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第31話
柳は中野の腕に消毒液を脱脂綿につけたもの、それを塗った。ツンとする消毒液の匂いとが冷たさを感じる中野がいた。柳はさっと、ビニールを破き、慣れた手つきで静脈に針を刺す。中野は痛みを感じる。そうして、抜かれた針の奥には血がたまっていた。柳は脱脂綿をしいて、指で止血をする。止血ができたら、カットバンを四角したものを貼る。
「一応、検査ね。君も夜叉丸と同じような体質だから」
「俺は、化け物に襲われない」
「でも、君は化け物を眠らすことができる」
柳の言葉に中野はどう反論するべきかと考えていた。どうやって中野は、自分が正常であると証明できるだろうと考えていた。
「念のためだ。君の弟にも迷惑をかけたくないだろう?」
「もう接触しました」
「じゃあ、この後、来てもらうかな」
「すみません」
柳は新しく透明なクリップを取り出して、針につける。透明なクリップは、交換できるものらしく、何個か机にあるのを中野は見た。針をパソコンに接続させた。
「まったく、君は変な子に好かれるね」
柳は軽口をたたくと、デスクトップのパソコンを見つめていた。血の成分を見ているのだろうか。十分ほどパソコンの画面を見ていた。
「すごいな」
そう柳はつぶやいていた。彼の目にはなにが映っているのか、中野にはわからない。ただ、体を固くして、待っているだけである。
「もう、いいよ」
「えっ、そういうのって、夜叉丸になにかされる前にするべきでは?」
「多分だけど、そのデータは夜叉丸が取っている。こちらにメールを送ってくれた。彼は律義なところがあって、接触する前の体の成分がわかるからそれを担当者に渡す」
「そんなことをするくらいなら、最初からこんなことをしなければ」
「まあ、正確だからね。もし僕が検査をすすめたら、どうする?」
「えっ、受けます」
「全部のデータを組織に渡すのかい。悪用する人間もいないなんて考えたことは?」
「そんなことはありません」
柳の皮肉めいた言葉が、中野は考えていてもいなかったことを言われたのだとわかる。組織は自分の居場所を確保してくれると幼い頃から頭にあったからだ。中野を組織が悪用するなんて考えていなかった。
「いや、すべて組織に情報を渡すのは怖くてね」
「いえ、それぞれ考え方がありますから」
「一応、君は未成年で保護されるべき人間だ。それが成人になって、危険な任務に飛ばされてしまう可能性だってあるんだ」
「いえ、平気です」
「えっ」
中野は考えていなかったが、自分がそういうことを受け入れられると考えていた。自分というものが、そういう人間、使い捨てられる人間かもしれないとようやく気がついた。傷ついているのかと中野は問いかけて、傷ついていないと思っていた。
「君は、強いんだね」
「そうではないです。ただ、自分がそういう人間なだけです」
「まあ、情報は大切だからさ。君自身、慎重になってくれるといい。組織に全部、情報を流すことは大切だが、こういう体のこと、特に君は特殊な体なんだから、絶対に全部を組織に把握されることは危険がともなう」
「なぜ?」
「それは、組織は人間の集まりで。一枚岩ではないからだよ」
「なんで、初対面の俺にそこまでするんですか?」
失礼だとわかっていながらも、中野は柳に問いかけていた。柳はまばたきをしていた。そうして、考えているようだった。
柳は腕を組んで、目はデスクトップに向けられている。
「なぜと言われてもな。君は子供だ。子供は大人の財産だ。それに、君は特殊な体をしている。研究材料としても大切だ」
中野は体をこわばらせていた。それに気がついた柳は人のよい、無害そうな笑顔を浮かべていた。柳は「もう帰っていいよ」と言われてしまった。
「ありがとうございます」
「研究対象としては、見ていないから」
「いや」
「信じていないか」
苦笑している柳はやはり変わっていると中野は考えていた。中野の考えていることがわかっているのか、柳が中野に問いかけることもない。中野は立ち上がっていた。
「送っていこうか」
「いえ、大丈夫です」
そう中野は答えていた。中野はしばらく柳の視線を背中で感じていた。
「疲れた」
部屋に戻ってきた中野は山代に言った。山代は答えない。答えない山代を中野は山代が怒っていると気がついた。だから、返事しない。
「疲れた」
もう一度、言っていた。静かである。中野は二段ベッドの木でできたハシゴにつかまり、登っていく。ベッドをのぞく、 山代は静かに目をつぶっている。
「山代?」
聞いていないのだろう。そう思ってハシゴを降りていく。山代は疲れているのか。中野も寝ようと思った。
眠りとは不思議だ。眠っている間は、自分の意識が浮かび上がっている。それは昨日のこと、今日のことで感じたこと、思いが出てくる。
中野は眠っていた。
