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第8話
2.
右京美樹はご機嫌だ。スマホの画面を見てにんまりと笑う。ふと、その画面に通知がいくつも表示されたかと思うと、紅の寝顔を待ち受けにしたそこを埋めるように着信画面が表示された。舌打ちをして、美樹は応答ボタンを押す。
「もしもし~? なんの用?」
「あ! なあ、聞いてくれよ! 古川がさあ……」
「それ、今必要な話? 何度もラインしてきて鬱陶しいんだけど」
「……あ、ごめん」
「で? 用事それだけなら切るよ」
「あ、いや、言われてた四堂の件もあるけど……」
明るい口調だがどこかイラついた様子の美樹に、通話相手の八木が焦ったように言う。四堂という名前を聞いて、美樹はにいっと不気味な笑みを浮かべた。
「なあんだ! それならそうとさっさと言えよー! 明日暇だから、うん。じゃあ明日ね」
嬉しそうな声が頭上で響くことに不快感を覚えて、紅がゆっくりと瞼を開く。その不機嫌そうな顔にキスをして美樹は手に持っていたスマホの終話ボタンを押した。
「おはよう。紅ちゃん。昨日は無理させちゃってごめんね」
「……でんわ……?」
カラカラになった声で紅が問う。その質問にニッコリ笑うと美樹は額にキスをした。
風呂から上がった後、その細い身体を再び抱いた。嫌だなんだと騒ぐ口に唇を重ねてゆっくり動くと、紅のナカがきゅうきゅうと締まった。堪らず射精しそうになっていると、それに怯えた紅が目を見開いて背中をバシバシと強く叩く。
紅の口内を掻きまわしていた舌を抜いて、唇を解放した美樹が一度も二度も一緒だよと囁くと、紅は抵抗する気力さえ失せたのか、美樹の背に爪を立てていた手から力を抜く。唇をきゅっと噛んで静かに泣きながら揺さぶられる姿に愛おしさが増して、何度も好きと繰り返し吐き出しながら吐精する。
夜深くまで美樹に好き勝手身体を暴かれて続けていた紅はほぼ気絶に近い形で、ぷつりと限界を迎え、眠りに落ちた。疲れ切った汗だくの小さな身体の横で、美樹も一度眠りにつく。抱き締めるようにして眠った男は、紅よりも早く起きて、彼の身体を綺麗に整えると、雪のように白い整ったその寝顔を盗撮して暇を潰していた。かわいいと言うよりは、綺麗という方が近いだろうとかどうでもいいことを考えながら。不機嫌そうなその寝顔を堪能する。
「なんでもないよ」
軽いその口調に紅が眉を顰める。美樹はその不快そうな顔を見て、愛おしさに顔を綻ばせた。
紅のすべてが愛おしい。美樹のことが嫌いなくせに嫌だと言えないところも、たまに与える美樹が干渉しない時間に本を読む姿も、大好きなおにぎりを食べているときも、すべてが愛おしい。紅に、紅の瞳に、自分だけを映したい。そう思うのは自然な事ではないだろうか。
―その為にはまず、あの幼馴染が邪魔なんだよなあ。
美樹は頭に浮かんだ黒髪のいかにもスポーツマンという見た目の少年を思い出して、顔面から笑顔を消した。それを見た紅が、怯えた表情を浮かべると、パッとまた笑顔に戻して、すりすりとその柔らかい肌に頬擦りする。薄く目を開いて、部屋に差し込む陽の光を眺めながら、八木が上手くやれたらいいんだけど。と、下僕のようなクラスメイトを思い浮かべる。あほ面の彼に任せてはいるけれど、失敗した時のことも考えておかなければならない。元よりそのつもりだから期待なんてしていないけど。美樹は欠伸をひとつして、顔をあげると、にへらと笑って首を傾げた。
「紅ちゃん、ご飯食べる? 作ってあげよっか?」
ヒート中のオメガは生活力が著しく下がる。そもそも、今は美樹が身体だけ満足させているから落ち着いているだけで、本来ならヒート中のオメガは発情以外のことはできなくなると言われているのだ。今日はうんと甘やかしてあげよう。そんな美樹の厚意を知ってか知らずか、紅は一言気持ち悪いと首を振った。また中出しして泣かせてやろうかと思ったのはここだけの話だ。
不審な顔を浮かべる紅の腹がぐうと鳴ったので、返事はそこがしてるねと笑ってやると、紅は顔を真っ赤にして黙ってしまった。勝手にキッチンを借りることにして冷蔵庫を物色する。ヒートに備えていたのか、高カロリーのゼリー飲料が箱ごと押し込まれていて、少しものぐさなところもあるのだなと意外な一面に感心する。適当にオムライスでも作るかと決めて、卵と野菜とブロックベーコンを台に出し、美樹は鼻歌を歌いながら冷蔵庫を閉めた。
「はい、あーん」
「自分で、食べれるから……」
