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第13話

 弾丸は狙った通りに小さな穴に吸い込まれ、たしかにその先にいた人影は倒れた。  ジラールはすばやく銃をかつぐと体を低くしてその場を離れた。自分の仕事が終わればこの場をさっさと離れるのが正解だ。必要以上にレジスタンスに加担する気もなければ、この砦を狙っている他の勢力に利用されるつもりもない。川を渡っていた船が気にかかる。あれは何を積んでいたのだろう。武器か、兵士か、両方か。  騎馬の兵士が土煙をあげて戻ってくるのがみえる。ジラールは移動を続けた。逃走用に確保していた通路へ潜るまではスムーズだった。砦の中には特に異変はみられない。物陰から兵士たちの会話を聞き取る。 「状況は?」 「昇降装置周辺の反乱民は制圧済み。謁見は再開する。異変がないことを知らしめるためにな」 「さすが、あの方は不死身だ」  ジラールは身じろぎもしなかった。謁見を再開する? だったら将軍は生きていることになる。  可能性は二つだ。自分が撃った弾を外した。または、当たった相手は将軍ではなかった。  将軍が不死身などという話をジラールはまったく信じていなかった。どんな魔術を使おうとも不死身の人間は存在しない。どちらにせよ、まだ仕事は終わっていない。  網目のようにくりぬかれた砦の内部を兵士を避けながらたどった。ジラールの頭には知っている範囲の地図が正確に浮かんでいる。もっともこの地図が正しいという保証はないのだが、失敗に終わった前回のものと、今回レジスタンスが入手したものとをあわせて、よりそれらしいものにはなっているはずだ。とはいえ次の狙撃位置は出たとこ勝負だった。拳銃か短剣を使うことも考えなければならない。依頼主(レジスタンス)はあてにならない。接近戦に持ち込むのは端的に不利だった。  いくつかの可能性――そのどれかは前に侵入したときのような罠へ通じているはずだ――を決めかねて、窓のない通路の薄暗がりに身を潜めたとき、ふとジラールの中に、なぜここまでしてこの仕事を遂行しようとするのか、という考えがきざした。  たしかにジラールはいまや「あの人」の部下でもなんでもない。おまけにこの稼業を引退しようと思っていたのだ。最後がただの失敗に終わったとしても問題はあるまい。生きて帰れればの話だが。  そういえばあの夜のエヴァリストも真顔でたずねてきたのだった。なぜ今回の仕事を引き受けたのかと。  ジラールはいつも理詰めで考える。自分のおかれた状況や能力、周囲のさまざまな要素を計算して行動を決めるのだ。引退を決意したのも、もはやこの仕事を続けていくことはできないと判断したからだった。この稼業には緊張感がつきものだ。失敗したら最後、最悪の状況に陥るかもしれないという危機感が緊張を生む。そのために慎重に準備し実行して、成功したときの解放感は、開拓地で農夫となって暮らす生活ではけっして得られない。  それは狩猟の興奮に似たものだった。しかし緊張と解放の連続に精神が倦んだとき、待っている未来は明るいものではない。他人を求めた経験がほとんどなかったジラールにとって、狩猟で無類の銃の腕を誇った妻を亡くしたあと、仕事がもたらす緊張や解放などもはや何の意味もないことを悟るのにあまり時間はかからなかった。  青年時代に彼女に出会った経験が、自分にとって他人が意味を成す唯一無二の出来事だったのではないかとジラールはひそかに思っている。ある種の獣にはそういう習性があるらしい。エヴァリストがときどきからかうように、自分にはたしかにそんな獣じみた部分があるのだろう。妻を亡くしたあとはいきずりの相手で発散することもめったになかった。  エヴァリスト。  またジラールの頭の中で、金髪の男がしげしげとこちらをみつめていた。ここ数年見慣れていたはずなのに、ほんの少し前からジラールを奇妙な具合に動揺させるようになった男だ。エヴァリストは北方の出身らしい金髪と肌の色以外、妻にはまったく似ていなかった――もちろん、あの男に似た人間などそうそういるはずはない。妻がそうであったように。  友人という意味では、エヴァリストもジラールにとっては何年ものあいだ、唯一無二だった。  ふいに足元を何かがかすった感触があった。風のように軽く、だが意思をもったすばやい動きの何かだ。用心深く周囲に視線をなげ、ジラールは光るふたつの点をみつめて一瞬身をすくませ――次にほんのかすかに頬をゆるめた。  かがんで腕をさしだす。毛皮の生き物がそっと柔らかい鼻づらを押しつけてくる。ついですばしこく肩まで駆け上がり、確認するようにジラールの首を鼻先でこすった――エヴァリストのスカーフをそこに巻いていたことをジラールは思い出した――また床へ飛び降りると、数歩先へ動いた。  