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第11話

 ジラールの手のひらは大きすぎる。  エヴァリストの両手首はその手に軽々とつかまれて、頭の上で押さえつけられている。寝台がきしみ、股を割るようにしてぶあつい体がのしかかる。  上に乗られるとまったく動けない。自分の体が自分のものでないような気がするのは慣れない姿勢のせいだ。そもそもこんな風に誰かの手に押さえつけられるのは趣味じゃない、とエヴァリストは思う。どう考えても逆だろう。いつもの自分なら。  そう、いつもの僕じゃない。そのせいだ。敏感になりすぎている。背中にあたる敷布の感触にまでぞくりとする。眼と眼が合い、そらされる。ジラールはむきだしになった腕のつけねから脇腹へ指をはわせてくる。まるで弱い部分を承知しているかのようだ。たったそれだけなのに、腰から背中にかけてびくりとくねるように体が跳ねるのをエヴァリストは止められない。反応を悟ってか、ジラールが耳元でくぐもった吐息をもらす。彼の微笑はやはり獣じみているが、それが耳元をくすぐるとまた背筋がそそけだつ。  ジラールはひどくゆっくり動いた。前の――事故同然の接近遭遇とはちがった。あっちの方がましだったとエヴァリストは思う。脇腹からへそ、胸の突起へとジラールの唇がおしつけられる。強く吸われ、舌でなぶられる。思いがけなく高い声が響いた。自分の声だと信じられなかった。両手首を押さえられているので刺激を逃がすことができない。たまらず喘ぎがもれる。 「敏感だな」とジラールがささやいた。自分の声を楽しんでいるのがわかって、エヴァリストは腹が立った。 「うるさい……さっさとしろよ……」  ただの応答にも喘ぎがまじるのに、己の中心にジラールは触れてすらいない。唐突に体の上から重みが消える。手首は押さえられたままだ。下の方から低い声がきこえる。 「ここにほくろがあるな」  そして太腿の内側をぬるりと舐められた。のびかけの髭の感触が内股をかすめ、たったそれだけなのに文字通り悶える。 「あっ……ジラール、おまえ――」 「星がふたつ。並んでいるな」  エヴァリストのうめきをよそに、押さえつけている男は冷静にいう。 「おまえの肌は白いから、目立つ」 「観察……するなよ……」 「ふつうなら見えないからな。面白い」 「うるさい、この――」  悪態をつきかけて鋭く息を飲む。ジラールの指が立ち上がった己の中心をかすめたからだ。 「ずいぶん濡れてるぞ」  先走りのしずくを太い指がかすめとり、無防備にさらされたエヴァリストの腹に塗りつけるようにのばした。ふっと息が吹きかけられ、うっすらと鳥肌が立つ。 「……おまえは……どうだって――」  言葉がうまく発せられたかどうか自信がなかった。突然手首が解放されて楽になるが、男の体重がまたのしかかる。上に乗った男の猛った中心が股のあいだから腹の上をなぞっていく。興奮に息が荒くなる。 「俺もだ」  返答をかえす間もなく唇をふさがれた。息がとまりそうなほどむさぼられる。この男のキスは喰われているような気分になるとエヴァリストは思う。唇を重ねたまま自由になった腕を背中にまわし、中心と中心をもっと密着させたいと腰をずらす。自然にもっと足をひらいてしまうが、それをどうこう思う余裕もなかった。ジラールの手が腰から尻へまわり、奥をひらこうとしたからだ。 「……っ」  息をのんだ拍子にキスが解けた。 「痛いか?」 「そんなのあたりまえ――」 「それはそうだな」  男は上に乗ったまま腕を伸ばし、家具をがたがた鳴らした。なにか探しているらしい。蓋をあける軽い音のあとに、ほのかに花の香りが立った。 「女向きの匂いかもしれないが、おまえには似合いそうだ」 「おまえはしゃべりすぎだ。こんなときだけ……何をいって――」  ぬるついた液体が前から後ろに流れた。足をさらに広げられ、指がするりと奥に入る。ジラールは片手でエヴァリストの狭い入り口をほぐしながら、もう一方の手で腹から胸をなぞる。 「おまえはきれいな男だからな」さらりといった。 「誰よりもきれいな男だ。たぶん女よりも」 「それは……どうも――っ」  奥をまさぐっていた指がある一点に触れ、エヴァリストは息をのんだ。「ここか」とジラールが冷静につぶやく。