ふわふわのとろとろオムライス。あまりに美味しそうなそれに紅が驚いていると、美樹が一口スプーンで掬って差し出した。それを断って自分の分のスプーンで一口食べると、絶妙な味付けが口に広がる。
「美味いでしょ? オムライスだけは得意なんだよね」
得意というレベルではない。その専門の店でも顔負けのレベルだ。紅は母が仕事が忙しい人だったから自然と料理が上手くなったが、美樹は違う。右京家にはお手伝いさんがいるはずだ。わざわざ自分で料理することなんてない。本当にたまに作る程度だろう。いくら得意とはいえ、それがこのレベルなら、他の料理だって相当なものであるのは容易に想像できる。何でもできるアルファっていうのは、嘘じゃないんだなと感心して、付け合わせに出されたスープも一口飲む。しっかりとオムライスとのバランスも考え、調和のとれた味付けに紅はため息を吐く。これは悔しいけれど素晴らしいものだ。
「……美味しい」
「! ほんと? うれしいなぁ」
褒めると、頬杖をついて眺めていた男は満面の笑みを浮かべた。自分の分は食べないのか? と聞きたげな目で見ると、食べるよ、と言って美樹もスプーンでオムライスを食し始めた。
***
右京美樹は、ご機嫌だった。三連休は紅の家で泊っていこうと考えていたが、予定外に八木の仕事が早かったので仕方がない。紅の柔らかな肢体を思い出してニコニコと笑顔になりながら。待ち合わせ場所に向けて歩く。
駅前のファミレスに入ってそばかすのある平凡顔を探すと赤いインナーカラーの入った黒髪がひょこっと立ち上がって、美樹に向けて手を上げた。
「よお。古川たちも来てんじゃん」
「まあ暇だったからな」
「あっそ。んで? どうだったの?」
不自然に開けられたソファー席に腰を下ろして、美樹は足を組みメニューを広げながら問う。
「四堂の友人って奴と言われた通り仲良くなったぜ。今度合コンしようってんで高木咲の友達も呼んでもらう予定。上手くいけば人数合わせで高木咲も来るんじゃねえかな」
「そ。俺も行ってもいいけど、紅ちゃんが拗ねたら困るしなー……頼める?」
「古川と河合が居たらなんとかなるだろ!」
「ほんとにー?」
ちらっと古川と河合と見て美樹が言うと、古川はあっさり頷いた。しかし、河合はというと黙ったままでコップを握った手をじっと見たまま口を開こうとしない。
「河合? 聞いてるー?」
「俺は……その、他校のやつらを巻き込むのは、ちょっと」
もしもーしと目の前で手を振る美樹に漸くぽつりと河合が言葉を零した。あまり乗り気ではないその一言に、美樹の目が細まって、さっきまでの笑顔が姿を消す。
へえ、と小さく呟いた声に大袈裟なほどに河合の肩が震える。関係ないはずの八木や古川までもが緊張で固まってしまっていた。
「やりたくないなら別にいいよ。うん、無理強いはよくないしね」
ぺらぺらとメニューを捲りながら、美樹は明るい声で言った。
「まあ、でも…………そうだな」
ピタッと前菜メニューのページで手が止まる。美樹が手を顎に当てて何かを考えるようにして頷いた後、河合を指さし、言った。
「退学と引っ越しの準備くらいはしといてね? あ、転校か! はは、間違えたわー」
けらけらと笑いながら美樹は注文用のベルを押せと八木に視線を送る。八木が視線に気が付いて、慌ててベルを押そうとしたその時、緊張かなんなのか、冷や汗を掻いた河合がそれを制止する。
「わ、悪い。冗談だよ……やる。やるから」
「……ふぅん、じゃ、お願いね。失敗したら、分かるよね」
にこりと笑って美樹は河合の目を見つめた。
「どんな手を使ってでもいいから、四堂蒼 のすべてを奪ってやってよ」
「高木咲も?」
「勿論。アイツの女はアイツ一筋っぽいから、ダチから落として仲良くなるといいんじゃない? 最終的に四堂蒼と一緒に居られなくなるならどうだっていいよ」
「無理矢理ヤってもいいわけ?」
「好きにすれば~?」
スマホを出して適当に弄り始めた美樹に二人はそれぞれ様々な反応をして見せた。河合は居心地の悪そうな顔、古川は楽しそうな顔だ。それを見ながら八木は少し気まずそうに注文用のベルを押した。
***
右京美樹は、ご機嫌だ。目の前で笑う少年は自分と紅が寝たことを知らない。
ファミレスを出てすぐのところで、困っていた老婆を助けていた四堂蒼と出会ったのは全くの想定外だった。美樹は本当にただの気紛れで、蒼に話しかける。
「なーにしてんの? 蒼クン」
「ん? あ! 美樹じゃねえか」
明るい太陽のような笑顔が美樹に向けられる。八木と古川と河合は少し離れたところで様子を見ており、二人の会話は彼らには届かない。
