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プロローグ【悪役令息に転生した俺、最初からピンチです】
「……はっ! か、観念するがいい、この悪魔め!」
俺の存在を思い出したフレデリックが剣をふるい、俺はそれを避けようと一歩後ろにさがる。ところが高そうな革を張ったブーツは、踵が宙を切って、体が大きく斜めに傾いた。
「あっ」
「お兄さまっ!!」
俺は、階段から足を滑らせた。
上の階にいた妹、レジーナが悲鳴を上げる。
ごめんな、目の前で兄ちゃんが死ぬところなんて見せることになっちゃって。
屋敷は横に広く上に長い造りで、大階段から床までは数メートル以上ある。しかも下は大理石でできているので、このまま落ちればひとたまりもないだろう。
「うおおっ……どっちみち死ぬのかよぉっ!!」
宙を舞い、視界に豪華絢爛なシャンデリアが映ってから地面に落下するまでの時間は、スローモーションだった。
高いところから落ちると本当にこんな風に感じるんだな、と妙に冷静な感想を抱きつつ、両手を伸ばす。何かを掴もうとしたというより、浮力で自然とそうなったんだと思う。
同時に走馬灯みたいなものが次々と脳裏をよぎる。最期の瞬間に思い出したのはこの世界の人々のことではなく、日本に残してきた人たちのことだった。
学校の友達。先生。バイト先のファミレスの店長に、ちょっと気になってる女子大生の先輩。
そして……母さん。
そこから、家族の顔が浮かんできた。
小一のときにできた新しい父親と、その人の手に引かれてついてきた義理の弟の顔。
――奏 。
兄ちゃん、お前を残して一人で逝きます。
ごめん、あの家に一人で遺して、本当にごめんなさい!
――落ちる!!
風が耳を切り、だだっぴろい天井が遠のいていく。徐々に地面に近付いているのを感じ、俺はぎゅっと目を瞑った。せめて、あまり痛くありませんように。
「う……っ!」
背中にぐおっ、と激しい風の流れを感じて、いよいよ衝突すると察する。
全身をこわばらせて来る衝撃にそなえていたが。
そなえていたが、
「……う……ん?」
想像していた硬く冷たい衝撃は、いつまでたっても訪れなかった。
代わりに、
「……あれ?」
俺の体を包み込んだのは、あたたかく、柔らかい震動だった。
「――お兄さまっ!」
「ユーリ様!」
え?
レジーナとユマの声が聞こえる。
おそるおそる瞼を開けると、剣を構えたまま踊り場で立ち尽くすフレデリックの姿が見えた。
俺、生きてる?
「ゆう」
「っ!」
すぐ傍で低い声が響いて、どきっと心臓が跳ねた。階段で足を滑らせ、落ちてきた俺は、誰かに抱き留められたらしい。
「な、どうして貴殿が――」
フレデリックが愕然と口にする。
あいつの視線の先をたどって顔を上げてみると、俺を抱えている人物の正体が分かった。
「ウィングフィールド公!」
フレデリックが叫び、ユマが顔を赤らめる。
「カイ!」
カイ・ウィングフィールド。
いま日本で絶賛放送中のアニメ『婚約破棄されたけど悪役令嬢の恋人にプロポーズされましたっ!?』のメインキャラだ。
出自不明のみなしごでありながら、そのたぐいまれな武力と魔力で貴族の称号を勝ち取り、ついには王の養子になるまでに至った天才美青年――ヒロインのユマと結ばれる王子様である。
で、だ。
このホワイトハート邸で、作品の主要人物が一堂に会する。そこまではいい。
けど、そこから先だ。
「一体どういうおつもりか?」
踊り場に立っているフレデリックが精悍な眉を顰めて、俺の頭上にいるカイを睨みつける。
「人々にとって、その者がいかに害であるかは貴殿も承知のことと思われるが。清廉潔白の騎士と知られるウィングフィールド公が、そのような悪党をかばうなど!」
本来の筋書きでは、ユーリ(俺)の悪事を追及しようとしたユマの幼馴染み・フレデリックが、くしくも銃殺されてしまう。ユマはそれを見て激昂し、自分の立場も忘れて元婚約者に掴みかかる。
冷酷なユーリは顔色一つ変えず「騒々しい」とだけ言い捨て、ユマまでも撃つ。弾丸はユマの左肩を掠っただけだったが、一度は愛した男に殺されかけたショックで彼女は足を踏み外す。
――――が、ユマは撃たれるどころか、今回舞台に上がってすらいない!!
撃たれた彼女が階段から落ち、固い床に向かって一直線――ってところでスーパーヒーロー、カイがどーんと登場する。
よっ待ってました真打! さっすが本物は違う! 真の王子様は姫のピンチに間に合っちゃうんだよな、かっくぃ~!
って、ならなきゃいけないはずなのに!
「――怪我はありませんか? ホワイトハートさん」
見下ろしてくる男に俺は鼻白む。
「あ、ああ……おかげさまで」
――俺が助けられちゃったよ!! 悪役なのに!!
主要キャラたちや使用人の人たちが戸惑った空気を放つなかで、俺は王子様に抱えられていた。
「カイ……?」
あああ、ほらお前の未来の奥さん! 困惑してるよ!
そりゃそうだよな、好きな男が自分の元婚約者の男をお姫様抱っこしてるんだもん。
本当なら今の俺のポジションはユマのものだったはずだ。
が、俺がフレデリックに手を上げなかったせいで、ユマはまだ階段のそばにすら来られていない。ヒロインなのにあんな遠くから見て……いやまじで、すんごく離れてるな。
「ウィングフィールド公。もしその男をこれ以上かばうのなら、貴殿も処罰の対象とみなすが?」
フレデリックに詰められたカイは毅然とした態度で言い返す。
「処罰? ない罪を罰するのがあなた流のやり方か」
「なっ!? き、貴様までそいつが罪を犯していないと言い張るのかっ!」
ざっくり言えば主人公の今カレがろくでなしの元カレを守っている、ありえない展開だ。
……でも。
俺は、そのありえない事が起こる原因が分かっている。
「あんたが求めるなら、俺はどんな手を使ってでもこの人の無実を証明してみせるぜ」
ああ、ああもう。カイはそんな口調じゃないだろ。
ストリート育ちながら貴族の品性を身に付けたカイらしからぬ物言いに、俺は頭を抱える。
「貴様っ、なぜその男にそこまで肩入れする!? 残忍で冷徹な悪者だぞっ!!」
「当たり前だろっ!!」
怒鳴るフレデリックに負けない声で応えたカイは、堂々と叫んだのだった。
「俺は兄ちゃんが大好きだからですっ!!!!!!!」
「カイ様っ!?」
妹のレジーナが上階で悲鳴を上げる。あ、まだそこにいたんだ。
申し訳ない、いきなり自分の兄さんが他人に兄ちゃん呼ばわりされたらビビるよな。
ていうか、レジーナはカイのことが好きって設定だっけ? だからユマをいびるんだけど――ってまあ、それはいいや。
とにかく、俺はいまだに自分を抱き上げているカイ王子の胸ぐらを掴んで引き寄せた。
う、と白襟を詰まらせて近付いてきた奴に、二人だけに聞こえるささやき声で怒鳴った。
「なんでお前がここにいるんだよ、奏!?」
そう。
本作の二人目の主人公と言ってもはばかりないヒーロー、カイ・ウィングフィールド皇太子殿下は――
「えへ。
兄ちゃんが『けど恋』の世界に転生するって言うから、ついてきちゃいました!」
――俺の義弟 だった。
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