そして翻弄するようにエヴァリストの奥をいじりまわした。「あっ…あ――」断続的に声をもらすエヴァリストを満足げにみやって、唐突に指を抜く。物足りなさと欲求不満に思わず腰を揺らすと、獰猛な微笑に出会った。 「俺もほしい」  吐く息とともに腰をもちあげられ、猛った男の欲望を押しこまれた。前のときのような痛みはない。ただひたすら圧迫されている。エヴァリストの中心は萎えなかった。むしろ期待するようにそそり立ったままだ。内側がぐいぐいと擦られ、揺さぶられるうちに甘美な感覚がせりあがる。のしかかった男はエヴァリストの奥まで腰をすすめ、さっきは指で好きなだけ翻弄した快楽の中心を今度は己の欲望で突く。  いつのまに自分が達してしまったのかもわからなかった。叫び声がきこえる。たぶん自分の声なのだろうが、やはりそうは思えない。  エヴァリストはつらぬかれて絶頂に達しながらひくひくと男の欲望をうけとめる。夜の長さをはかることもできなかった。  川の水位は短い間にかなり低くなっていた。  外は涼しい気候なのに、川べりの小屋は風が通らず蒸し暑い。木箱をあけるよう男が指示すると下っ端がバールで慎重に釘を抜く。  エヴァリストは腕を組んでその様子を見ていた。ずっとこの磨かれた銃身に取り組んでいたにもかかわらず、眼の前にあるのはとっくに自分の手を離れた、ただの物としか映らなかった。エヴァリストは銃に愛着を持ったことはない。いや、銃どころかどんな武器に愛着を持ったこともなかった。誰にもいったことはないが、たとえ比喩でも、剣を抱いて寝るような男をエヴァリストはひそかに軽蔑していた。  ジラールが尊敬に値するのは、彼が銃や剣をそんな対象だとみていないからだ。  木箱の蓋があくと長い銃身があらわれる。二脚架が付属しているのはこれがふつうの小銃よりずっと重く、大きいからだ。ボルト機構の内部や銃床、照準器に備えられた魔術回路は表からは見えない。銃工のドノヴァンとシルヴァーは金属薬莢のアイデアを気に入ったようだから、いずれこの種の弾薬を作りはじめるだろうが、この銃のそれは特別だった。銃本体と薬莢、銃弾そのものにまで魔術がほどこされている。眺める男たちから興奮した感情がわきあがるのをエヴァリストは冷静に観察する。たいていの男は武器をみるとすぐ興奮するのだ。女の多くは恐れる。そしてたちの悪い精霊魔術師は、その恐れや興奮を餌に、他の人間をたぶらかす。 「組立と設置のとき、絶対に回路に触れないように」とエヴァリストはいう。 「設置は射程距離内で、かつ宮殿の塔が見える場所でなければならない。段丘の上のどこかにいけば距離は足りるはずだ」 「段丘の外側からは無理なのか?」とQの男がたずねた。 「川のこちら側から撃てれば最高なのに」  エヴァリストは鼻で笑った。あらかじめ話しているにもかかわらず、この男は何度も聞かずにはおれないらしい。おそらく男の背後にいる本当の依頼人がそれを求めているのだろうが、何度聞かれても答えは同じだ。 「それが可能ならとっくに砦は陥ちているさ。飛距離が伸びないのは火薬のせいだ。もっといい性能の火薬をどこかの銃工が発明するのを待つんだな。魔術に頼るのはおかどちがいだよ」  とはいえその弾薬も並みの小銃よりはずっと大きい。 「反動に気をつけろ」エヴァリストは二脚架を立てている下っ端にいう。「発射の反動は金属薬莢とボルトが吸収するが、回路が発する魔力吸収の反動はそれとは別のものだ。撃ったらできるだけ離れろ」 「どのくらいの衝撃があるんだ?」  Qの男が笑いながらたずねた。新しいおもちゃを手に入れたのが嬉しくてたまらないといった調子だ。エヴァリストも笑うが、自分の笑顔はいささか陰にこもっているのがわかっている。 「まともに反動をくらえば確実にひとりは死ぬ」エヴァリストの声に下っ端の男がびくっとして銃から一歩下がった。「魔力を奪われてね。いやな死に方だよ」 「物騒だな」とQの男がいう。その眼はもう笑っていなかった。腕を組んで銃をみながら「早くこれを試してみたいもんだ」という。 「いつやるんだ?」  答えがあるとは期待していなかった。意外にも即座に回答はあった。 「すぐさ」  依頼主が偽装用に行商の馬車を手配したため、今回のジラールの旅は楽だった。レジスタンスはジラールと同時に先兵を送ることを決めたのだ。