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第15話
9.
強い光が瞼を突き刺す。眩しさに顔を歪めて、紅は寝返りを打った。ゆっくりと開いた瞼の先には、造形のいい顔が瞼を閉じてすぅすぅと寝息を立てている。いつもは綺麗にセットされた髪の毛も今はありのまま無造作に流されている。綺麗な栗色の髪を眺めながら、紅は夢ではなかったことを理解した。
身体をゆっくりと起こすと、ずきんと腰が悲鳴を上げた。痛いと腰を撫でてため息を吐く。眩しいくらいの朝日が、真っ白なシーツに反射したので、紅は思わず窓を見た。昨日の雨が嘘のような晴れ空。真っ青な空に浮かぶ太陽があまりにも目に痛くて、手で影を作る。
隣で眠る美樹がもぞもぞと動いて、気怠そうに紅の名前を呼ぶ。返事はしないで紅はベッドから降りようと布団から足を出した。
しかし、困ったことに腰の激痛が立つことを阻んでおり、紅はべたりと地面に倒れ込む。声にならない声を上げていると、美樹がベッドにいない紅を不審に思ったのか、身体を起こして蹲るその小さな白い肌に向かって声を掛けた。
「なにしてんのぉ?」
「……っ」
「ああ、腰か。起こしてくれたらいいのに」
よいしょという軽い掛け声とともに美樹が立ち上がって、紅の元へとやってくる。肩と、膝の裏に腕を差し込んで持ち上げると、ゆっくりとベッドに寝かせて額にキスを落とした。
「着替えなきゃね」
くすっと笑って美樹がクローゼットの前に立つ。扉を開けて適当なTシャツと下着を選ぶとそれを手に着替えを始めた。紅は、着るものがないので黙ってそれを見守る。
学校指定のスラックスを履くと、ワイシャツを羽織って紅の元に戻ってきた美樹は、枕元のボタンを押して、長田を呼び出す。二、三、言葉を交わしてやりとりを終えた美樹は、ニコニコと笑みを浮かべながら、ばふんとベッドに再び身体を沈めた。
「あーあ、学校だりぃな~」
大袈裟にいう美樹に居心地の悪さを感じながらも、紅は黙ってキングサイズのベッドの上で大人しく長田を待つ。美樹との会話を聞くに彼が自分の服を持ってくると言うのがうっすら分かったので、その登場を今か今かと待っていた。
しばらく怠い怠いと喚く美樹の傍で無言で困った顔で座っていると、ドアをノックする音がした。跳ねるように起き上がった美樹が部屋の入口まで向かい、ドアを少し開けて長田らしき人物と少しばかり話をして扉を閉める。
その手には真新しい志賀崎の制服があって、紅は首を傾げた。
「紅ちゃんこれに着替えて。腰痛かったら手伝ってあげる。昨日汚したお詫びに新しいの用意させたけど、サイズ合う?」
ばさばさと渡された制服と、新しい下着を受け取る。戸惑ったまま、ありがとうと言うと、美樹はいつものように目を細くして笑った。
黄色地にリンゴがプリントされたセンスのいいボクサーパンツを手に取る。普段紅は灰色一色か、黒一色のものしか買わないので、こういった下着は新鮮な気持ちになる。一人ドキドキしてそれを履こうとすると、ずきんと腰の痛みが主張を訴えた。
「~~っ」
「あは、痛い?履かせてあげよっか」
美樹がにこやかに下着に手を伸ばすのを咄嗟に引っ張って回避し、冗談じゃないと目で訴える。そんな羞恥はお断りだと強い気持ちで睨めば、こわーいとおどけたように笑って見せた。
なんとか痛みを堪えて下着とズボンを履き終えると、次に美樹が選んだらしい真ん中に海月のイラストが描かれた黒のTシャツを手に取る。よく海月が好きだと知っていたなと感心しながら袖に腕を通すと、サイズは驚くほどにピッタリで、紅はどんな顔をしたらいいのか、なんとも言い難い気持ちになった。
ワイシャツに袖を通してボタンを閉めると、美樹に声を掛けた。
「着替えた……けど」
「あ、準備できた? じゃあ朝飯食べよ」
にこっと笑った美樹が、紅のことを抱き上げる。自分で歩くと言いたいが、歩けないのが現状だ。少しすればマシになるとは言え、この羞恥はどうにかならないものか。ため息を吐いて紅は美樹の肩に腕を回した。
