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第30話

 中野はしばらく自分の部屋で横になり、ぼんやりと過ごしていた。自分の頭の中は不思議と空っぽに近いものだと、中野は感じていた。それでも、彼は自分が普段と変わりないと考えていた。  しかし、篤志に言われた通りに、柳にメッセージを送る。柳の返事は「業務が終わったら、部屋に来る」と書かれている。山代は怒っているのか、なにも言わない。イスに座り、中野から距離をとって背を向けている。  二段ベッドの一段目のベッドに、中野は横になっていた。薄暗い中、スマホをなにげなく見ると、夜叉丸からメッセージが届いていた。  中野はこっそりと山代を観察する。山代は気がついていない。背中を向けたままだ。広い背中だと思う中野がいた。うっすらと服からでも筋肉が付いているとわかる。中野の体とは違う。後ろから抱きついたら、どうなるだろうかと中野は考えていた。 「山代、怒っているか?」  中野の問いかけに山代は振り返る。人形みたいな顔がゆがめることもない。ただ、ムッとした雰囲気があった。それは中野の神経に障る。 「ごめん。他の匂いをついているのがいやなんだろう」  山代が立ち上がる。一段目のベッドをのぞくように立っている。そうして、中野は自分を見られていることをどこか喜んでいると気がついた。そんな自分がおかしいとも考えなかった。 「中野はなにか、隠している」 「いや、隠していないから」 「じゃあ、なんで男からのメッセージをもらった」 「勝手に心をのぞくな」 「俺より楽しそうに」  それが山代の怒った理由なのだろうか。子供っぽいなと中野は思う。体が大きい分、それがかえってかわいらしく思えた。山代の顔が見えない。逆光で影になっているからだ。 「悪かったって。ただのメッセージだよ」 「友達ではない。相手は中野に好意を持っている」 「そんなわけがない。会ったばかりだぞ。それに、山代は心配しすぎ」 「中野はわかっていない」  じっと、山代が中野を見つめていた。なぜ山代の声が腰の奥にズンっと来る。それが期待しているような、そんな気持ちにさせる。それは快楽なのか、わからない。篤志が言った匂いのせいかもしれない。 「山代」 「中野」  山代がベッドに入っていく。体が大きいから狭く感じる。そうして、受け入れている自分に冷静な自分が警告を出そうする。  コンコンとドアがノックされる音で、中野は愕然とした。今、自分が山代の首に腕を巻きつけそうになっていたと、気がついた。  気持ち悪いと中野は思った。そんな中野は自分がいつもの自分ではないと思った。山代は舌打ちをした。  中野はベッドから降りていく。  山代が部屋のドアを開けて、柳を部屋に入れる。 「こんばんは。ああ、で、今日は」 「先生。俺、変」と中野は突然、言った。  柳が驚いた顔をした。中野は事情を話していた。それで柳は「山代は匂うのか?」と問いかける。 「はい。甘ったるい匂いです」 「夜叉丸か。彼か。まあ、わかった。彼もあれだな」 「知り合いなんですか?」  柳には心当たりがあるようで、えーと言った。 「男の子なんだ。しかし、彼は特殊なんだよ」 「特殊?」 「匂いで惑わすタイプで、よく化け物に狙われているから、ここにいるよ」 「夜叉丸に音声電話をしますか?」 「うん。まあ、そうしてみるかな」  音声電話していい? と問いかけるといいよと言っていた夜叉丸がいた。 『俺になにをした?』 『えっ、なにも。話していただけだよ』 『とぼけんな。俺が、化け物と』 『言わなくていい。わかった。そうか、やってしまった』 『柳だが、君は人を魅了する以外にも匂いで、なにかできるのか?』 『柳先生。ええ、まれに僕と同じようになるんです。でも、そんなことはめったにないです。あと、僕が意識してなったわけではありません。とも君が特殊体質なのかな』 『それは言えない。まず、接触は禁止する』  中野が答える前に柳が答えた。しかし、柳は腕を組んでいた。 『あと、君。もう少しだけ、慎重に動いてくれ。彼は見習いの子だよ。君は研究員だ』 『俺が』と中野はつい言っていた。 『いいんだよ。とも君。同じくらいの子を見つけて嬉しかったから、つい』 『精神を変異させることはないかい』 『ないです。あっ、変容はちょっとするかな。性行為がしたくなるような。本来はセックスレスの人間に使う薬を作っていたんです。それかな』  のんきなことを言う夜叉丸に中野はいらだちを覚えている。これから、どんな目にあうか、わからない。 『元の俺に戻してほしい』 『うん。だったら、やらなきゃ、戻らないよ』 『はっ?』  柳は目を細めていた。なにか、考えている。 『性行為以外に直す方法は?』 『ああ、薬は切らしていて。僕のところに来ればなんとか』 『私が行く』 『いえ、僕が行きます』  僕がこんなことに巻き込んだからと夜叉丸が言った。  柳の部屋に移ることになった。柳の研究室だ。廊下を出て、山代が付いていこうとする。待っていろと中野は言うことにした。 