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第15話

 砦は混戦状態だった。まったくらちが明かない。  もう日が暮れていた。勝負はとっくに決していいはずだが、内部はレジスタンスと丘の部族の闘争になっている。将軍は死んだという噂が砦の兵士の間を流れ、一気に彼らの意欲が喪失したからだ。レジスタンスはそのまま砦を占拠するつもりで兵士を捕虜にしたが、丘の部族はそこを端から殺そうとしているらしい。評議会の傭兵隊も騎馬でやってきて、いまや段丘は分割占拠されているらしい。何が何だかわからない。  エヴァリストは銃を用心深く構えながら砦を離れた。今晩も月がない。砦の外側は暗かった。さがしているのはジラールの気配だ。精霊の気配はつかまえたが、まだジラールについてまわっているらしく、位置がふらふらと動いている。おまけに悲鳴のような鳴き声をあげてエヴァリストを呼んでいたりもする。まるで親とはぐれた子供のようだが、これだけでなく、大きな獣のようなあの男もつかまえなければならないのだ。  エヴァリストは馬の腹を蹴って砦から離れた。川べりへと進んだとき、突然ジラールの気配をはっきり感じた。  遠くの暗闇で銃が火を噴いた。  十分距離があるのに、エヴァリストにはこの先のどこかでジラールが地面に吹っ飛ばされたのがわかった。しかし吹っ飛ばされても頑丈な男だ。ほんの何呼吸かで起き上がり、岩陰へ隠れたらしい。敵はジラールを探している。  あそこか。  エヴァリストは馬を走らせながらさらに感覚を拡げた。こういうときは精霊魔術が使えるのは便利だ。と、急にジラールの呼吸を耳元に聞こえるかと思うほど近くに感じた。まだ十分距離があるはずなのに、そこまで自分の意識が〈延びる〉などはじめてだ。驚きすぎて、これが精霊とつながった〈力のみち〉を通して伝わってくるのだと理解するのに手間取った。こんなことが可能なのは、精霊がジラールにもつながっているから――つまり、精霊が中継点となってジラールとエヴァリストをつないでいるからだ。精霊はときに人間の魔術師にすら思いもよらないことをやってのけるが(だからこそ、この土地の古老は精霊を大切に崇めているのだ)これはエヴァリストも初体験だった。 「やれやれ。それにしてもすっかり絆ができてしまったじゃないか」  ぼやくとまたどこかで精霊がこたえて鳴いた。もうこいつの名前はジラールがつければいいんじゃないか、とエヴァリストはなげやりなことを思ったが、だとすると余計うかうかしてもいられなかった。これほど精霊がジラールと深くつながっているのなら、彼がダメージを受けると精霊もそうなりかねない。 「おまえ――もともと僕についてきたんだよね?」  また精霊が鳴いた。今度はエヴァリストに甘えるように。  馬はエヴァリストが意図する方向へ勝手に走っている。エヴァリストの拡大した感覚はまだジラールの存在をとらえているが、さっきより明らかにジラールの気配が薄れている。魔力の気配が薄れるとは生命力が薄れることだ。エヴァリストは内心舌打ちする。さきほどの銃弾はジラールを衝撃で吹っ飛ばしただけでなく、かするか当たるかしたらしい。精霊の気配も弱くなっている。 「急いで」  エヴァリストが話しかけると馬は速度を上げた。丘の部族は砦にかかりきりなのだろうか、追ってこないのは幸いだった。これから砦と段丘は、レジスタンスと丘の部族の川のこちら側の評議会が乱入してさらなる争いの対象になるだろう。川向こうの住民にとっては将軍ひとりに支配されるのとくらべてどちらが良いのか。ちらりとよぎった思考をエヴァリストは切り捨てた。今は前方にめざすものがある。  めざすもの――あの獣みたいな男だ。  そのとき視線の先で白煙が動いた。やっと追いついたのだ。  そう思う間もなくまた銃声が響く。ふたたび閃光、そして白煙。  煙は闇の中でもはっきりみえた。驚いたエヴァリストの馬がいなないた。また銃声。岩陰のあいだからジラールに銃を向ける者がエヴァリストに見える。つぎに暗闇の中で走るジラールの呼吸を感じる。驚くべきことにこの男は前から飛んでくる銃弾を走って避けた。