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第28話
篤志のことを竹光は本当に好きなのか、中野にはわからない。竹光にとって篤志は食べたい、カエルがコバエを食べるのと同じではと、中野は考えてゾッとした。
「気をつけろよ」
中野が言うと篤志は元気よく「うん」と言った。危機感がないと中野は篤志に対して思う。それ以上、注意すべきか中野は迷っていた。中野は自分でもうまく山代をコントロールできていないのに、そのくせ篤志と竹光のことをとやかく言える立場ではない。
説得力に欠けると考えていた。
「まあ、いいか」
そう中野が言っていた。なぜか、疲れた気分に中野はなった。二人と化け物二匹は歩き出す。まず、北館を歩く、そこは普通のホテルのようだ。毛の短い絨毯がしかれ、歩くと天井に置かれたセンサーが反応して灯りがつくものになっている。中野達はゆっくりと歩く。部屋が並び、金色のナンバープレートが部屋に埋め込まれている。
静かである。自分の出す音が大きく聞こえるようだ。人の気配はかすかに部屋のドア越しからわかるが、ドアは閉まっているのはわかっている。中野はさらに奥の部屋に行く。そこには、大きな部屋があった。荒れた海が岩にぶつかり、しぶきを上げている姿が窓から見えた。それは、海のしぶきの音が聞こえてきそうだった。
ドアは開けられ、人がいない。そうして、広い部屋だ。パイプでできた机に本が置いてある。色あせて赤だった本が日に焼けて白くなっている。そうして、本の背が割れている。割れて、二段となっている。他にも修復するべき、本のヘリが長年人の手で触ったせいですり減っているものもある。それが雑に、机に並べてある。
「触るなよ」
中野の言葉に篤志の手が止まる。わかったと篤志が言う。篤志はこっちと小声で言う。そこには、古いパソコンがある。古い型、箱のようなそれは正面には液晶がはめられている。キーボードもご丁寧にある。
「教科書でしか見たことがない奴だな」
「使えるのかな?」
「インテリアかも。そういう人がいるから」
「電源を入れて」
と、つぶやく篤志がいた。電源ボタンはどこなのかわからない。パソコンの使い方がわからないから、当たり前でもある。
「うーん。レトロでカッコいいね。昔の映画がみたいだ」
「戻ろうか」
えっーという篤志がいた。山代は篤志の首根っこをつかむ。ヒョイっと軽々と持ち上げる山代に中野は「やめろ」と言った。篤志は怒ったように山代をにらみつけていた。篤志は慣れているのか、足をバダバタと足を動かさない。
篤志は鋭い目つきをした。鞘から抜いた刃のような、冷たい光を放っている。まるで、普段とは違う篤志に中野は圧倒された。
「おまえ、前から思っていたけど、兄ちゃん以外そういう扱いは嫌われるぞ」
目つきと裏腹に篤志の言葉は穏やかなものだった。
「やめろ。ケンカはするな。篤志、ごめんな」
「いいんだ。兄ちゃんが謝ることじゃないから。悪いのはコイツだから。ただのお目付け役が意気がっているだけ」
中野にはお目付役とつぶやいた。一瞬だけ、なにかが見えたようだった。中野はしばらくぼうっとほけていた。
「兄ちゃん。どうしたの。覚えていないの?」
「なにが、あった。俺に。なにがあったか、俺に教えろよ」
中野は自分の血が沸き立つくらい怒りがあった。それはどこから生まれてくるのか、中野自身にはわからなかった。中野は篤志にえり首をつかんでいた。
「兄ちゃん? わかったから、落ち着いて」
「俺は落ち着いている」
「じゃあ、――」
「うーん。ちょっと、聞いている?」
篤志がなにか言っていた。しかし、中野には感知できなかった。なにかされた。そう気がついた中野は「間中はどこだ。あいつが、俺になにかした」とつぶやいていた。
なんで隠すんだ。なんで、聞こえないと中野は混乱していた。
間中はどこだと探していた。思い当たる場所に行こうとする中野を篤志が付いていく。まるで、迷子になり、母親を探すと子どもみたいだと中野は考えていた。
「間中、どこだ」
最初に入ったロビーに入るなり、中野は叫んだ。しかし、返事はない。いらだちを隠せない中野のあとを山代が追う。ならば、柳に会いに行けばいいのかと考えていた。スマホから電話をかける。
『中野君、どうした? わからないことが――』
「間中はどこだ?」
『間中さんなら、わからないな。図書室にいるんじゃないかな。あの人は』
「ありがとう、行ってみる」
『どうしたんだ、そんなに急いで』
「俺の体をいじったんだ。あいつ」
『?』
イライラとした気持ちが募っていくのか、中野の右足が貧乏ゆすりを始めていた。どう表現すれば、わかりやすいのか、彼なりに考えているようだった。
「俺の山代に関することを聞けない。感知しないようにした」
