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第16話

10.  目が覚めると、見覚えのある天井が視界に映った。  むくりと身体を起こして、紅は隣を見た。整った顔立ちの美樹が枕に半分顔を埋めて、すーすーと寝息を立てている。今なら、その首を締められるかもしれないなんて、淡い考えが浮かんでその手を伸ばそうとして、やっぱり止めた。それをしたところで、どうせ、美樹が目を覚まして止められるのが落ちだ。はあ、とため息を漏らす。 「やらないんだね、紅」  うっすら目を開けていた美樹がそう呟く。寝ているとばかり思っていた紅はびっくりして肩を跳ねさせた。 「…………やったところで、なにか変わるわけじゃない」 「俺からは逃げられるよ?」 「……右京から逃げたとして、その先になにがある? ……またいつか同じようなアルファが現れるだけだ……」  ぽつぽつと零した言葉に嘘偽りはない。すべて本音だ。美樹から逃れたいとは思うけれど、彼を殺してまですることじゃない。逃げた先で別のアルファに捕まったら? またそのアルファを殺すタイミングを伺うのか? そんな血に塗れた人生なんてまっぴらごめんだ。 なにか、とんでもなくいい方法があればいい。番関係を解消できるようなそんな方法が。本来なら美樹の独断でしかできないそれを、紅の意思でできるようにする方法があれば……なんてそれこそ夢の話か。紅はまた、ため息を吐いて布団を握る手の甲を眺めた。 「……ふーん。紅ちゃんお腹空かない?」 「…………ちょっと」 「そ。じゃあご飯にしよ」  じっと紅を見ていた美樹は、紅がそれ以上何も言わないのを理解して、身体を起こす。大きく伸びをして問いかけた言葉に紅が短く返事をすると、満足そうに頷いてボタンを押した。ランプがオレンジ色に点灯したのを確認して、長田を呼びつける。その横で紅はぼんやりと広い室内を見渡した。そこは昨日も訪れた美樹の私室だった。  いつの間にここに運ばれたのか分からないが、とりあえず首元を触る。スカッとチョーカーの感触がなく、指が空気を掠めて、紅は現実を思い知る。 「紅ちゃんのチョーカー、長田に預けてあるから安心していいよ」  ないと不安になるもんね。と、美樹が笑う。そういう意味で首元を触っていた訳ではないが、その所在が気にはなっていたので、ありがたく頷く。  ガチャリとドアが開いて長田が顔を上げた。お呼びでございますかと尋ねる男に、美樹はご飯の準備してとだけ言う。かしこまりましたと頭を下げた長田は手に持っていた紙袋をドアの横のテーブルに置いて、部屋を出ていく。  立ち上がって、美樹は長田の置いて行った紙袋を手に取り、紅に押し付けると、着替えよっかと笑った。  温かいスープを口に運ぶ。慣れた動作だけれど、いつもと違うように感じるのは、番ができた変化からだろうか。なにも変わっていない筈なのに、何かが変わってしまったような、そんな感覚。  ずくんと項の傷跡が疼く。そこにあると主張するように熱を持つそれに、紅は不快感をあらわにしながらそっと手を重ねた。夢であるならばどれほどよかっただろう。悪い夢なら早く覚めてくれればいい。だけど、傷跡が、スープの温度が、そこにあるすべてが、現実だと告げていた。 「体調どう?」 「……別に……どうもしない」 「そう。ならいいや」  肉にナイフを入れながら美樹が問う。心境の変化であるとか、多少の体調の変化はあるけど劇的な変化なんてものはない。恐らく彼が問いたいのは、薬で周期をずらしたことによる副作用であるとか、そういったことも含めた、体調どう? なのだろうけど、紅にとってはどうだってよかった。 「しばらく学校にお休みの連絡入れといてあげる。ヒート中はきついでしょ?」 「―ッ……」 「なーに怒ってんの。そんな学校好き?」 「……違うけど……」  余計なお世話だ。と言おうとして言葉を飲み込んだが、表情は隠せなかったらしい。右京が少し距離の空いた隣の席でくすくすと笑った。顔に出ていると言いたげな態度に恥ずかしくなって、紅はスプーンを握る手に力を込めて俯いた。  実際のところ、ヒート期間中は学校を休んでいる。毎回重いヒートに悩まされて仕方なく休みの電話を入れるのだが、今回は美樹がいる。他のアルファやベータを誘惑することもない。ただ、美樹に対して発情してしまうので、正直学校に行ったところで勉学に集中できるかと言えば、ノーだろう。いくだけ無駄なのではないかという意見も納得できてしまう。