中野の夢の中では、彼の目の前には男がいた。その男の顔が見えない。体は中野よりガッチリしている。そんな中野は、男をじっと観察していた。
男の手が中野の体を触れられる。温めてやるように、中野の腰のあたりを触られる。くすぐったいはずだが、なぜかゾクゾクと中野の背筋に快感が走る。誰だろうか、そんなことを考えていた中野がいた。
「あんた、誰?」
ひっそりと笑う男がいた。顔の表情がわかるのに、全体が見えない。知っている人間だろうか。だったら、わかるだろうと中野は考えていた。
「おまえは、俺に会いたいか?」
柔らかい唇が中野の白い喉仏を舐める。生温い、柔らかな舌が中野の肌にすべる。湿った感覚、それよりもなぜか切なくなる。自分の求めるものと違う。それがなにか言葉にできない。
「ラーメン」
そうつぶやいた中野がいた。男が消えた。ラーメンが目の前にあった。
「それ、君の?」
という声。その次に中野が意識したのは朝の日差し。カーテンの隙間から光が差し込んでいた。朝だと、だるい体で中野は起き上がる。山代はもう起きているのか、そんなことを考えていた。遮光カーテンからもれる光は強烈なものだ。窓の隙間がちょうど中野のベッドに差し込んでいたのだ。
「ラーメン、食べたい」
そうつぶやいている中野がいた。山代はどうしているのか、気になるから起こさないようにハシゴを登っていく。
山代は背中を向いていた。そこには、拒絶めいたものがあった。だからか、山代に声をかけることを中野はためらっていた。
中野は起こすのも面倒だと思って、はしごから降りた。ざわざわと胸のあたりが騒いでいるような感覚がした。
中野を拒絶する山代がいた。そんなことは今まで山代がしなかったはずだ。なのに、今は拒絶している。それが落ち着かない気分になっているのかと、中野は自分に問いかけていた。
眠っている山代を起こさないように、極力音を立てないようにする中野がいた。そんなわけがないと言い聞かせている中野が自分でも滑稽である。
歯ブラシとプラスチックのコップを持って、部屋の外に出ようと、中野はドアノブを手にかける。
「どこに行くんだ」
山代の声でびっくりし、肩を震わす中野がいた。山代はじっと形のいい唇から「逃げるのか?」という問いが飛び出た。
それが自分の柔らかな部分を刺激すると中野は気がついた。逃げたい。だから、山代から離れようとしたのだ。
「逃げるわけじゃない。歯を磨いて、顔を洗うだけだ」
自分でも白々しい言い訳だと中野は考えていた。山代はベッドから起き上がり、はしごを降りていく。それは体が身軽であるから颯爽と見える。
「俺も行く。また変なものに魅入られたら、困る」
「俺は子供じゃない」
つい反抗的なことを言ってしまった中野をニヤリと皮肉めいた笑いを山代は浮かべていた。それが中野が自分の至らないところを余計に意識してしまう。昨日のことを思い出す。夜叉丸とのキスだ。
中野が油断したから夜叉丸に捕まったと言われれば、理論的な反論は難しいと気がついた。
「わかったよ」
「そう、そうだ」
そんな山代が中野にはホッとする。いつもの山代だと安心できたからか。それとも、山代が中野を見捨てたのかと考えていたから、ホッとするのか。
山代に心を読まれているかもと考えた中野はあわてて、違うことを考え始めた。
「ここの食堂、ラーメンはあるかな」
「さあ」
「あるといいな。夢でさ、食べたかったラーメンが浮かんだ」
「夢で物を食べると風邪をひく」
山代が真剣な顔で言った。はあとしか中野は言えなかった。歩いていくと、水道場が見えてくる。そこで、歯を磨いて、顔を洗う。髪を整えていく。
山代は中野を見ないで淡々とする。
「中野は変な夢を見たか?」
「いや、なんで?」
「朝勃ちしていた」
「えっ。まだ、昨日の香りが」
「夢精の匂いがした」
だから、山代が怒っていたのかと考えていた。パンツの状態が変わっていない。
「パンツがべちゃべちゃじゃないぞ」
「それは、多分、夜叉丸が拭った」
「えっ」
それって「夜叉丸って言い切れるのか?」と会ってもいないから無理だと中野は考えていた。
「中野の体がほしいのはバケモノだけではない。人間も、だ」
山代が平然とした態度で言う。山代の言葉に中野はめまいがしそうになった。
「そんなことは一度もなかった」
「あった。中野が幼い頃に」
「誰だよ。そいつ」
「金持ちだった。中野が眠らすだけではないとわかっていたから」
「そいつはどうなった?」
「さあ、それは間中がなんとかした」
永遠に眠っているかもなと山代は笑みをこぼした。中野にはゾッと背筋が凍るほど、冷酷なものに映っていた。
「そいつ、夜叉丸とは限らないだろう?」
そう言い訳をするように中野が言った。山代は微笑んだまま、なにも言わなかった。
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