朝食を食べ終えて美樹に湿布を貼ってもらい、腰の痛みもなんとか我慢できるようになり、長田に頼んで自分の鞄を持ってきてもらうと美樹と一緒に右京邸を出る。二人揃って登校、なんて非常に嫌な現実だが、マシになったとはいえ腰に走る激痛は無視できるものではない。酷くならないようにと美樹が用意した車に乗り込んで、以前世話になった速水に軽く挨拶すると車は志賀崎高校に向けて走り出した。
距離はそう遠くないらしいが、どれくらい走るのか。隣でニコニコと笑いながら話しかけてくる美樹を煩わしく思いながらぼんやり考えていると走っていた車がブレーキを掛けた。
頬杖をついていた手を下ろして、運転席を見るが、完全に分離されているため速水の様子を伺い知ることはできない。隣に座っていた美樹がスマホを取り出してポチポチと弄り始めたので、着いた訳ではないらしいと言うのだけは分かって、紅は大人しくシートに背中をくっつけた。
それから三分ほどで車は学校の駐車場に止まった。当たり前のように止まるその車に文句を言う人間は誰もいない。紅の鞄を速水が受け取って、美樹が紅の手を取り、車から降りると、じっとこちらを見る幾人かの生徒の目が合って、紅はつい俯く。
速水から鞄を受け取って、美樹と彼が何かを話し終えるのを待って校舎に入ると、下駄箱で靴を交換しようとして、手が止まる。そういえば昨日自分はどうやって連れて帰られたのか。自分の何も入っていない下駄箱を見て顔を覆いたくなる。
「右京……あの、俺の上履き……知らない?」
「俺んとこ入ってるよん」
その所在を知るのは恐らく一人なので、後ろに立つ男に問う。当たり前のことのようにけろっとそう口にする男に紅はため息を吐きたい気持ちを抑えて美樹の下駄箱を開けた。どうして同じ場所に違う上履きを二つも入れるのか。自分の分を手に取って履き替えて、登校用のローファーを自分の下駄箱に片づける。
同じように上履きに履き替えた美樹が紅の小さな手を取って、歩き出したので、紅もそれに倣って歩き出した。
***
すべてが上手くいっていたはずだった。障害なんて少ししかないと思っていた。すべてが上手くいっていたはずだったんだ。
親し気に話す紅と高木葵を見て頭の中が真っ白になる。黒夜の言葉が頭に過った。
――アイツも、邪魔なんじゃねーの?
そうだ。邪魔だ。紅に余計なことを吹き込むかもしれないし、紅が美樹から逃れるために、葵から番関係を提案されたら飲むかもしれない。高木葵という男は、人を愛することができないらしい。身内は別として、伴侶を作らないのは、作れないのだという話が、一部では有名な話だった。人を愛する気持ちが欠如しているので、簡単に人を切り捨てられるという噂がある。それを押しとどめているのが妹の咲であるというのも有名な話だ。
では、その妹の咲が美樹から逃がす最後の手段として兄と番うことを提案したらどうだろう。紅はそれに乗るだろうか。自分の周りの人間すべてを犠牲にしてでも、自由を望むだろうか。
美樹は、初めて怖れを知った。自分の思い通りにならない紅が、その手を取る可能性はゼロではない。約束なんて対したものじゃない。ただ、制限を課しただけ。守るか否かは、紅次第である。
趣味が悪いと友人は言った。それは何に対してだったのだろう。このことを予期していたのならもっと早く言えよ。
美樹は綺麗に整えた髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜて深くため息を吐いた。
そもそも、美樹がイライラしている理由はこうだ。
二時間目の体育の授業の時、紅が気分が悪いと言って保健室に向かった。美樹もついていこうと考えたが、間が悪く長田から電話がかかってきたので仕方なく保健委員でもある河合に紅を任せて電話に出た。電話の内容は大したことはなかったが、戻ってきた河合が寝たら治るだろと言うので、授業終わりに様子見るだけでいいかとその時はそう考えた。
授業が終わってすぐに保健室に向かうと、聞きなれた紅と養護教諭である高木葵の楽しそうな声が廊下に漏れ出ていて、美樹は思わず身を隠した。扉が開いて、紅が姿を見せる。馴れ馴れしく肩を抱いた葵が紅の頭を撫でて、照れたように笑う紅が軽くお辞儀をした。
その後もなにか親し気に話をしていた二人は、チャイムが鳴る前に保健室の前を後にした。美樹には見せない笑顔を葵に向ける紅を、ただじっと見ていた美樹は、胸の内にどす黒いなにかが溜まるのを感じる。