「危ないから、付いてくるな。夜叉丸は化け物に狙われるんだろう? 山代は正気にいられ自信がない上、俺はおまえに認められていないから、俺の言うことは聞かない。それに誰かを傷つける山代なんて見たくない」 「俺は平気だ」  中野の言葉に山代は届いていない。大丈夫だから、といった。柳には匂いを感知しないのか、平然としている。中野は我慢すればいいのだ。そう彼は楽観的になった。 「帰った方がいい。彼の匂いは普通ではない。君が正気でなくなる可能性が高い」  柳がいうと、山代は舌打ちをした。 「尻を見せるな」 「あのな。そんなことはしない」  そんな会話をしていた。  柳の部屋の前に夜叉丸がいた。警戒している中野に対して、夜叉丸の目は輝いていた。 「とも君、ごめんね」 「で、薬は?」 「あっ、それはね」  柳の背後から化け物が現れた。それは、男である。その男が中野をつかむ。柳は平然としている。拘束された中野に夜叉丸は嬉しそうに笑っている。 「薬がないからね。ごめんね。本当はこんなこと、したくないけど」 「なっ、なんだよ、これ。なんで拘束されなきゃ、いけないんだ」 「柳先生はわかっているんですね」  化け物は普通の男のように見えるが、拘束する手が何本もある。それで、中野の肩、中野の腕、胴、足をつかんでいる。 「やめろ」 「大丈夫だよ。すぐ終わるから」  中野の顔に夜叉丸の顔が近づいていく。夜叉丸の美しい、整った顔が近づいている。みとれてしまっている中野がいた。  柔らかい感触がした。触れている。唇に。そうして、離れた。 「ごめんね。これしか方法がないんだ」  手が離れて、中野はしゃがんだ。そうして、怒ったように「ふざけんな」と叫んでいた。 「まあ、これは有名な話だから、僕もやられた」 「はっ?」  柳の言葉に驚く、中野は柳を見つめていた。柳は苦々しく笑う。 「彼は自分に意思がなく、匂いをまき散らす。そうして、被害が出るからここにいる」 「ネットのコミュニケーションは飽きたから外に久しぶりに出たら、こんなかわいい子がいて嬉しかった。仲良くなれてよかった」 「は?」 「ちなみに、両刀使いだ」  気をつけろよと柳が言った。中野の混乱を知らない夜叉丸は、ニコニコと笑いながら近づいてくる。山代の言った意味がようやくわかった。確かに危ない。 「もう、帰る」 「待って、とも君。お茶にしない? あっ、ゲームもあるよ」 「夜叉丸、おまえ、わざと?」 「違う」  真顔になった夜叉丸がいた。さっきと違い、夜叉丸の中野を見つめる目が冷え冷えとしたものになる。 「友達になりたい子にそんなことはしない。それに、はしゃいだから、コントロールできていなかった」 「君、精神を乱すことはしない方がいい。香りが変化する」と柳が冷静にいう。 「わかった。わかった。いいよ。もう」 「SNSのアカウント、ブロックしないで」 「えっ」 「ネットなら、話してくれるよね」  キラキラとしたきれいな目、白目が白く、透明で血管も浮き出でいない。黒目はヘーゼルが薄く、外国人のようや印象を受ける。それを見ていたら、なぜか中野はバカバカしくなった。 「いいよ。変なことはするなよ」 「ありがとう、とも君」  ぎゅっと人形みたいに抱きしめられ、体がこわばる中野に「ごめん。僕、婚約者以外の人にもこういうことをするから、婚約者に怒られる」と夜叉丸は言い訳するように言っていた。 「夜叉丸。婚約者がいるなら、余計にキスなんかしていいのか?」 「うーん。ダメだよ。でも、婚約者が悪いんだよ。僕をこんな辺境に置いとくのが、だから溜まって」 「いや、その発言が問題だと思う」 「婚約者は僕のことを淫乱とか言うんだよな」  淫乱と顔を真っ赤にする中野がいた。中野の反応がかわいらしく見えたのか、夜叉丸はさらに顔を近づけてくる。 「とも君は純情そうだもんね。いいな、とも君。きっと婚約者も好きだよ。君みたいな子」 「やめてくれ」  呆れている中野がいた。夜叉丸の頭の中はどんな世界が繰り広げているのか、中野には考えたくもない。 「まあ、終わったから、帰る」 「えーっ、なんで?」 「疲れた。契約している化け物に、キスしそうになった」 「ああ、それは危険だった。最後まで、してしまうコースだね」 「夜叉丸君。さっきも言ったよね。この子は見習い。君は研究者として、気をつけるんだ。これは、上に報告させてもらう」  はいと夜叉丸がうなずいた。バイバイと言って、手を振る。立ち去る夜叉丸の背中を見てから柳はため息をついた。 「一応、検査するから部屋に入りなさい」  そう言われた中野は柳の部屋に入っていく、柳の部屋は本だらけでもある。そうして、なんとか足を進め、机に向かう。本を崩さないように歩くのは苦労する。 「ああ、また通販で買った本が来たか」  のんきにダンボールから本を取り出す。そうして、針を取り出した。ビニールに包まれ、小さな針である。それを見せた柳は「腕を出して」と言った。 「えっ」と中野は驚いた声を出していた。

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