 「ごめんな。山代」  中野の隣で眠っている山代に言った。竹光は篤志の影に潜ませたらしい。器用なことだと中野は考えていた。  波は船に当たるのか、ザバーンという音が聞こえる。波の音も、うみねこはいないようで、曇り空の下、鉛色の海を小さなフェリーが果敢に挑んでいるようでもある。  まるで、なにかを祈るように、中野は海を眺めていた。小さな窓に映る海を。篤志は静かだった。術士としては、篤志の方が上というのはわかる。うまく、竹光をコントロールしている。それすら、中野にはできずにいたことでもある。  じくじくと自分の傷口を見ているような気持ちになる。気持ちを切り替えるために、スマホを見つめていた。あれから伊沢の連絡がこない。お互いになかったことにしたいのか、それとも伊沢なりに罪悪感があるのかないのか。 『元気? 俺、退院して、島に行く』  メッセージは届いたはずだ。今、考えると好きなのか、疑問に残る。自分を好きだから、自分も好きという、安易な構図ができていたと思うのだ。そうではないと否定したくて、こうして、メッセージを送っているのかもしれない。  返事はなかった。それで、満足してしまう中野もまたいた。  薄く開いた唇から「伊沢に連絡してもムダだ」と言われた。突然のことで驚いている中野に山代が平然としている。 「なぜなら、あいつは人間であることを選んだ。自分の存在を受け入れることができまい」 「それって、伊沢が人間じゃないって、言っているのか?」 「そうだ。なぜなら、あいつは半分化け物の血が流れている」  知っていたのかと問いかけたくなった中野がいた。多分、正直に答えてくれるとわかっていても、あえて、問いかけることは、中野はしなかった。一緒に勉強して、一緒に笑っていた仲間が化け物なんて、考えたくなかった。  そうして、今、こうしてメッセージが届かない理由もわかってしまう。謝ってほしいわけではない。ただ、どうしてこんなことをしたのか知りたかっただけだった。 「山代、怒っている?」 「中野がお人よしなのはわかっている。今更、怒りも感じない。ただ、伊沢はやめとけ。中野が幸せにはならない。俺にしとけ」 「どこから、出てくるんだ。その自信?」  悪態をつきたくなるのはどうしてだろうか。揺れる船内で山代は目をつぶっていた。そうして、ひとまず疲れたのがわかったから、お互いになにも言わない。 「兄ちゃん、大丈夫か。あめ玉をあげる」 「ガムの方が」 「わがままなんだから、そんなことは言わない。ほら、あーん」 「手で渡してほしい」 「なんだ、つまらないなー。昔は口をあけてくれたのに。甘えん坊だった兄ちゃんはどこに行った?」  山代は目をつぶっている。手で渡してもらったのは、あめ玉はオレンジだった。そういえば、こんなことをするのは、普通に戻ったようで、中野には嬉しかった。島流しというのに、こんなにのんきに過ごしていいのだろうかと中野は考えていた。  島に到着して、出迎えはなかった。いらなかった。森を囲うように建物があり、そこには術士研究所と書かれていた。漁師のうさんくさいものを見るような目で見られたが、中野達はその建物に入って行く。

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