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第2話
森の奥深く、崖の下に隠れるように建つ家の中。白狼は玄兎に貰ったチーズをかじりランプの灯を見つめる。家族と住んでいた頃は物が多くて雑然とした家だったが、今はさっぱりとして何もない。ほとんどを生活に必要な物と交換してしまった。生きていくために、大切な思い出を手放してただただ寂しくなっていく家の中で、押し潰されそうに生きていた。
森の入り口で玄兎と初めて会った時、いっその事こいつを食べてしまえば、食糧の為に家族との思い出を失わなくて済むと思った。けれど、ホッとしたような顔で涙を浮かべながらぎこちなく笑いかけられて、そんな気は失せてしまった。
欲しいのは、食糧じゃなかった。
『そんなチビが一人で行くのは怖いだろう』
自分を見ても逃げずに話す兎と、少しでも一緒に居たくてそんな言い方をした。てっきり拒否されると思ったのに、玄兎は『暇なら一緒に来てもいいぞ』と生意気な口調で一緒にいる事を許してくれた。白狼が飛び越えられない壁を、いつも玄兎は簡単に飛び越える。
「兎だからな……」
クスリと笑って呟き、そっと指を握る。初めて触れた玄兎の手。小さくて柔らかくて温かかった。玄兎の存在そのものみたいな、手。
友達だと言ってくれた。手を握って、並んで歩いてくれた。寂しさじゃなく、泣きたくなる事があるなんて思わなかった。
白狼は家族を失ってから初めて、幸せな気持ちのまま夜を迎える。
毎日、陽が昇るのも待ち遠しく朝を迎え、時間には丘に登って玄兎を待つ。森の中で一人暮らしをする白狼には、冬に備えてやらなければいけない事は沢山あったが、一人でする毎日の仕事でさえ、この後玄兎に会えると思うとウキウキと楽しくなるのが不思議だった。
玄兎は、毎日真っ赤なケープで身体も耳も隠して、ぴょこぴょことやってくる。相変わらず生意気な玄兎に負けずと応戦しているが、白狼は時折ドギマギして上手く対応できなくなった。
特に、今の様に服の裾を引っ張られ、下から見上げられたりすると、それだけで飛び上がりそうになる。
「なぁ、お前いくつ?」
「たぶん15、かな……?」
「何だ、そのハッキリしない答えは、自分の事だろ。……でも意外と俺と近いな」
「えっ!?」
「今は13、もうすぐ14だよ」
「えぇ……」
そう言われても、どこからどう見ても一、二歳差には見えない。10歳と言われても通用する。
「兎族は小柄だから。オ、レ、が、チビなんじゃないぞ。兎族ならこれでも普通だからな。白狼は? 狼族だと大きい方なのか?」
「どうだろ、わかんないな……。兄さんよりは大きくなったけど俺が知ってるのは何年か前までだし、父さんの服はまだ大きいけど、父さんが狼族で大きかったかどうかは……」
「何だよ、分かんないことだらけじゃねーか。ん? てことは、誰と暮らしてんだ? 家族は?」
玄兎は「使えねーな」と口を尖らし、無邪気に聞く。
「俺一人だよ。家族はいない」
白狼は一瞬止まって、静かに返す。
「一人……?」
流石に、独り立ちするには早いんじゃないか、とか、何か事情がとか、色んな事が玄兎の頭の中をぐるぐるする。
「家族は、随分前に人間に捕まったんだ。狼は毛皮になるのと、飼われるのといるらしいから、それからどうなったかは分かんないけど……」
それから帰ってくるのをずっと待ってる。その言葉は口にせずに飲み込んだ。
玄兎はゆっくりと考え、「……ふーん、そっか」と言うとそれ以上深くは聞かずに話題を元に戻す。
「15ってことはまだ成長するだろ? 白狼はもっと大きくなるのかな」
「そうだな、去年の来ていた服が短いからまだ伸びてるだろうな」
「生意気な……」
「玄兎は伸びてるのか?」
「伸びてるよ! 俺の方が年下なんだから、これから追い越すまで伸びるっての!」
「へぇ、それは楽しみだな」
それはいくら何でも無理だろうと思ったが、玄兎の目は真剣で思わず吹き出して笑う。
「バカにすんなよ! そのうち吠え面かかせるんだからな!」
あっと言う間にプリプリと怒る玄兎を笑い、白狼は家族の事を思い出したそのすぐ後でもこんな風に笑えるなんてと、不思議な気分になる。
森を通り抜けるとすぐに玄兎のばあ様の家がある。ばあ様の家に行く時にいつも別れる木の下で「あのさ」と玄兎が森に戻ろうとする白狼を呼び止めた。
「ばあ様の家、一緒に行こう。ばあ様は優しくて狼でも嫌がったりしないし……」
意を決して言われたであろう言葉に、白狼は笑って答える。
「家族がいないって言ったの、気にしてんのか? らしくないな。俺はこの近くでやる事があるから、お子様な玄兎とは遊んでられないんだよ」
「なっ……、二つしか違わないくせに、大人ぶりやがって!」
「玄兎より、二つは大人だからな。じゃあな、帰りに」
そう言うと、白狼は道を逸れてあっという間に森の中へと戻っていく。
「……んだよ、ばあ様に紹介してやろうと思ったのに」
姿の見えなくなった白狼を見送って、玄兎はばあ様の家に向かう。
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