それは自分も彼らの作戦に組み込まれることを意味する。いつものルールと異なるがジラールは容認した。  いつものルールと異なるといえば、もうひとつ余分なものもついている。胸元を見下ろすと埃よけのスカーフに隠れた毛皮がもこもこと動き、まるい眼がくるりとこちらをみつめる。  まったく。  エヴァリストは精霊を連れ帰るとばかり思っていたのだが、どういうわけか忘れてしまったらしい。そして主人の匂いがすれば勇気が出るとでもいうのか、この生き物はエヴァリストのスカーフのなかでちんまりと苦手なはずの川の流れを越えた。  前回とは状況も地図も異なった。レジスタンスがすでに動いているからだ。ジラールは偽装の馬車で段丘へつき、偽装したレジスタンスの兵士とともに下働きの一群へまぎれる。先兵となったレジスタンスはよく訓練されていた。ジラールは夜半に起き出し、彼らと共に樽に隠した装備をひらく。拳銃、小銃、短剣。そのあとは単独行動だった。  内部に蟻塚のように通路や小部屋が張りめぐらされた段丘には、大きな罠が四つある。そのうちひとつの場所はもうわかっている。大規模な魔術はたいてい幾何学模様の魔力線を描くと、以前エヴァリストに聞いたことがあった。ジラールの脳裏の地図に、前回陥った罠に水平に線が引かれる。少なくともこの位置には近寄るべきではない。  夜半に歩哨を避けて忍び歩いていると、人間ではなく夜に生活する動物になったような気がしてくる。獣だとエヴァリストにいわれるのも無理はないかもしれない。  逃走路を確保するため予備の武器を隠したとき、ふと胸元が涼しいことに気がついた。精霊はいなくなり、エヴァリストのスカーフだけが残っている。ジラールは布を広げると細長く畳みなおし、首に巻いた。  狙撃用に定めた定位置につくころ夜は明けていた。小銃を組み立てて狙いをつける。今回は謁見場所ではない。ジラールの目線の先にあるのは、謁見時刻と同時に発動するレジスタンスの陽動作戦を受けて将軍が宮殿へ避難するルートだ。ほぼまちがいなく、将軍が段丘を離れることはない。宮殿の防備が完璧なのに、わざわざ不確定要素の多い外へ逃げ出したりはしない。  ジラールはふたたび待つ。  今回の位置からは遠くに川がみえた。木の葉が水の上をただようのがみえて、馬鹿な、と思う。川は遠すぎるし、あんな大きな木の葉があるはずがない。船だ。だが定期の渡し船が木の葉のようにみえるわけがない。ジラールは頭の中でエヴァリストがとうとうと語っていた砦争奪戦の参加者を思いうかべる。レジスタンスの連中に知らせるべきだろうか。だがもう時間がない。  迷っているあいだに木の葉は消え去った。風の強さは予想の範囲に入っている。エヴァリストが語っていたような魔術を仕込んだ銃でないかぎり、弾道を決める要素は限られている。  ジラールは太陽の位置を確認し、木の葉がついただろう川岸の方角を計算した。レジスタンスの方に不測の事態が起きていなければ、そろそろ時間のはずだ。  謁見開始の鐘が鳴った。  ジラールは数をかぞえた。  遠くでかすかに発砲音が響いた。ここまで火薬が匂うはずはないが、ジラールの頭は起きているはずの事態を正確になぞっていく。足元で騒ぎが起こり、騎馬が出動する。その騒ぎがさらに大きくなる。昇降装置を動かす人足にひそんでいた一隊が動いたのだ。宮殿と謁見場所をつなぐもっとも大規模な装置がつぶれる。将軍は段丘の内部へ向かう。  謁見場所から宮殿へつながるただひとつの通路には、一カ所窓がある。それが取り付けられたのは将軍が暗闇を嫌うからだ。それは彼がわざわざ段丘の頂上に宮殿と庭園を建てた理由でもある。かつて丘の部族が暮らしていたように、蟻塚のような段丘の内部に閉じこもっていた方が、もっと安全だったろうに。  ジラールは数をかぞえる。銃はすでに目標に定めてある。ジラールは正確な間隔で数をかぞえることができる。楽器を弾いてみろよ、とむかしジラールに勧めた男がいた。おまえが正確に間合いをとれるなら、拍子を外さないだろう。いい気持ちで合わせてるときに拍子を外されると、いやになっちまう。  誰がそういったのだったか。  照準の先の影をみつめて、ジラールは引き金をひく。

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