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第6話
意識がなかば消えかけている相手を連れて帰るのは骨が折れるし、それが自分の倍は厚みのある大男ならなおさらだ。そして僕の作った罠は、なんともいやらしい仕掛けだなあ――
と、今さらながらエヴァリストはそれを実感していた。
そう、いま馬の背にいるジラール。彼のような屈強な男がへなへなになっているのは自分が砦の主のために作った回路魔術のせいである。ロビンソンは「魔力の蟻地獄」と呼んでいた。
あの罠は人間の魔力をうばいとるだけでなく、魔力が弱まっていくようなフィードバックを罠に落ちた人間にかけてしまう特徴がある。だから助け出されても、一度罠におちた者は魔力がどんどん減っていくのを止めることができない。
しかし応急処置をほどこしたから、その点は大丈夫かもしれなかった。
エヴァリストは吊るされていたジラールを砦の外へ出すことはできたものの、そこから川までたどりつき、さらに川を渡るのはちがう苦労だった。救いだったのは、ジラールがこのうんざりする道行のあいだなんとか意識を保っていたことと、自分に精霊魔術が使えたことだろう。
ジラールにはときおり魔力でショック療法を――だんだんそれは単に魔力でひっぱたくも同然になっていった――を与えつつ、精霊魔術でめくらましを張って周囲から自分たちを隠し、最後はめくらましと金貨の双方を駆使して船頭を雇った。
やっと川を渡り、エヴァリストは強引に馬をもう一頭、かなり法外な値段で調達した。そのあとはジラールの背中をときおり魔力の鞭でひっぱたき、どちらの馬も甘い声でなだめて(動物たちはいつも精霊魔術の使い手に弱いのだ)ジラールのすみかへとぼとぼと向かった。いつもは肩に乗っている精霊はエヴァリストの胸の中に潜りこんで眠っている。この調子なら真夜中にはジラールの家へたどりつけるにちがいない。
そして道中、なんだかんだでどんな状況でも金というのは役に立つな、などとのんきな考えをめぐらす一方で、エヴァリストは自分がなぜこんな行動に出たのかを不思議に思っていた。
何をどれだけ賭けることになったか、思い返してもぞっとする。たしかにジラールに死なれるのは後味が悪い。それも自分の魔術にかかってとなればなおさらだ。だが逆さに吊るされている男を助けるのはかなり行きすぎだ。
もう砦では、ジラールが逃げ出せたのは魔術師が絡んだせいだとわかっているだろう。
ジラールはぼんやりと馬の背に揺られていた。全身の倦怠感はあいかわらずで、なんとか座っているだけにすぎない。ときおり彼の気が遠くなるのをみはからったように、ぴしりと背中全体に痛みが走り、気をとりなおす。
背後ではずっと誰かがしゃべりつづけている。ジラールはそれを音楽のように受け取って、意味を理解しようとしなかった。といっても、時たまやかましい、ほっておいてくれとも思ったが、声がとぎれると不安になるのだ。
突然股の下の揺れがとまった。
水の匂いがして、せせらぎが響く。また揺れはじめ、ひづめがバシャバシャと浅い流れを蹴散らしながら渡った。
「ジラール、おまえの家だ。あけてくれ」
ジラールは馬の背でぼんやりしていた。どうも帰ってきたらしい。
ゆっくりと馬からすべりおちる。横からのびてきた手に肩を支えられたのに驚いた。この家に入るにはいくつかコツがある。安全装置を解除して鍵をあけ、ジラールはなんとか体を高い床の上へひっぱりあげる。
家の中はなじんだ油と火薬、それに陽にさらした亜麻布の匂いがして、おかしなくらい懐かしい。
自分の背後にいる誰かが背中を押した。寝台へ導こうとしているのだ。うしろにいる誰かはさらになにごとかを唱えているようだが、何をいっているのかわけがわからない。ジラールは敷布の上に倒れこんだ。
「ジラール、起きろ。魔力を補充してやる――」
エヴァリストは言葉を切った。ジラールは眼をとじてぴくりとも動かない。さっきまでは朦朧としていても意識があったのに、横になったとたんに昏睡に陥ったらしい。ここに来る途中でそうならなかったのは幸いだが、魔力欠乏による昏睡は面倒だった。元のキャパシティに関わらず、ながく続けば続くほどやっかいな後遺症が残るはずだ。
やれやれ。まったく。
ふところで眠っている精霊を両手ですくいだして手近なクッションにのせると、エヴァリストはジラールの上にかがみこんだ。自分でもわからない理由でふと躊躇する。これまで他者が強引に課してくる禁止など一切無視して生きてきたにもかかわらず、禁忌に触れているような――なにかの一線を超えてしまうような感覚があった。
馬鹿馬鹿しい。
首を振るとジラールの両肩を抑え、上にのしかかる。指でジラールの口を押し開けると唇をあわせ、舌をさしこんだ。相手の歯列をさぐり、口腔を舌でまさぐる。
あっという間に、接触するもろい皮膚を通して自分の内側から魔力が流れ出していくのがわかった。それも経験がないほど強烈な速度で、くらくらした。まるで砂漠のようだ。
粘膜の接触で魔力を交換したり、場合によっては相手の治癒まで行ってしまうのは精霊魔術の一種だが、エヴァリストは自分がそれに秀でていると他人に悟られないようにしていた。自分の能力のすべてを他人にさらけ出すのはおろかというものだ。だから自分が使えるいくつかの「手品」――アーベルはエヴァリストの精霊魔術をよくこう呼んだ――のうち、実は治療が最も得意なのだとは、それこそ元相棒も知らないだろう。
それに実際、この方法には問題があった。場合によっては、相手に魔力を行使するために自分のもろい部分もさらしてしまうことになるのだ。いったいどんな馬鹿がそれをする?
