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第14話
ジラールはひとことも発さず剣を閃かせた。まったく表情が動かなかったのでロリマーはいささか残念に思った。二十歳かそこらの時もこうだったかもしれない。この男が驚いたり動揺するのはどんな時だろう。しかし短剣でも豪腕の威力はすさまじく、ロリマーはうしろに飛びすさった。ジラールは剣を無造作に振っているわけではなかった。確実にロリマーを後退させ、標的へ近づこうとしているのだ。もちろん将軍は愚か者ではなく、ロリマーが戦う隙をついて逃げようとしている。
将軍に死なれるのは困る。自分が死ぬのはもっと困るが。<Q>は砦の民の将軍への尊崇を利用して、将軍は生かさず殺さず、中身だけ手に入れる目論見だった。ロリマーがロビンソンとして将軍に近づいたそもそもの目的だ。
大陸は広い。二十歳そこそこで故郷を遁走したロリマーがこの川のほとりへ戻ってきたのは、北の寒さに飽きたからだと自分にはいい聞かせている。雇われと無法者のあいだを行ったり来たりしながら三十歳もなかばをすぎて、どこか一カ所へ落ち着きたいという願望が自分の中にひそんでいることには気づかないふりをしていた。
「来いよ。相手してやる」
将軍を追うジラールを阻みながらロリマーは武器を探す。宮殿の防備は崩れた。いまこそ銃が役に立つときだ。
ロリマーが銃を抜いた瞬間、ジラールは物陰に隠れた。
将軍の姿が消えたのには気づいている。ジラールの意識は標的だけに向けられていた。ロリマーはどうでもよかったし、彼がなぜここにいるのかにも興味はない。後宮全体がざわついて、慌ただしく人々が逃げ出していく。将軍が出て行ったに違いない通路へ飛び出すと後ろから銃声が響く。
扉を盾にしてやりすごし、走る。後宮を飛び出すと庭園じゅうに唸るような音が響き渡った。昇降装置が動いたのだ。誰が動かしているのか、とジラールはふと思った。なにしろこの装置は人力だ――ついにレジスタンスが奪い取ったか、それとも他の勢力か。
将軍はどこへ行った?
ジラールは庭園の樹の影に隠れながら宮殿へ走った。突然兵士が四方八方からあらわれた。砦の兵士と、レジスタンスと、それ以外が混ざっている。ひたいから頬にかけての入れ墨は丘の部族だろう。剣の音に銃声が響いた。狙われているのはジラールではなさそうだった。保護にせよ殺害にせよ、連中が目指しているのは将軍に他ならない。ジラールが木陰から飛び出すと砦の兵士が剣をひらめかせて襲ってきた。動転しているのか新米なのか、隙がありすぎて蹴りを入れるだけでバランスをくずし、後ろに倒れる。ジラールは素手で剣をもぎとると柄で地面に打ち倒した。
宮殿に走りこむと中は完全に乱戦と化している。いっそのこと将軍など連中に任せてここを脱出すべきだ、という考えがジラールをよぎる。これは最後の仕事だ。仕事で死ぬつもりはないとエヴァリストにいったのは嘘ではない。だがこの状況で単に脱出するのも難しい。
背後でバンっと何かを蹴倒す音がして、ジラールは反射的に体をかがめると後ろに反転して目の前にいた兵士を素手で倒す。これは砦の兵士だが、どうも銃を持っている者と剣を持っている者がまざっているようだ。銃と弾を奪って腰帯につっこみ、宮殿の中をうかがう。昇降装置が動く音はいまは聞こえなかった。
将軍はどこにいるのだろうか。
ジラールはじっと耳をすませた。散発的にパン、パンと銃を撃つ音と、何かが倒れたような大きな音が聞こえる。ふいに足元に何かがまとわりつく。この感触には覚えがある。見下ろすと動物の丸い眼がジラールを見上げていた。無事だったかと安堵し、かがみこもうとしたとき、生き物は耳を頭にぺたんとねかせると、尻尾を立てて廊下をすばやく走り去る。