そもそも今は身体が満足しているが、しばらくしたらまた何も考えられないほど発情することを踏まえれば、行かない方が得策である。  紅はしばらく考えてお茶を飲む手を一瞬止めて、しぶしぶと言った様子で頷いた。 「やっぱ休む…………ありがと……」 「……なんで急にデレたの?」 「デレてない」 「照れてる紅ちゃんも可愛い」  茫然と手に持ったフォークに刺さる肉が落ちるのも気にしないで美樹は顔を赤らめる紅を凝視した。普段なら黙ったまま食事を再開するだろう紅が、自分に礼を言うなんて、なんて喜ばしいことだろうか。ポツリと零した言葉につんとした態度で返事をした紅が隠した顔が耳まで赤いのを見て、美樹は揶揄い口調で笑いながら頬をつついた。 ***  荒く息を吐く。腹の奥から何かを欲して疼く身体を抱きかかえて、蹲る。今、美樹がここに居ないことがこんなにも寂しいと感じるなんて、こんなこと、少し前の自分だったら絶対に思わなかったのに。  少し前、寝る前に映画でも見ようという話になって、美樹の部屋でアクション映画を見ていた。主人公のライバル役の俳優のことが結構好きだと言うと、会ったことあるよと笑う美樹にへえと頷いて画面をじっと見ていた時だった。  美樹のスマホが着信音を鳴らした。画面を見た美樹が眉を顰める。出ないのか? と顔を覗き込むと、美樹が別にほっといてもいいんだけどね、と言って席を立った。映画は一人で見ていていいよと言われたが、こういうものは複数人で見るからいいのではないか、と思って一時停止を押しておいた。  美樹が退室してどれくらい経ったか。そんなに時間は経っていないと思うが、ほんの数分、いや数十分経ったころ、どくんと身体が疼き始めた。美樹の存在が近くにあることで満足していたのか、それともただ時間が経ってまた発情したのかは知らない。知らないが、ガクガクと震える身体の渇きに紅はソファーの上で倒れ込む。  周りから美樹の匂いがする。いい匂いだと熱に浮かされ、ぼんやりとした頭で思った。美樹の居ない空間で、美樹の匂いに包まれる。それはまるで拷問のような時間だ。だけれど、とても心地いい。  紅はろくに働いていない頭でぼんやりと考えた。この匂いに包まれていれば楽なんじゃないかと。ぼうっとした身体を無理矢理起こして、美樹が着替えをしていた時に開けていたクローゼットまで歩く。駄目だと、やめろと、誰かが頭の中で叫んだ。  力の入っていない腕を伸ばして、美樹の身長に合わせて作られた高めのクローゼットから洋服を数着取り出す。床にばさばさと音を立てて落ちた服を抱えて、紅はベッドに足を運んだ。  服を山のようにして投げてそこに潜り込む。包み込むような美樹の匂いに、紅は満足感を得た。中でも、学校の制服はとても匂いが強くて、心地よい。 深く息を吸い込んで、吐き出す。疼く身体を沈めるように、紅は下半身に手を伸ばした。 「ンッ、ふ……あ、ん、ん」 「なにこれ……」  美樹が部屋に戻るとつけっぱなしのテレビの前に紅の姿はなく、開け放たれたクローゼットから点々と、ベッドに服が散らばり落ち、そのベッドの中央にはこんもりと山ができていた。  山の中には紅がいて、一生懸命自慰行為をしている。理性が剝がれてしまっているのか、紅の目には正気の色はなく、少し……というか三十分程度席を外しただけなのにこの有様である。一体何がどうなっているのかはわからないが、美樹はこのこんもりとした服の山に心当たりがあった。  所謂巣作り呼ばれる行為ではないだろうか。簡単に言えば発情期のオメガが本能的にアルファの匂いに包まれて居心地のいい場所でアルファを待つ行為だが、聞くところによると仲の良い番であれば極稀に起こりうることらしい。だが、何故紅が? 仲がいいとは縁遠い自分たちで、どうして巣作りが発生したのだろう。  美樹は首を傾げてひとつ、可能性を思い出した。巣作りが発生する条件として、極めて稀に自分たちのような番になったばかりで仲もそんなによくない間柄でも起こりえるのが、オメガが極度のストレス、または激しく寂しさや孤独感を感じている場合で、アルファの匂いに居心地の良さを感じた場合、本能が勝手に巣作りをすることがあるという。  これにはオメガ自身が番相手を嫌っていようがいまいが関係はないらしく、一人になって寂しさを強く感じた際にアルファの匂いを嗅ぐと起こしてしまう事例らしい。確率こそ少ない物の、これで仲良くなった番もそこそこいると言うから本能とは素晴らしいものだ。 「紅。こっち向いて」 「ん、ふっ、ぅあ……うきょ、あ、あっ」 「ん。いい子。