話の内容こそ上手く聞き取れなかったが、部分的に聞き取った単語は「番」に関係したものだった。
「なあ、古川」
暗い美樹の顔に、古川はどきりと肩を跳ねさせて驚いた様子で答える。
「な、なんだよ……」
「俺って優しいよなあ?」
「は? あー……いや、優しい、と思うけど」
唐突な問いかけに古川は困惑したように答える。
その答えを聞いて、美樹はますますイライラが高まった。美樹は紅のすべてが欲しいと思っていた。その為に傷つけ犯した。その瞳に自分が映るのが嬉しくて、何度も印象深く心に根付くように毒を与え続けたのに、こんなにも簡単に、自分の場所が奪われることに怒りを覚えた。
紅の瞳に簡単に映り込む高木葵にも、四堂蒼にもイライラが募る。美樹という存在が居て初めて紅の心に住むことを許された葵が簡単に番になれるのは度し難い。
これから優しくして、少しずつ気持ちを自分に向けさせて、着実に右京美樹という人間を愛させるつもりだった。諦めがやがて愛に変わることだってあるというし、どんな形であれ、紅の愛が手に入るならそれでいいと思っていたのに。
どうして横やりが入るのだろう。こんな時に限って。
ため息を吐く。万が一の時のために取っておいた錠剤を見つめて、美樹は少し笑った。欲しいものは、何が何でも手に入れる。それが、右京美樹という人間だ。
ぎゅっと薬を握りしめて、美樹は紅に話しかけた。至って普通に、いつも通り、変わらない笑顔を装って。
「紅ちゃん、今日一緒に帰ろうね」
右京がそう言ったので拒否権なんてあるはずもなく、紅は放課後になると帰り支度を整えて美樹の前に立った。
古川達と話していた美樹が、三人にまた明日ねと笑って手を振ると、紅の方を向いてにっこりと笑う。その顔にどこか影があるように感じたが、紅はその違和感の正体を突き止めることはしないで、鞄を持つ手をぎゅっと握った。
「おまたせ。紅ちゃん」
美樹が立ち上がって鞄を持つと、「車呼んであるよ。ついてきて」と言うのでそれに従って後ろを歩く。二人分の足音が廊下に響く。紅は夕焼けに染まる窓越しに美樹の顔を覗き見た。
息が、止まりそうな気がした。驚く程暗い顔をした美樹が振り返った瞬間、その顔に笑みが浮かぶ。今のは見間違いだったのかと目を擦るが、そこには綺麗に弧を描いた口元に細まった目元、誰が見ても笑っているとしか答えないだろう美樹しかいない。恐ろしくなって、後退るが、腕を掴まれて空き部屋に投げ入れられると、鍵が閉じる音がした。
コンピューターが並ぶ教室。靴を脱ぐ場所で脱がずに上がり込んだ自分は後で反省文でも書かされるだろうか。と、現実逃避する。目の前に立つ男の顔がやけに怖くて、紅はぺたんと腰を抜かした。
手に何かを持った男は、それを口に含むと紅の腕を掴んで強引に引き寄せ、唇に噛みつくようにキスをした。赤い舌が口の中で絡み合って、唾液が混ざり合う。息継ぎができないほど激しい口付けに、思わずごくんと何かを飲み込んで、紅がハッと美樹の胸を叩くと、漸く舌は離れて言った。
「けほ、けほ……何……?」
「はは、すぐにわかるよ」
にこっと笑った美樹が手に持っているコンドームを見て、紅はどうせ媚薬の類だろうと勝手に決めつけた。またしたくなったのかと呆れた顔で見ていると、どくんと心臓が激しく脈打つ。ばくばくと早鐘を打つように鼓動を高めるそれと、どっと噴き出る汗、明らかに媚薬ではない慣れた渇きに身に覚えがありすぎて、紅は混乱した頭で半ばパニック気味に言った。
「そん、な、この前きたばっかなのに……どうし、て」
はあ、と熱い吐息を漏らしながら、紅はぱたぱたと零れ落ちる汗を凝視する。ヒートが来るには周期が短すぎる。しかし、これは間違いなくー
「誘発剤、錠剤化したんだよ。副作用があるからまだ実用化には至ってないけど。……さっき飲んだでしょ、もう効いてきた?」
美樹がくすくすと笑っている。ヒートであるという証拠と言わんばかりに差し出された薬の殻を受け取って、シートに書かれた文字を見る。試作、ヒート誘発剤と書かれたそれは、美樹の言葉を裏付ける証拠だ。
「紅ちゃんさあ、高木と二人で何してたの? イイこと沢山教えてもらった? 体調悪いのに楽しそうにお喋りしてたね? 俺が知らないとでも思った?」