ジラールはぴくりとも動かず、ただ凝視していた。生き物は確かめるようにふりむき――そして、首を傾げた。  ジラールはめまいを感じた。これと――まるで人間同士のように――視線をあわせたと今たしかに感じたのだ。しかし犬や馬でもこんな風に眼をあわせることはない。ふつう動物というのはもっと―― 『コッチ』  しかもそんなふうに声が聞こえた――気がした。  俺の頭はおかしくなっているのかもしれない。ジラールは冷静に考えた。きっとそうだ。たしかに引退の潮時だろう。しかしどうせ今はどちらへ進むべきかも決めかねていたのだし、この生き物は幻には見えない。頭がおかしくなっているのならそれも当然だが。  ジラールは肚をきめて一歩踏み出した。生き物はうなずくと(たしかにそう見えて、ジラールは再度自分の眼と正気を疑った)先導するように通路を進んだ。  土が匂う。ジラールは明かりのないトンネル状の通路を腹ばいになって進んでいく。すこし先の方でちかりとふたつの眼が光る。数分おきに、こいつを信じてついていくのが正しいのかという考えが頭をよぎる。ひたすら真っ暗の狭いトンネルだった。だが風は動いており、窒息することはなさそうだ。何度か垂直の壁に突きあたると先導する眼を追い、足がかりを探って上に登った。  足がかりは意図して刻まれたものだった。いま通っている場所は、大きさからして人間用かどうかは怪しいが、なにかの通りみちではある。きわめて古いもののように感じたが理由はわからなかった。通風孔のようでもなく、前回嵌められた罠のつくりとも似ても似つかない。背負った銃や装備もあってジラールの幅はぎりぎりだ。小銃の台尻が土をこする。  前をいく生き物はジラールが追いつくのを要所で待っていた。そこから声――のようなもの――が響いてくることはなく、ジラールはほっとした。正気が惑わされているのだとしても考えたくなかった。暗闇の移動は時間の感覚を消し去ってしまう。だから流れる空気の新鮮さに気づいたとき、どのくらいこの中にいたのかジラールにはわからなかった。前方にみえる小さな格子から緑色の光がもれている。  緑。  砦のなかで、緑の木々が存在するのは宮殿と庭園の一帯だけだ。  生き物が格子の前でジラールをふりむいた。鼻面で格子をつつく。ジラールは這ってしのびより、隙間から外を覗こうとしたが、植物の濃く厚い葉がびっしりと格子を覆って何も見えない。腹ばいになった姿勢でナイフを引き出して格子をこじ開けているとふいに腰が重くなった。こんなときだというのに遊んでくれといわんばかりに生き物が乗ってきたのだ。ジラールの背中を――器用に銃を避けて――歩いてくると、肩の位置まできて、大人しくなった。  格子が外れたとき、ジラールはナイフを持つ手にびっしり汗をかいていた。そっと持ち上げて慎重に下ろす。そこは庭園の裏側の斜面で、後宮の建物を隠すように常緑樹の木立がびっしりと覆っていた。地面はジラールの足の長さほど下だ。  ここまで身軽に先導したくせに、肩の生き物はジラールにしがみついていることにしたらしい。勝手に胸の中のほうまで潜りこんでくる。首に毛皮の感触を感じながら、ジラールは庭園に降り立った。宮殿はすぐそこだ。  静かだった。透かしたレースのような葉が梢から垂れ下がり、ぴんと立った幅広の葉の裏であざやかな紫の花が咲いている。このあたりでは見ない植物だ。風に乗るように遠くから喧騒が聞こえてくる。日はもう高く昇っていて、ここまで移動するためにジラールが費やした時間を示していた。計画通りならレジスタンスは蜂起したはすだ。しかし将軍はまだ生きている。  ジラールは木立に隠れながら近づいていった。兵士の数はまばらだった。この宮殿の防御については伝説めいた逸話がいくつかあったが、そのうちのひとつは、銃や大砲をここへ向けて撃っても跳ね返されるというものだった。これを民衆に示すため将軍みずから兵士に大砲を撃たせたともいわれている。  歩哨を無力化するために銃もナイフも必要なかった。時間にしてほんの三呼吸ほどだ。宮殿の床は絨毯に覆われ、足音を吸収する。ジラールは贅沢な調度の影に隠れながら部屋をめぐり、階段を上った。広いのにあまりひとの気配が感じられず、静かだ。そばだてた耳に話し声が聞こえて足を止める。 「状況は」 「謁見に向かった「影」が昇降装置から指揮を……」  ジラールはあたりを見回した。話し声のする部屋のとなりの扉を開けると、ちょうどそこにいた召使の眼と眼があった。息を飲んだ男に走り寄り、口をふさいで首のうしろを打つ。倒れた召使をそのままにして窓からバルコニーへ出た。壁の突起を手掛かりに隣のバルコニーへ移り、体を低くして中を覗く。  外の明るさに反して室内は薄暗かったが、将軍の姿はみえた。