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第17話
Unfair lover
3, affection
1.
一週間が過ぎた。ヒートも収まって肌艶が良くなった紅は、久しぶりに美樹と一緒に学校に登校した。何故か一緒になって美樹も学校を休んでいたので、久しぶりのクラスの王の帰還にクラスメイトはわらわらと彼を取り囲んだ。
紅はというと、チョーカーの下に隠れたキスマークと項の噛み痕が気になって仕方がないとばかりにしきりに窓に映る自分を見ては首元を確認していた。
「佐渡、最近体調すぐれないみたいだけど大丈夫なのか?」
河合が美樹に問いかけた。心配そうな目で、紅の座る席の方を見る河合の視線につられて、紅を見ると、少し顔を顰めて蒼い顔をしているのが見えた。確かに、言われた通りあまり体調が優れないようだ。
「いつから?」
「え? あー……先週? 先々週とか?」
「ふぅん……オレ、保健室連れてってくるわ」
「あ? ああ」
河合の言葉に少し苛立ちを覚えた。気が付いていたなら言えばいいのにと思ったが、言う暇がないかと納得して美樹は立ち上がる。紅の前に立つと、蒼い顔でゆっくりと美樹を見上げる紅が首を傾げた。
「体調悪いんなら言ってよ、紅ちゃん」
「……ごめん」
へにゃりと眉を下げる美樹に紅は小さな声で言った。膝裏と肩に手を差し込んで持ち上げると美樹は教室を出ていく。それを見ていた八木が、ぽつりと呟くように言った。
「見た? 古川」
「何を」
「美樹のあの顔」
見たことないくらい優しい顔してたぜ。その言葉に、クラス全員が頷く。いつも自信満々で、誰に対しても冷めた目で、佐渡紅にだけは妙に執着する癖に何故かその紅をいじめていた男の優しすぎる瞳に、八木は驚いて入口のドアから目が離せなかった。
「誰かいますかー」
ガラっと足で引き戸を引く。驚いた顔でこちらを見た高木葵が腕の中の紅を見て息を吐いた。美樹にベッドに寝かせるように指示をして、葵は体温計を取り出す。
紅の脇に体温計を挟んで症状を尋ねると、紅は腹痛と腰痛、それから頭痛と少しだけ吐き気があると答えた。それは困ったと葵は頭を捻る。そんなにいろんな症状に効く万能薬はないのだけど。
うーんと唸る葵の横で、美樹が紅の額を撫でた。ベッドの横にある見舞い人用の椅子に勝手に腰かける生徒に、葵はおや? と首を傾げた。
紅に聞く限りでは右京美樹という人間は紅を玩具のように扱い、ただ欲しいからという理由で追い掛け回しているようにしか感じられなかったけれど。今見ている美樹は、紅のことを労り、大切に思っている。自分よりもよっぽど、立派な愛情がある様にみえる。
イメージとはだいぶ違うものだ。というか、彼の捻くれた性格が紅に素直に愛情を伝えられていないだけか。葵はため息を吐いて美樹の肩を人差し指でとんとんと叩いた。
「右京君。もうすぐ授業が始まるから教室に戻りなさい。紅君は必要なら家に送り届けるから」
「は? センセーが送るくらいなら速水に頼むし。俺の番に手出さないでよ」
「あのね、紅君は病人だから。ましてや生徒に手を出すとか、ありえないでしょ、普通」
呆れたように言うと警戒心剥き出しの美樹は少し悩んで、分かった。と答えた。ため息をもう一度吐いて、葵は紅の様子を見る。だいぶ気分が悪そうだ。体温計は少し高めの温度を示した。体調が優れないなら家まで送るが、そもそも紅は一人暮らしだったか。
どうしたものか、と悩んでいると、ドアの向こうからこちらを覗いた美樹が恨みがましい目でじっとりと睨みつけながら頼みますねと刺々しく言い放った。
「さて、紅君、家に送ってこうか? 誰もいないと思うけど食べ物とかあるかい?」
「ないです……ここ最近は、右京の家に泊まっていたので」
「へえ、それはなんでまた?」
「…………」
美樹が去って少しして、葵は保健室の札を外出中に掛けなおして紅の隣に腰掛けた。気分が少しマシになったら家まで送っていこうと提案すると、思いもよらない返答が返ってくる。驚いて持っていたボールペンの芯をしまって、足を組み聞く体制に入る。
すると、紅が少し間を置いてゆっくりと身体を起こして、首に着けたチョーカーを外した。首には赤い痕が散らばっている。
「番に、なったんです。先週……色々あって」
「……項、見せて」
「はい。それで、あの、家にはしばらく帰ってないんです」
「同意は?」
すっと背を向けた紅の項には確かに噛み痕がある。十分観察してから服を整えさせると、紅がぽつりぽつりと零した。
「それしか方法がなかったから、しました。でも、怖くて……俺、アイツに捨てられたら、一生独りで生きていくんですか? 先生。番ってオメガから解消する方法ないんですか?」
「紅君、落ち着いて。捨てられるって決まった訳じゃ無いから」
「でも、あの右京ですよ!?」
喚くように叫ぶ紅に葵は慌ててコップに水を用意して、飲ませる。少し落ち着きを取り戻したのか、すみませんと謝る紅に、大丈夫と笑って見せる。
「怖いんです……アルファが皆そうじゃないってわかっているけど、父のように簡単に人を捨てられるような人間が。母が一人で泣いた日々を見ているから余計に、怖くなるんです」
「紅君……」
ぎゅっと身体を守る様に抱きながら、紅は言った。その小さい背中を撫でながら、葵は落ち着かせるように言った。
「まだ、確立はされてないけど、いつかそのうちオメガから解消できる方法が見つかるよ、それに、右京君だってさ、思ってるほどじゃないかもしれないよ。落ち着いて、ね? そうだ、何か飲む? ハーブティーしかないけど」
「先生……そうですね、ありがとうございます……」
頂きますといった紅に少し時間を貰ってハーブティーを渡す。吐き気にも効くものを選んだのでこれで体調も少しはましになるだろう。そう思って隣にまた腰を下ろそうとした瞬間、紅が口を塞いでベッドから飛び降りお茶を放り棄てて走り出した。
「うっ……」
「紅君?」
慌てて追いかけるとすぐ近くの個室トイレでどうやら吐いているらしい。とりあえず葵は保健室に戻って落ちたプラスチックのマグカップを手に取り雑巾で床を拭こうと腰を下ろした。ふと、ある考えが頭に浮かぶ。紅に聞いた症状、吐き気、先程の態度。もしや、と思案していると、背後から声が掛かった。
「先生、すみません。折角頂いたのに……」
青白い顔で紅はへにゃりと笑う。その肩に手を置いて、葵はバクバクと音を立てる心臓の音を聞きながら、口を開いた。
「落ち着いて聞いて欲しい。紅君。君はー」
妊娠、しているんじゃないかい?