――しかし今、自分はそれをやってしまっている気がする。
ジラールに意識がないのは幸いだった。
「うっ……」
文字通りひきずりこまれそうなほど、頭の芯が一瞬空白になりそうな衝撃が走って、エヴァリストは唇をもぎ離した。唾液がジラールの唇とのあいだに糸を引く。苛立って思わずジラールの脛を蹴る。どうせ筋肉の塊のような男だ。エヴァリストが多少殴ろうが蹴ろうが蚊に刺されたくらいにしか思わないだろう。
「おい、起きろ」
ジラールはぴくりとも動かない。
しかたない。
もっと蹴りたい衝動に駆られるが乗りかかった舟だった。中途半端なことは嫌いなのだ。
エヴァリストは相手の顎を抱えるともう一度唇をあわせた。粘膜接触以外でも魔力転移は可能だが、片方に意識がないと難しい。おまけに一方がこれほど枯渇しているとなると……
ジラールの唇はふたりぶんの唾液で濡れていて、重ねただけでまたもじんわりと自分の魔力が流れ出していく。さっきは一瞬おそれのようなものを感じたが、二度目は妙に気持ちがよかった。背中から腰にかけて陶然とした感覚が襲ってくるが逆らう気になれず、そのまま口腔に舌先をはわせる。舌と舌が触れあったとき、背筋にぞくっと快感が走った。
ごくっとジラールの喉が鳴った。
はっとしてエヴァリストは体を離そうとした。とたんにすばやく動いた腕に背中を捕らえられ、そのまま唇をむさぼられた。舌が絡まって強く吸われると同時にぶあつい胸筋にがっちりと抱きこまれる。反射的に脛を蹴ろうとしたが相手の足に先を越されて押さえつけられ、くるりとひっくり返された。速いのだ。しかも腕力がちがいすぎる。背中が敷布に押しつけられ、頭のてっぺんが寝台のヘッドボードにあたってごつっと鳴る。
エヴァリストはのしかかる相手をやみくもに拳で殴ろうとしたが、パシッと軽い音を立てただけにすぎなかった。それだけでなく間髪置かずに腕をとられて肩ごと寝台に押さえつけられる。股のあいだを上に乗った男の脚が割るが、当のジラールは眼をとじたままエヴァリストの舌をむさぼっている。舌が執拗にからんできては魔力を吸い上げ、されているこちらは眼がまわる。
こいつ、寝ぼけているのか?