その先の通路を人影が横切った。丘の部族の入れ墨が眼の端をかすめる。後を追うとまた兵士があらわれるが、戦っているのはレジスタンスと丘の部族だ。ジラールは無視して走ったが、うしろから銃弾が飛んできた。つぎの角をまがってふりむきざまに撃ち、また隠れる。
と、向かい側に隠れたロリマーの顔を認めた。
ジラールへにやりと笑いかけてくる。その唇が動いた。
無意識のうちにジラールはその動きを読んでいた。
(すごく久しぶりなのに悪いな)
(どうしてこんなところにいる)
(仕事だよ。おまえとおなじ)
はじまったときと同様に、唇の動きは唐突に銃弾の音で打ち切られる。
ジラールは弾倉に弾を押しこみ、将軍はどこだろうかと考えた。ロリマーがここにいるのならまったく見当違いの場所かもしれない。
ふと意識を何かがかすった。ジラールが眺めた方向をぴんと立った尻尾が走り抜ける。
ジラールは舌打ちしそうになった。あの生き物はいったい何をしているのか。
生き物がみえた方向へ一気に走った。うしろを追ってくる足音が聞こえる。前方に昇降装置の扉がある。わらわらと兵士が飛び出し、一部はジラールに剣を向け、一部は別の一団へ向かっていく。自分の味方が誰なのかはあいまいなので、ジラールは向かってくるものを端から撃った。突然昇降装置の扉の前に将軍の姿がみえた。だがジラールは混乱した。まったく同じ男がふたりいる。どちらも将軍の容姿で、同じ服装をして――
何かが風を切って飛んできた。
ジラールは反射的に体を低め、横に飛びのいた。肘の先ほどの長さのものが将軍――の姿をした一方――を直撃する。右にいた「将軍」の喉から血が噴き出し、ついでその場に倒れた。
そのナイフがもう一度空を切る前にジラールは飛び出した。走りながら撃つ。数発撃ったところで弾が切れた。背後からまたナイフが飛んできて、避けながらふりむくと敵愾心に満ちた丘の部族の眼に出会う。それを無視して、倒れたふたりの将軍――どちらが本物かはもうどうでもよかった――の足元をうろうろしている毛皮のかたまりを拾った。鈍く光るものを口に咥えている。左の「将軍」の襟にあった徽章だ。
こちらが本物か。
ポケットにつっこみ、ついでに毛皮も胸に押しこむ。ほんの数秒の動作だったが、前方に兵士たちが現れるのには十分だった。ロリマーの顔がみえるのにも。
丘の部族がぐいっと肘をまげ、またナイフを投げる。突然唸るような音が響く。昇降装置が動いたのだ。扉がひらき、兵士の一群がなだれこんでくる。しめて10名ほど、そして足元に倒れた男をみつめて固まった。
静寂がおちた。丘の部族がふたたびナイフを投げるまでの短い時間だ。それから一気にすべての人間が動いた。「罠はもう効かない! 段丘の通路をあけたぞ!」と誰かが叫ぶ。ジラールは向かってくる兵士を手刀で倒すと腰の銃を奪い取った。走り出したが、それは出口を探すためだ。もう仕事は終わった、と思う。それでも後を追ってくる者がいるし、ジラールは向かってくる者を倒さなければならない。やはりもっと早くここを離れてもよかったのだろうか。
胸の内側で毛皮の生き物がひっそりと呼吸しているのを感じる。今はとりあえずこれを砦の外へ逃がさなければならない。
生きていることが楽しい瞬間はさまざまだが、金にものをいわせられる瞬間というのもそのひとつだ。こんなことをいうとアーベルはいつも嫌な顔をしたものだが、エヴァリストは金で物事を解決するのが好きだった。よけいな手間をはぶけるし、無駄な流血や暴力も避けられる。
だからエヴァリストは川を渡るために金で抱きこんだ船頭を雇った。そもそも一刻を争うときではあった。評議会が川向こうへQを牽制するための傭兵隊を集め、もう一部は出発している。腰帯には銃工の工房で手っ取り早く改造した銃を2丁下げていたが、まったくエヴァリストの趣味ではない。