***
ゆらゆらと揺れる水の中で、金魚が泳いでいる。ぼんやりとした意識の中で、つい、居眠りをしてしまっていたことに気が付いた。葵がバタバタと出て行って一人になって、言われた言葉をよく考えようと意識したが、どうやら眠気に抗えずにそのままねむってしまっていたらしい。
『妊娠、しているんじゃないかい?』
頭にその言葉が浮かんでは消える。ぷかぷかとまどろみの中にいるような気持ちよさの中で、突き付けられた現実から目を逸らす様に、紅はそっと目を閉じた。
「紅君、紅君!」
不意に、意識が浮上する。はっきりとした視界の中に葵が居て、紅は自分がどれだけ眠っていたのかと気になって壁にかかっている時計を見た。三十分程度経っている。そんなにうたた寝をしてしまったのか。
「先生……」
「送るよ、帰って休みなさい」
優しい目が紅を映して笑う。軽々しく抱きかかえられると、なんだか恥ずかしい気持ちになって、紅はもぞもぞと身動ぎした。
下駄箱に着くとゆっくり下ろされる。自分のローファーを取り出して履き替えて葵に案内されるまま、彼の所有する白い車に乗った。
「近くのスーパーで軽食買っておいたから食べるといいよ」
「すみません」
「いいのいいの。こうしないと咲に怒られるし」
あはは、と笑う葵の丁寧な運転に揺られて数分でアパートに到着する。
「荷物持っていくから先に行っていいよ。あ、そうそう。これ」
「……これ」
「検査薬。使い方見て検査した方がいいよ」
今なら俺が話聞いてあげられるし、と葵は笑う。渡された薄い箱を持ってとりあえず自宅のある二階まで上がる。玄関の鍵を開けて、トイレに入ると箱をもう一度見た。
二本入りと書かれたそれに詳しく検査の仕方が書いてある。パッケージは至ってシンプルだ。これに尿を掛けるだけで陽性か陰性か分かるなんて化学ってすごい。なんて現実逃避じみたことをしながら、紅はのそのそと検査薬を一本手に取った。
もしも、子供ができていたら、それは間違いなく美樹の子だ。他の誰ともセックスなんてしていないのだから。紅はうっすらと線が現れ始めたそれを見て、ゆっくり目を閉じた。
洗面所を出ると、葵が冷蔵庫をごそごそと弄繰り回していた。何をしているんだろうと覗き込む。
「紅君、勝手に上がっているよ。ごめんね、冷凍庫使おうと思って見たら片づけたくなってしまって」
「ああ、何か……腐ってましたか?」
「いや、補助食品ばかりでそんなことはないよ。ただ並んでる日付がバラバラだったからさ」
「ああ、すみません」
まめな性格なのか、葵はわざわざ日付をチェックして並べてなおしている。今日買ったものは一番最後に置いてあるみたいだ。咲も似たようなところがあったので、流石兄妹だなと感心する。
紅は、妙に落ち着いた自分に疑問を抱く。どうしてこんなに落ち着いていられるのだろうか。わからない、わからないけど、母の言葉が頭を過る。
『産みたいと思ったのよ』
母は、女で一つ、オメガで自分を育てた。大変なこともあったけど、産みたいという気持ちが強かったと聞く。
自分はどうだ? 親になる覚悟なんてない。美樹になんて言っていいか分からない。そもそも、母のように望んだ相手との子供じゃない。それは、この子を苦しめるだけだ。だけど、それでもー
「紅君、どうだった?」
葵が優しく問いかける。それは検査薬の結果のことを指しているんだろう。早く答えなきゃと焦って、紅は、スティックを握る手を突き出し、顔を膝に埋めた。
「陽性、でし、た……」
ぐすっと鼻水を啜る。不安とか、いろんな感情が混ぜこぜになって、溢れだしたそれが、涙になって流れる。
少し躊躇いがちに言葉を選びながら、葵は背中を擦る。
「そっか。いい病院紹介してあげる……右京君にバレないうちに進めないとね。諸々の費用は俺が持つから」
「違うんです、あの、俺……」
葵の手をそっと振り払って、紅は首を振った。ゆっくりと顔を上げて、葵を見る。変だと思われるかもしれない、おかしいと思うかもしれない。でも、と紅は口を開く。
「産みたいんです。この子を」
1. 終
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