ふざけるな。
エヴァリストは怒りにかられた。息が苦しいだけでなく、さっきからぞくぞくと背筋を犯していく感覚が恐ろしい。この男はどうも意外に――うまいらしい。いっそ舌を噛んでやろうとしたその時、突然呼吸が楽になった。
「ジラール、眼を覚ま――」
びりっと裂ける音がして、素肌に空気が触れた。脇腹に手のひらが触れ、指でくすぐられるのを感じてエヴァリストはびくりと硬直する。そこは――弱い。
「やめろって! いいかげんに……」
叫ぼうとしたものの声はかすれ、力が入らなかった。唇がまた覆われ、舌先がそっとエヴァリストの歯を割る。今度は愛撫するかのようにねっとりと口の中を犯していく。重なった股のあいだで男の中心が堅くなっているのがわかるが、焦るのは自分も同じだからだ。熱をもったような手のひらがエヴァリストの素肌をたどって腰のうしろへ入り、またも邪魔だとばかりに糸が切れて裂ける音がきこえ、下着ごとひきずりおろされた。かねてないほど無防備になった感覚にエヴァリストが震えたとたん、中心を握られ、擦りあげられ、さらに先端を遊ぶようにいじられる。
上にも下にもなることはあるが、こんなのは趣味じゃない――と頭の中でいつものおしゃべりな自分が抗議する。魔力が粘膜を通して流れるとき、こちらも無防備になってしまうのはどうしようもないことだ。だからこそ相手にはつねに優位に立っていなければならなかった。だがこの相手は(たぶん)意識がないときている。獣なみだ。
精霊もそうだが、獣というのは意識していないから、たちがわるい。
「はっ……あ――」
いつのまにか自由になった唇から声がもれていた。男はエヴァリストの腰を両手で抱き、上にのしかかったまま、自身の猛った中心をこすりつけ、さらに濡れた指をうしろにまわして奥をあばこうとする。
たがいの先走りで濡れる快感に眼をあけておく余裕がなく、この気持ちよさは魔力がもたらしているのか、男の指とのしかかる体によるものなのか、もうエヴァリストにはわからなかった。男の腰が動くたびにさらに強い刺激を欲しがって自分の腰も振れる。またも唇が重なってきて、舌づたいに魔力の流れを感じ、われ知らずもっと深いキスをもとめる。
「ああああっ――――」
知らず奥に侵入した指が一点をかすめた瞬間ふいに絶頂が到来し、エヴァリストは無防備に――まったくコントロールできないまま、完全に無防備に声をあげながら白濁をはなった。
そのまま息をつき、射精後のだるさに身をまかせようとしたとん、男は放たれたばかりの白濁を自身の怒張になすりつけるとエヴァリストをぺろんと裏返し――文字通り毛布でも裏返すようだった――うつぶせにして膝をつかせると、いきなりうしろに侵入した。
「うっ……」
引き裂かれるような衝撃があった。
息がとまりそうになるが、男はぐいぐいと腰を前にすすめ、自身を埋めこんでくる。裂けるように痛いが、それだけではない。体のもっとも繊細な部分が触れあって、急流のように魔力が流れ出していく。流れ出し、ジラールへ融合して――
「ああ――ダメ……ダメだ……」
エヴァリストが呻くと首筋に覆いかぶさる男の満足げな息がかかる。甘いしびれが腰から背中を襲う。膝が崩れそうだ。痛みのせいではない。
男が腰を動かしながら前に手を伸ばしてくる。萎えていたはずなのにエヴァリストの中心はまた堅さをとりもどしていた。ゆるくたわむれる指の動きにびくびくと自分の中が動く。奥を突かれるたびに頭の奥が真っ白になるような快感が走る。
エヴァリストの全身で魔力の流れが怒涛のような響きを立て、一本の道すじになったように背後の男へ向かう。
完全になすすべがなかった。すべてがジラールに向かっていく。与えられる痛みも快楽もひたすら受け入れるしかない。ひたすら奪われるしかない。ひたすら――
「あ、ああっ――」
エヴァリストが二度目の絶頂を迎えると同時に男は獣のような声をあげた。もっと強く、激しく揺さぶられてエヴァリストの眼に涙がにじむ。
ジラールは眼をあけた。すっきりした気分だ。
驚くほどぐっすり眠った感触があった。
起きあがるとひどく体が軽い。ずっと背負っていた荷物を手放したような爽快さだった。ふと横に眼をやって、金色の頭が敷布からのぞくのをみとめ、驚きに眼をみひらく。とはいえ表情の動きはかすかで、傍目にはそれとわからなかっただろう。
空気がこもって精の匂いが強く漂う。隣の男はジラールに背を向けて丸くなっている。白くきめ細かな裸の背中に爪でひっかいたような傷や痣がうかんでいる。敷布はくしゃくしゃで、乾きかけた精液がたまっていた。
ジラールはひたいに手をあてて記憶をたどった。砦の作戦に失敗した自分をなぜか川向こうにいたエヴァリストが助けてくれたのは覚えている。彼のおかげで家に帰ってこれたのも。