ニコニコと笑みを浮かべた男が並べた言葉に紅はぞくりと背筋を震わせる。高木葵と話をするのはまずいとは思っていたが、昨日の件で少し油断していたのもある。結局昨日葵と話したことは、彼の言う通り誰も知らないで美樹の耳に届くことがなかったのだ。
だから今日も、体調が悪くて吐き気を催した二時間目の体育の時、葵が隣に座って話をするだけで気が紛れたので、油断して少し話をしてしまった。少しくらいなら、授業中だし誰にも知られることないだろうと思ったのだ。まさか、美樹が知っているなんて、だって、授業が終わって教室に帰った時美樹はすぐ後にトイレ行ってた~と平気な顔で教室に……。
ぐるぐると思考を巡らせて、紅が何かを言おうと小さな声を漏らすと、美樹は笑みを益々深めた。身体を突き飛ばされて、紅が地面に肩をぶつけると、美樹はその小さな身体に馬乗りになる。
つう、と紅のチョーカーに指が触れて、コツコツと爪がセンサーパネルを叩く。
「高木に尻尾振る紅ちゃんのこと、高校卒業まで信じて待ってあげらんねーや」
「う、うきょう……?」
茶水晶のような瞳が、紅をじっとりと映して、笑う。
「今すぐコレ外せよ。じゃなきゃもう、お前のお願い聞いてやんねえよ?」
命令口調のそれに、高木葵の言葉を信用していいのであれば紅は反抗していただろう。だけど、それを信じるに足る信頼関係が二人にはなかった。少し悩んで、紅は唇を噛む。ピピッと高い音がして、紅の首元からチョーカーが外された。
「や、優しく……噛んで、ください……」
紅は震える声で言った。美樹好みにそういえば、少しは機嫌がマシになるだろうか。そう思って、吐いた言葉は、屈辱以外の何物でもない。しかし、ご機嫌取りをしなければ、自分の周りにも危害が及ぶ。多少つれない態度を取っても許されていたのは、全部美樹の気紛れだ。それがなくなればもう、自分の行動ひとつで、誰かがどうにかなるのは、以前見せられて分かっている。昨日のように、葵の言葉で調子に乗って反抗的な態度を取るのは、もう許されない。
泣きそうになるのを堪えながら、紅は手に持ったチョーカーを大事そうに抱える。その姿に満足したのか、美樹はにこやかに笑って、紅の手からそれを奪うと、近くの机に乱雑に置いた。
身体を反転させた紅の服を一枚一枚脱がせながら、美樹は項を舐めた。生温かい肉の感触が肌を這う感触に紅は背筋を震わせる。びくっと身体を震わせて、ヒートで頭がぼんやりし始めた紅の項を、丁寧に味わうように、美樹は軽く歯を立てた。
「ア˝っ」
喉仏に手を添えられながら、紅は小さく悲鳴を零す。ぺろりと項の噛み痕を舐められてぞくぞくと身体を震わせると、美樹の手がいつの間にか後孔に伸びていて、思わずその手を掴む。
「まっ……て、ちが、心の準備、させて、ぅあ」
「えっちだね、それ。でも駄目。散々期間あげたでしょ」
「や、あ、あ、ん、んぅ……あっ」
はあ、と熱い吐息を耳元で零されて、ぞわぞわと肌が粟立つ。とろとろに濡れた後孔に指を挿入されて何度か抜き差しを繰り返され、その度にわざとなのか、長い指が前立腺を掠める。何度かイキそうになっていると、指がぬぽっと引き抜かれて、美樹の勃起した陰茎がピタリとそこに宛がわれた。
「ぁれ? うきょ……ごむ、は?」
「ごめん……余裕ねえや」
ぼーっとした頭でコンドームの所在を問うと、息を乱した美樹がそう言って、腰を押し進めた。ずぷぷっと美樹の怒張が紅の狭い後孔に侵入する。息を詰まらせて奥まで挿入ったそれを、美樹は息を整えてゆっくりと抜き差しする。段々スピードが上がっていき、浅いところから奥深くまでを一気に突くようになるころには、紅はほとんど理性が剥がれ落ちていて、喘ぎ声を我慢することができなくなっていた。
「あっ、あ、ああっ、ん、あ、あっあ、あぁ~~~」
「これで、俺だけの、もの……!」
絶頂に達する直前で、美樹は紅の項を強く噛んだ。肌と口の隙間から熱い息が零れる。べろりと噛み痕を舐めて、中に出した精液を擦りつけるように腰を振る。少しして、冷静になった自分が、ゴムを着けなかったことをほんのちょっと後悔するのを知らないまま、美樹は満足そうに笑った。
9. 終
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