エヴァリストは一瞬あきれた。なんてやつだ。だがその次にジラールが何かを探るような動きをしたのを見とがめた。  武器がないのだ。  悟った瞬間、エヴァリストの腕が自動的にあがった。腰から抜いたものを投げる。 「ジラール!」  ジラールはちらりとも振り向かなかった。誰が呼んだのかすべてわかっているかのように、まっすぐ前を向いたまま地面に何かを捨て、片手を高くあげた。吸いこまれるように銃把が手におさまるのをエヴァリストはみつめる。生まれてからずっとこの銃を使っていたような動作だった。ジラールは腕をふった。彼の腕の先から魔力が流れ出すのがエヴァリストにはみえた。視線と照準が一線にならび、閃光がひらめいた。  どさっと地面に崩れおちる音が聞こえる。  急にジラールと戦っていた存在がエヴァリストの感覚に入ってくる。もう死にかけている。砦の主はもういないのにここまで敵を追ってくるのは忠誠心か、条件反射だろうか。こんなことを考えているエヴァリストは、武器や防備を作って売るという自分の商売を完全に棚に上げているのだが、知ったことではなかった。  ジラールが地面に膝をついている。エヴァリストは馬を放した。精霊が足元に近寄ってくる。精霊とジラール、どちらの呼吸も荒かった。ジラールの手が銃を握ったまま震えている。  エヴァリストは舌打ちをした。突然、なにもかもがむしょうに腹立たしくなった。何年も前、砦の主のために防備と罠を作ったことも、今回それを壊す武器を作ったことも、ジラールが昔なじみに頼まれたからといって、わざわざそこへ乗り込んでいったことも。 「血まみれじゃないか。まったく」  エヴァリストの声に、うつむいたままジラールはぼそっと答えた。 「おまえと会うのは、この道の先の場所だろう」  意識があるなら上等だ。エヴァリストは思わずため息をついた。 「遅いんだよ」  かがんでうしろからジラールの肩をつかむ。手首をぼんのくぼにあて、魔力を一気に流しこむ。同時に精霊が自分の首に飛びのり、首のまわりに尻尾をまきつけて魔力を吸いとろうとした。そちらは勝手にさせておいて、エヴァリストはジラールに魔力をそそぐのに集中した。体内のイメージがエヴァリストをかけめぐる。裂けた組織を補修し、流れ出る血液をふさぎ、体がもっている抵抗力を邪魔するものをせきとめる……  ジラールがまたぼそぼそといった。 「おい、痛いぞ」 「めずらしくよくしゃべるね」  そういうとしゃがみこんでジラールの脇腹をかかえる。ヒッと細く息が吐きだされ、ジラールは眼を閉じた。エヴァリストが得意とする、だがあまり人に知られたくない治癒能力だ。これが痛い――ということはよく知っている。もっともうまくいけばすぐにおさまるはずだが。  ――そしてうまくいったようだった。土で汚れた浅黒い顔の表情が和らいだ。  なぜか突然行き場のない衝動につかまれ、エヴァリストはジラールの頭を抱えこんだ。はずみで髪をしばっていた紐が切れ、黒い硬い髪が広がる。その髪をかきまわし、ひっつかむ。 「怪我人にやさしくできないのか」  うなり声のあとに低いつぶやきが聞こえた。  エヴァリストの喉から笑いがもれた。我ながらおかしな笑いだった。まぶたの奥が熱い。 「おまえが怪我人? 可笑しすぎる」  馬を呼ぶとすぐに戻ってきた。エヴァリストはジラールをひっぱり起こし、鞍にもたれさせる。銃弾がかすった致命的な傷はどうにかなったはずだが、獣はまだ手負いのままだ。 「ぼろ雑巾みたいだな、ジラール」  つぶやくと精霊がエヴァリストの首に頭をこすりつけてきた。再度ため息がもれた。生きていてよかったな、と心のどこかでアーベルの声がいう。うるさい、とエヴァリストは内心で返す。 「まったく。僕が治してやるよ」  黒髪の男の表情が動いた。笑ったらしいが、ひどく獰猛な笑みだ。 「やさしく頼む」 「なんだよ、ずうずうしい」  ジラールはどうにか馬にすがりつき、よじ登ろうとしている。エヴァリストは手綱をとった。ジラールの住処まで、長い道のりになりそうだった。

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