そのあとの記憶がない。
金髪に手を伸ばしかけてためらい、隣で眠る男の顔をのぞきこむ。エヴァリストの印象的な美貌をみつめて、どうしてこうなったのかと考えた。夢をみていたような気はする。妙に気持ちよく力が流れこむ、全能感のある夢だったはずだ。もしや――
いや、もしやなにも、この状況はエヴァリストとセックスしたという、それ以外にはないだろう。しかもみるかぎりかなり――しつこい調子の……
だがどうしてそうなったのか、やはりまったくわからなかった。エヴァリストはきれいな男だが自分と寝る相手だと思ったことはないし、第一ジラールには男を相手にする習慣がない。エヴァリストにしても、自分と寝たいなど思ったことはないはずだ。彼がその気になれば機会はいくらでもあったに違いないのだから。
エヴァリストは気を失ったように眠り続けている。吐息のひとつも聞こえず、ジラールは不安になって彼のうなじに顔をよせた。かすかな寝息を聞き取り、ほっと安堵する。
どうも――彼の生気を自分がすべて奪ってしまったのではないか、という気がする。
ともあれ、ジラールは立ち上がると体を洗いにいった。その前に窓をあけて風を入れる。エヴァリストの服が床に散らばっているが、ところどころ裂けていてひどいありさまだ。ジラール本人は元気なものだった。こんなに自身の内部に活力を感じているのは数年ぶりだという気がする。
身支度をしてから濡らした布と新しい敷布をもって部屋に戻ったが、エヴァリストはまだ眠っていた。
眠っている人間を起こさないように敷布を変えるのは慣れている。妻が臥せっていたときに覚えたのだ。ついでジラールは濡れた布でエヴァリストの全身を拭った。吐息がもれ、一度小さなうめき声がきこえたが、目覚めたわけではないらしい。エヴァリストは見た目こそ細いが締まった筋肉がついている。彼は魔術だけでなく、剣や体術もそこそこ使えるのだ。
それにしても昨夜の名残らしい痣や傷が残っているのはエヴァリストの背中だけではなかった。胸や喉もとにまで点々と痕がついている。形のいい太腿の裏側にほくろがふたつ、星のようにならんでいた。吸い寄せられるようにみつめていたジラールの喉がごくりと鳴る。
眼をそらして毛布をかけた。立ち上がろうとしたとき、いきなり手首をつかまれた。
「元気そうじゃない」
挑発的な眸がジラールを睨んでいる。目の周囲には濃い隈がうかんでいる。
「まったく、昨日とは見違えるね」
声はかすれていた。
ジラールは一瞬たじろいだが、黙ってつかまれた手首を振りほどいた。
「何があった」
ぼそりと訊ねた。自分がひどく間抜けな問いを発しているのはわかった。
エヴァリストは体を起こそうとして、みえないものに抵抗するかのように肩をよじり、顔をしかめた。ジラールはふと気がついて「横になっている方がいい……と思う」と声をかける。語尾が自信なさげに小さくなるのを相手は聞き逃さなかった。
「だいたい予想つくけど、何も覚えてない?」
「ああ」ジラールはしぶしぶ答えた。
「この家に帰ってきてからの記憶がない」
エヴァリストはにやりと笑った。
「おまえは砦で魔力を失うタイプの罠にかかったんだ。で、なんとかここへ帰ってきて、昏倒したおまえに僕が魔力を補充してやろうとしたら逆に僕を襲ってきて、おたがい一晩大変だった――ってのも、まったく覚えてない?」
ジラールはまばたきもしなかった。
「何があったか見当はついたが――覚えていない」
「ちょっとみせろ」
エヴァリストはまた手を伸ばす。
ジラールが黙って左手をあずけると、輪にした親指と人差し指で手首を囲むように握りしめられた。しばし沈黙がおちる。
「ま、大丈夫なようだね。やれやれ」
エヴァリストはわざとらしくため息をついて、ジラールの手を解放した。
何かがジラールの意識をかすった。エヴァリストは緊張と安堵が入りまじった複雑な表情で、これまでこんな顔をみたことがない、と思う。ジラールの胸の底が一瞬ゆらぐ。
そんな彼を知ってか知らずか、エヴァリストはこれまたわざとらしく明るい声で「おまえ溜まってたんじゃないの?」などという。
からかわれてもまったく気にならなかった。黙って肩をすくめる。
「すまない。迷惑をかけた」
「まったくだよ」
エヴァリストはまた毛布の下でもぞもぞと動いた。起き上がりたいのだろうが、ついにあきらめたようにジラールをみあげる。
「ジラール、僕は……用を足しに行きたいんだけどね」
ジラールは片眉をあげた。
「ちょっと支えてくれないかな。それから着る物、ある?」
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