『なるほど。でも、それは防衛本能かもしれない』
「どういうこと?」
『君が聞きたくないから、感知しない可能性もあるよ』
「えっ、俺のせい?」
『人の感知する力は侮れない。ただ、人は見たいものを見たいと思う力が強く働く。手品だって、仕掛けがあるのに、注意を引いて、仕掛けを隠すなんてわかってもだまされるだろう?』
中野はなにも言えない。聞きたくないから? そう自分に問いかけていた。そんなことがあるのか、中野は信じられない。
「とりあえず、間中に聞く」
『君の気がすむなら、そうした方がいい。早くしないと夕食の時間もあるからね』
頭の中では柳が言ったこと、中野が拒絶するから聞けないという言葉が、ぐるぐるとまわっていた。中野はあまり考えないようにした。スマホの地図アプリを立ち上げて、図書室に行く。エレベーターに乗っていく。ドア、一人分が入るスペースと大きなドアがあり、大きなドアに書簡用と書かれている。
一般の方はこちらのドアにスマホをかざしてください。ご丁寧に書かれた紙を見て、中野はスマホをかざす。大きな、鉄でできたドアが開かれる。そこは無人の図書室だった。勝手に本を持ち出すと本を借りることになる仕組みらしい。図書室の受付がない場所だった。
本棚が広がっている。スチール製の本棚は分類を書いたプレートがついている。壁にも本棚が並び。窓がない。圧迫感がある。図書室は静かだった。人の気配もしない。電気が廊下と同じようにセンサーがついて、人が通ると明かりが灯る。
そんなことを知らない中野は駆け出そうとした。そのとたん、風が吹いた。生ぬるい風でもある。
「図書室では、走ってはいけません」
リスがいた。ぬいぐるみの。縫い目もちゃんとあり、黒いビーズがこちらを見ている。エプロンを着ていて、白い、四角いバッチには図書室司書と書かれている。大きさは子供が抱けるくらいのものだ。それが宙に浮いている。
「邪魔するな」
「邪魔なのはあなたです。もし、このまま走るなら、あなたを強制的にここから追い出すことができます。その権限を私は任されたのです」
その言葉に中野の怒りに触れた。
「やってみるなら、やってみろ。俺は間中に会いにきただけだ」
「図書館では静かにと言っているんだ、わからないの。坊や」
ぬいぐるみがあきれたような声で言った。その表情は変わらない。かわいらしいリスの顔だ。それが中野のいらだちを増殖させる。残念ながら、と困った顔をしたならば、中野も反省していたのだろう。しかし、無機質のぬいぐるみではその機微は伝わないようだ。
「うるさい。おまえなんて」
ぬいぐるみをつかむ前に、中野は目の前が真っ暗になった。そうして、空間に出てきた。そう、空間は図書室の扉の前だった。ドアの前である。鉄のドアにスマホをかざすことができた。そうして、エラーですという音声が流れた。
「司書からの警告です。大人しく、一週間ここには入らないように」
なんだと、中野は叫んでいた。そうして、ずるずるとしゃがんだ中野がいた。中野はしばらく黙っていた。図書室にいるだろう篤志に頼んで間中を呼んでもらおうとした。
「大丈夫かい」
いきなり声をかけられた。顔を上げると、人がいた。人なのか、化け物かと考えていたが、ここには化け物には入ることができまいと考えていた。
「どうして、泣いているの?」
自分と同じ歳くらい、高校生くらいの少年がいた。長い黒髪を一つにまとめている。ポニーテルだ。蛍光灯に髪の毛一本一本、反射している。それが、清潔感があった。美容室か理容室で整えているという印象を受けた。
「だっ、大丈夫だ。変なところを見せた」
「なあ、付き合ってくれるか?」
「いや、知り合いが中にいるから。図書室に用があるんだろう?」
「ああ、まあ、いいよ。じゃあ、話そう」
「話す?」
「そう。だって、君くらいの歳の子、久しぶりだからだよ」
長い髪から甘い香りがした。それはホッとするような香りだった。少年と中野は図書室の前のベンチに座る。木にできて、固い。自動販売機があり、少年がお茶を買っていた。
「これでいい」
「いや、悪い。金を払うよ」
「うん。スマホをかざしていい?」
「いいぞ」
スマホ同士でかざす。そこで金を払った。中野の目の前に紙カップがある。そこから甘い香りが漂っている。ココアのようだ。
「君、図書室に入れないの?」
「ああ、あの変なぬいぐるみが邪魔して」
「あれは、使い魔だよ。司書なんて雇えないでしょ? ここは危険な場所だから」
「安全な場所なんだろう?」
ふっと少年は笑った。それが少年の中性的な顔だと中野は気がついた。
「そうかもね」
と、少年が言った。
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