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第27話

 中野は唇をかみしめていた。自分の気持ちをどう表現すればいいのだろうかと考えていた。柳は待っていた。言葉を。彼は穏やかな顔で中野を観察していた。まるで、中野が繊細な生き物なのだと考え、見つめているようだった。  山代はおとなしくしていた。彼は中野の力を認めていたわけではないようだった。それでも中野の言うことを聞けば、もしかしたら伊沢によって苦しめられることはなかったと、考えていた。そもそもあの土地に踏み入れなかったとも考えていた。 「俺は、子どもでいるのがいやだ」  それを言ったとたん、柳はぽかんと呆れた顔をした。中野は慌てて答えた。 「だから、力がほしい」 「君は子どもだ。思春期でありがちな考え方かもしれないな。でもね、君も子どもで良かったと思うときがあるかも。ほら、働くと大変なんだ。勉強はちゃんと成果が出るけど、働くことはがんばっても成果が出てこないなんてごまんとある」 「そんな話をしても、俺は」 「誰もが、誰かに頼っている。君は誰かに頼らず一人で生きたいのかい?」  中野は黙っていた。考えていた。 「俺、そんなことを言っているつもりはないです。  ただ、自分や誰かを傷つけるのが嫌なんです。俺が傷つくことによって誰かが悲しい思いをするということはわかっているから」  柳はため息をついた。そうして、ニコチンパッチを取り出した。すでに何枚か大きなニコチンパッチが腕につけてある。それを剥がして、剥がしたものを白衣のポケットにいれて、新しいものをつけていく。手慣れた様子だ。 「君は優しいが、愚かだ。自分を大切にしなさい。まず、それからだ。自分の保身を考えなければ、なにもできまい」  えっと中野はつぶやいていた。 「君はまだ、わかっていない。人に愛されるには、自分を愛さないと。他人を愛するから、他人に好かれるとは限らない」 「わかりません。なぜそれが、化け物が俺の言うことを聞くことにつながるのか」 「わからなくていいよ。精神論に近いから。ただ、君がいびつな子だとわかったよ。愛されたい子というのが、わかった」 「意味がわかりません」  柳は疲れた顔をした。なにかつぶやいたが、なにを言ったのか、小声で中野にはわからなかった。山代には聞こえていたのかもしれない。鋭い視線を柳に向けている。 「じゃあ、抱かれてみる?」 「は?」  柳はいきなり両手を広げて、中野に抱きついていた。柳の腕の中にいる中野は驚いている同時に、嫌悪感があると気がついた。初対面の人にいきなり抱きつかれてしまうのはいやだと思った。柳は変わっているとようやく中野は気がついた。中野はしばらく、体を固くしてその時間を耐えていた。  柳の体は固く、筋肉質であるとわかった。見かけにはわからないことだった。そうして、ほこりっぽい匂いがした。あと、消毒液の匂いがした。中野は「もういいですか」と言った。山代の目が殺気に満ちていた。 「ああ、いいよ。どうだった?」 「えっーと」 「嫌だろう? それでいいよ」  柳は中野を見つめていた。中野はとっさに目をそらした。そのまま、自分の部屋として使う部屋を案内された。オンライン授業は何時に開かれるか。パソコンのログイン方法など、簡単にパソコンの使い方を教えてもらう。柳は細かなスケジュールまでは決めていないが、大まかなものを組んでいたようである。明日はそれに合わせればいいのだろう。  あれ以来、柳は中野の体に触れることをしなかった。それに中野はホッとしたようだった。抱擁とは親しい人のための行動だ。それをようやく中野は気がついた。知らない人とハグする外国人、欧米や米国ならばわかるが、それは習慣で慣れているからだ。それに、いきなりはじめて出会った人間にハグなんてしない。  柳がなにを言いたかったのか、中野にはわからなかった。ただ、中野自身、そんなことを考えていられなかった。新しい環境に慣れなければならなかった。スマホで館内の地図を表示させる。柳は仕事があるからと言って、自分の部屋に戻っていった。  そうして、篤志からメッセージが届いた。 『探検しよう』  中野はそれを笑っていた。篤志らしい表現かもしれない。  自分の部屋に荷物が届いていることに気がついて、無理と中野は言った。部屋は窓があり、大きな窓だ。ベランダも完備されている。ベランダと言っても狭い。そこでは洗濯物や布団が一人分干せる程度である。  ベッドは二段ベッドで、部屋の端に中野と山代が使う机とイスがそれぞれで使うように置いてある。それに満足するべきか、わからない。渚の部屋に慣れた中野は部屋の狭さに驚いていた。  シャワーもなく、ここはクローゼットに荷物を入れる。たいしたものはなかった。