向こう側へ着いたとたん、砦へ向かっていく無数の意識と、砦から流れ出す強い感情を感じ取った。戦いに興奮した人々が心をだだ洩れにしているのだ。エヴァリストは慎重に障壁を築いた。他人の心の動きを読んだり、侵入したり、意思を粘土のようにねじまげる能力と技術は、精霊魔術といえば聞こえはいいものの、どうかすると命取りだ。とくに死人がたくさん出そうな場所では。
まさにこれから死んでもかまわない、という意思で怒涛のように迫る流れがある。それを無視してエヴァリストはちがう声をさがした。仕事で死ぬ気はないと語った声だ。精霊も近くにいるだろう。
庭園へ走り抜けたとき、これまでは閉じられていた宮殿から段丘へ向かう通路が開け放たれていた。ジラールは兵士が撃ってくるのにあわせて撃ち返し、弾が切れた拳銃を捨てる。それでも背後を執拗に追ってくる者がいた。ロリマーだろうかと考える。いまさら自分を追っても意味がないのに、いったいなぜだろう。将軍と砦を憎んでいた丘の部族に追われるよりも、こっちを追う方がいいとでもいうのだろうか。それともただの反射運動か。自分が脱出しようとするから、追ってくる。
通路は高低差が激しく、ときおりジラールは後退したり、段差に潜んで複数の兵士と応戦したが、どこの陣営がどんな風に湧いてくるのか見当もつかない。段丘の中は宮殿以上の混戦状態だった。そして敵とみれば撃ってくる兵士たち以外に、まだジラールのあとを追う者がいる。ついに段丘の下へたどりつくと、意外にあたりは静かだった。騎馬隊はまったく視界にいない。
段丘の裂け目にもぐりこんでしばらく休んだ。怪我はないが疲れていた。もう夕暮れだ。どうも今日は時間の感覚がおかしいと思う。これから暗くなる。砦の外の視界がきかなくなればなるほど動きやすい。
ジラールは胸の内側に手をつっこんで、もぐりこんだ生き物をつかみだす。地面に置くとそいつはジラールの方を向き、耳を立てた。
「行け」とジラールはささやいた。「おまえの主人のところへ帰れ」
生き物は尻尾をふり、ジラールの指に鼻先をおしつけた。すぐ近くで小石がくだけ、うろついている兵士の声が聞こえる。それを合図にするかのように生き物は後ろ足で地面を蹴った。たちまちどこかへ走り去り、見えなくなった。
近くにいるのは砦の兵士ではなさそうだった。レジスタンスならジラールの味方といえるのかもしれないが、混戦状態ではどんな誤解もありえるし、ジラールはもう砦に興味はない。このまま誰にも見とがめられずに川へ脱出すべきだろう。
裂け目にもたれたまま耳を澄ませる。銃は奪ったものが何丁か腰帯につっこんである。余分な弾をさがしてポケットの中をさぐると、将軍の徽章が指先に触れた。手のひらの半分にも満たない大きさの薄い金属だ。星型のトゲが皮膚をさす。このまま少し眠れると楽だった。完全に暗くなるのを待てるとよいが、あいにくそうもいかないようだ。
またいくつかの足音が聞こえた。今度は段丘の周辺をしぶとく探し回っているらしく、はっきりとした指示のあと、低められた声が切れ切れに届く。
「……のは……予定外だ」
「……ふたり……どっちが……」
「いまさらなんでも……」
ジラールは視線を足元に落として耳を澄ませていた。近づく者に気づかなかったのはただの不注意だ。
焼きが回ったな、と思った。この言葉をジラールにいったのは誰だったか。
足元に影が見えた。同時に手の中の星を高く遠くへ投げる。影が止まったところへ走り出し、その方向へ銃を撃つ。それから川の方向をめざして走った。遠いと感じてしまうのも焼きが回ったせいか。しつこく追ってくる者たちがいる。
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