巣作り上手だね。ほら、おいで」  よしよしと頭を撫でると、ぶわりと紅からフェロモンが漏れた。果実と花が混ざり合ったような濃厚な匂い。とてもいい香りだと思う。これは中学の時ベータに手を出されかけても仕方がない。  荒く息をする紅にキスをして、ベルトを外す。ジーンズのチャックを外すと、紅ががしりとそれを鷲掴んだ。びっくりして目を見開いていると、ずるりとずり下げたジーンズとボクサーパンツから美樹の陰茎を取り出して、赤い舌をぺろりと這わせる。半勃ちのそれを咥えてじゅるじゅると口を窄めて頭を前後に動かすと、紅はちらっと美樹の方を見上げた。 「~~っ」  それはずるいだろ。美樹は紅の頭を捕まえて陰茎から口を離させると、尻を自分の方に向けるよう指示した。  四つん這いの紅が赤く濡れそぼった後孔を美樹に向ける。指をゆっくりと入れると、自分で慰めているときにこちらも弄っていたのか、そこは程よく解れていた。  ぴたりと美樹の怒張が紅の後孔に押し当てられる。期待しているようにひくひくと収縮する孔は今か今かと挿入を待っていた。 ゆっくりと先っぽを挿れる。ぬちっと音を立てて美樹の陰茎を食うそこは、にゅぷぷとみるみるうちに奥まで飲み込んでいく。  奥まで挿入ったのを確認して、紅の額に掻いた汗を左手で拭う。はーっ、はーっ、と息を荒くする紅に、動くよと小さな声で囁いて、奥まで入っていた陰茎をぎりぎりまで引き抜く。内臓まで持っていかれそうな感覚に、ぞわぞわと背筋を震わせた紅が、喘ぎ声を漏らすのを可愛いと褒めながら、美樹は勢いよく奥まで貫く。 「アッあ、あ~~~~」 「はっ、かわいい。紅ちゃんかわいいよ」 「あ、ゃだ、やだやだ、イく、イくぅ……あっあ~~~~」  ずぷん、ぱちゅ、ぱちゅと、追い立てるように腰を振ると、頭を振り乱しながら、紅の陰茎から白い液体が勢いよく飛び出た。ずるんと脱力する身体を抱きかかえて、さらに下から突きあげる。イったばかりの身体は敏感で、ガクガクと震えながら締め付ける。 「あ、や……いま、イった……あっ、やら、むり、むりぃ……んぁ」  だらりと口端から垂れた唾液を拭う。優しくキスをして、ぎゅうっと抱き締めると、きゅうきゅうに紅のナカが締まる。その締め付けで、美樹が中で射精すると、びくびくと紅もまた白い液体を吐き出した。  夥しい数のキスマークを見て、紅はため息を吐いた。美樹に案内してもらって、トイレを借りたが、その際鏡を見て驚いた。首から胸元、腹、足の付け根にかけてキスマークが沢山ついているのだ。それも、独占欲丸出しに服を着ていても見える位置に。  白いTシャツは美樹のものなのでサイズが大きくどうしても肩がでるのだが、別にこの服じゃなくったってキスマークは見えるだろう。  自分の物に名前を書いていますと言わんばかりのそれに、げんなりとする。どうにかこの独占欲を薄れさせる方法はないのか。考えて、飽きるまではないなと結論を出した。 それにしたって、最近どうにも吐き気が酷い。胃がむかむかするし、腰も頭も痛い。妙な眠気が襲ってくることもしばしばだ。一体全体どうしたっていうのだろう。紅は流すボタンを押してトイレから出る。ふああと欠伸を一つして、手を洗うと、洗面所の外で待つ美樹に声を掛けた。 「もういいの?」 「ん。眠い……」 「そっか。じゃあ寝よう」  ひょいと抱きかかえられた紅は、ゆらゆらと揺れる動きに眠気が増幅する。重いだろうから寝るわけにはいかないと分かっているのに、強い眠気に抗えず、紅はゆっくりと目を閉じた。  すうすうと寝息を立てる紅に、美樹は優しい笑みを浮かべる。時刻はもう二十三時半を回っている。眠くなるのは当然だ。綺麗な寝顔の紅をベッドに転がして、紅の精液で汚れた自分の服をすべて長田に渡す。  今日という日は実に素晴らしい一日だった。紅と番になれただけじゃない。紅が巣作りしたのだ。番になったその日に巣作りなんて、滅多にない事例だろうが事実は事実。現実だ。  自分が今までやってきたことは無駄ではなかったのだ。紅を孤独にすること、寂しいと感じさせること、ストレスを与えること、それらすべてが今日という日に繋がっていた。なんて感動的なのだろうか。  ここまで来たならあとはもう、うんと甘やかしてやったっていい。もう紅はこの手から逃れられないのだから。  美樹は嬉しそうな笑みを浮かべて、鼻歌を歌いながら静かに眠る紅の頬を撫でた。 10. 終

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