それでクローゼットにしまえば、すぐに荷物の整理は終わる。ノートは残っていたが、学校のタブレットは返却していた。データは記録メディアに保存してあった。机にはパソコンがあった。ノートパソコンである。大量の生産されているものである。  ただ、日本のものではない。安売りをしているものである。  Wi-Fiがあることと事前に教えてもらった。パスワードを紙にメモしていた。 「山代はパソコン、どうやって使うか、わかる?」  そう問いかける山代は段ボールの荷物を開いていた。中野と似たり寄ったりな荷物である。そうして、あるものを取り出した。 「服?」  着物である。山代は広げていたが、畳んでいた。 「それ、いつから?」 「忘れた」  山代の言葉が本当なのか、中野には判断ができずにいた。そうして、山代の顔をのぞくように見つめる。かすかに唇がほころんでいるように見えた。 「なに、笑っているんだ」  意外そうな顔をした山代がいた。そうして、不思議そうな顔に変わっていた。 「笑っていた?」  中野に指摘され、自分が笑っていたとようやく気がついたようである。山代は首をかしげていた。それは女子がすればかわいらしいと思う。中野には、山代がわざとしているのではないかと考えていた。 「首をかしげて、本当にわからなかったか?」 「わからない」  山代の言葉に中野はそうかとつぶやいた。山代は目を細めた。 「中野はかわいい女の子がいいのか、ならば」 「また、人の心を読んで、勝手に心を読むなと言っただろう?」  山代は単純に中野の命令を忘れているのかもしれない。やはり力を認めさせなければ、命令を絶対に守ることができないだろうか。そんなことを中野は考えていた。それに対して山代はあまり気にしていないのか「不快だからやめたら、中野の気持ちがわからない」と言った。 「あのさ、そういうときにこそ、言葉があるだろう?」 「言葉は頼りない。人は本音を言わない」  そういうものか、中野は知らない。中野は本音を言っているつもりだ。それが否定されたような気持ちに中野はなった。 「悪かったな。秘密主義のご主人様で」  このまま、山代といても不快な気持ちになると判断した中野は立ち上がった。スマホを取り出して、バッテリーがまだあるか確認する。 「篤志と探検に行ってくる」 「俺も行く」 「行かなくて」  いきなり体を引っ張られていた中野は軽々と山代の腕の中にいた。まるで、女の子を腕に引き込むようだった。中野の体の軽さを教えられるようで、中野はくやしい。 「俺は男だ。そんなことをされても屈辱的なの」 「中野、いやだ。行かないでくれ」 「は?」 「は? じゃない。こういうときはうんだろう?」  わけのわからない言葉を投げかけられた。確かに山代の顔は整っている。もし、普段のときならば山代の言う通りになったが。柳の感触を思い出し、なおかつ山代に腹が立っているのだ。そんな気持ちになるはずもない。 「ならない!」  きっぱりと断言する中野を山代は不思議な生き物のように見つめていた。 「最近、渚と見たドラマではうまくいっていたのに」 「ちゃんと見ていたか?」 「見ていた」  バカバカしい気持ちになった中野は渚という単語で伊沢を思い出した。手首をとっさに見た。傷跡が残っている。 「わかった。ついてこい」 「いいのか?」  中野の顔をキラキラとした目で見ている山代がいた。彼の目に気圧されるように、中野は渋々といった態度でうなずいた。 「よかった」とつぶやく山代にようやく中野は気がついた。山代も本音を言葉にしないタイプだと。  館内は地下と五階建てになっている。あと、離れに貴重な本の保管庫としての倉庫がある。さすがにそこは行けないので、中野は篤志の部屋に向かう。篤志の部屋は中野から離れている。同じ二階だが、北館と東館と南館に分かれている。  その北館と東館と南館をつなぐように中央に部屋がある。そこに二人は向かっていた。 「兄ちゃん。遅いよ」  中野を迎えるように篤志と竹光がソファに座っていた。彼らは仲良くやっているようである。  それにホッとしている中野がいた。 「なにか、されなかった?」  篤志の言葉で中野は首を振ろうとした。 「中野に抱きついた」  ニヤリと山代が言った。バカと中野は言っていた。 「やっぱりねー。俺もキスされそうになった」  篤志の言葉にギョッとしている中野を竹光は平然としている。化け物が主人になにかしらのセクハラをするのは普通のことなのかと中野は考えそうになっていた。 「大丈夫か?」 「一撃必殺」 「殴ったのか」 「そうかもね」  竹光はニコニコと笑っていた。なぜ笑っているのか、中野にはわからなかった。

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