一人か? という蒼の質問にそうだよと平然と嘘を吐いて美樹は彼が手に持っているお礼の品を見た。
「人助け? 相変わらず底抜けに人がいいね」
「そうか? 当たり前のことだろ」
カラッとした笑顔で蒼が笑う。今お前が当たり前のように人助けをしている間にも、大好きな紅ちゃんはヒートで苦しんでいるぞと心の奥底でほくそ笑む。表面に張り付けた笑顔にはひとかけらも出しもしないで、美樹は蒼の肩を叩く。うっかり漏れそうな笑い声を、すごいねえという関心したような演技で押し込める。
昨日もこうやって街で人助けなんてしていたんだろうか。それとも彼女と遊んでいた?どっちにしろ、お前がふらふらしている間に、紅の処女は美樹の物になったのだ。アルファではない蒼では紅の番にはなれない。そうやってぼんやりしているうちに何もかも失って、漸く紅が好きだと気が付いたころには、すでに彼はこっちの物だ。お前が紅の幼い頃を知っていようが関係ない。今、紅を支配しているのは、間違いなく右京美樹なのだ。
お人好しという言葉がとても似あう紅の幼馴染は、美樹の本当の顔も知らないで、へにゃりと笑って、「彼女と待ち合わせしているんだ」とそこを去った。
美樹は、大層気分がよかった。
この気分のまま、また紅に会いたくなって、美樹は三人に別れを告げて、また再び紅の小さな城へと足を向けて歩き出したが、その前に一度家に着替えを取りに帰らないとな。と考えて、足を実家に向けた。
***
三連休の間はほとんどずっと紅の家に居座った。紅は迷惑そうにしていたが、ヒートもあってろくな抵抗もできずにいる彼をあの手この手で言いくるめるのは実に簡単な事だった。
泊っている間の中で最も印象深かったのは発情してなにも考えられなくなっていた紅だ。いつもは嫌いだと訴える目で見るくせに、その時ばかりは、とろんととろけた目でやたらとセックスしたいと強請った。
その可愛い顔に焼き切れそうな理性を必死に繋ぎ止めて、「ゴムないから子供できちゃうよ?」と意地悪く聞いたら、頭がいっぱいいっぱいになったのか泣きながら首を振って淫らに挿れてほしいと言った。言葉は届いていないなと分かっていたが、紅の可愛いおねだりを見て我慢できるほど理性的な人間ではないので、美樹はその言葉に甘えることにした。
持ち込んだ制服に着替えると紅の額にキスをして部屋を後にする。時刻は午前十時を回っている。学校に登校するには遅すぎる時間だが、自分を咎める大人なんて極僅かだ。どうだっていい。それよりも、わざと置いてきた美樹の匂いが染み付いた服で、紅のヒートが悪化しないかが気になる。さっさと授業を受けて帰ってあげないと、一人で寂しく自慰しているかもしれない。
美樹はにぃっと笑ってまた鼻歌を歌う。最近お気に入りのその歌は、ストーカーがモデルの曲だ。
「あ! やっときた。おせーよ! 体調不良?」
教室のドアを開けると、誰よりも遅い登校に近寄ってきた八木が心配そうな声を上げた。ちょっとねと笑って自分の席にどかりと座る。紅の席は空席のまま、今日一日使われた形跡はない。それを見て美樹はまた鼻歌を口遊む。
「最近その曲好きだな」
前の席に座る古川が美樹の方に振り向いて言った。まあね~と笑って頬杖をついて美樹は窓の外を眺めた。背の高い河合が少し邪魔だがまあそれはどうだっていい。空はどこまでも青くて、まるで美樹の心の中のように晴れ渡っている。
スマホを取り出して紅に学校着いたよとメッセージを送る。少しして紅から「そう」とだけ返ってきた。それだけでも心は踊り出したいくらいだ。
「なんか今日機嫌いい?」
「紅ちゃんとセックスしてきたからねー」
「え?」
「まじ?」
「したの? セックス」
八木がポツリと尋ねた言葉にさらりと流す様にそう返事した美樹の言葉に、三人は驚いた声を上げる。ちらりと揃って紅の席に視線を送る。
「ばーか。ヒートで休んでんだよ。今日も紅ちゃん家に帰るつもり」
「恋人かよ……」
ぽつりと古川が零した言葉に美樹はスマホを操作していた手をピタリと止めた。ちっちと指を振って否定すると、美樹はにっと不気味なくらい口端を釣り上げて笑う。
「…………そんな甘い関係じゃないよ、俺と紅は」
くすくすと、美樹の嗤う声が教室に響く。クラスメイトは、その奥にしまいこまれた狂気を感じ取った。ごくりと息を飲んだのは、誰だったのか。古川達の背筋を、嫌な汗が伝った。
2. 終
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