背の高い肘掛椅子に腰をおろしている。話しているのはそのすぐ隣にいる男だ。室内には他にふたり護衛の兵士がいる。将軍の隣に立つ男は窓に背を向けていた。ジラールは耳を澄ませた。男の声は何度も喉を潰したかのようにかすれていた。 「事前に情報がありましたから蜂起の規模は把握ずみです。鎮圧は時間の問題でしょう」 「ロビンソン、影がひとり死んだな?」 「今朝の狙撃で撃たれましたが、もうひとりいます。ご心配は無用ですよ。この中にいるかぎりあなたは安全です」  将軍の隣の男は体をすこしずらし、おかげでジラールに横顔がみえた。エヴァリストがいった「最近お気に入りの側近」に違いない。だがはっきりと昔の面影がよみがえる。ロリマーだ、とジラールは思った。  それでもやはり他人の空似かもしれなかった。  ジラールは眼で距離を測り、拳銃を抜いた。よい角度ではなかった。迷ったジラールを見計らったかのように側近が窓の方を向いた。ジラールは即座に体をかがめて撃鉄を起こした。窓があけられた瞬間、そちらに向けて撃った。  弾は護衛の兵士の胸を直撃した。こちらに倒れてくる男を踏み台にしてジラールは室内に飛びこみ、向かってくる兵士も撃った。将軍と側近が走って逃げていく。廊下を追って階段を駆け下り、後宮の方向へとあとを追うが、向かいから足音も荒く兵士があらわれた。銃ではなく剣を持っている。ジラールは体当たりで突き飛ばし、倒れたところにのしかかって殴ると剣を奪い、顔を蹴とばして走った。  背後で女の悲鳴が聞こえる。廊下の曲がり角から飛び出してきた兵ふたりに奪った剣で応戦し、ひとりに切りつけた勢いのままもうひとりに突きかかる。そいつを片づけて身体を反転させたところにまた別の兵士があらわれ、ジラールは手に持った剣を投げつけた。ひるんで一歩下がった兵士に背中の小銃をはずしながら突進し、台尻で殴りつける。  庭園を駆け抜けて後宮へ走った。背後を兵士が追ってくるが、砦の下から響く喧騒も側近の言葉とは裏腹に、静まってはいないようだ。走りながら周囲を察知する。狙撃に必要なのは鷹のような眼と耳で、ジラールはどちらも備えている。横手にみえた木立の影に跳びすさると、前方の目標を見失ってうろたえた兵士の脚につかみかかり、地面に押し倒して首を絞める。立ち上がってまた走り出す。後宮と庭園の中間に建つ角塔の周囲に兵士たちが展開し、ジラールに向かってくる。ジラールは小銃を構えると敵の足元を狙って何発か撃った。すぐに弾が切れてしまうだろう。箱弾倉をひとつ腰にぶら下げているが、それで終わりだ。  そのときだった。ジラールの背筋が急に寒くなり、うなじの毛が逆立った。  頭上を何かが――空気を切り裂いて――飛来する。  こちらに向かってくる兵士を無視してジラールは体を地面に伏せた。反射的な動作だった。とたんに胸元で何かがもぞもぞ動くのを感じ、ここにエヴァリストの動物がおさまっていたのを思い出した。  つぶさないように肘をつき、頭を抱えたとき――それが来た。  最初に軽く背中を突かれるような衝撃があった。ついで、以前ここで罠にかかったときと同じ倦怠感が襲ってくる。魔力を奪われているのだと今はわかる。以前と同じ……――いや。  動ける。  ジラールは体を起こした。角塔の周囲に展開していた兵士がすべて地面に倒れている。すぐ先にいた兵士は泡を吹いている。  ジラールの胸元は暖かかった。生き物の重さが感じられた。手をつっこむと細い舌がジラールの指を舐めた。見下ろすとまた眼が合った。何となくうなずきかえして立ち上がる。  自分が正気なのかどうか、すでにどうでもよくなっていた。後宮へ向かっても誰も止める者がいない。屋外にいた兵士は全員、あの飛来した何かに打ち倒されたらしい。武器を確認し、半開きになった正面の扉の影から中を覗く。女たちがざわめいている。 「何者!」  ジラールを見とがめた兵士が向かってくる。素手で受けて投げる。女の悲鳴が響く。ジラールは走っていく。後宮は廊下がなかった。つらなった部屋に女たちが住んでいるのだ。斜向かいの壁にもうひとつ扉がある。ジラールは体当たりしてつっこんだ。背後から悲鳴が上がった。  将軍がふりむいた。とてもゆっくりした動きに感じられた。  ジラールは腕をあげ、引き金をひいたが弾は出なかった。一瞬で銃を捨てて短剣を抜く。視界のすみで長い剣が閃いた瞬間に頭を下げてかわした。いつのまにか胸元が軽くなっている。頭の片隅に安堵する自分がいる。あの生き物は無事に逃げおおせるだろう。降ってくる刃を短剣で受けとめ、そのときはじめて剣をふるう相手と眼が合った。 「よう、ジラール」  ロリマーが笑った。

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