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第16話
川のせせらぎがきこえる。
歌うように流れている。
ジラールは眼をあけた。
白い天井がある。格子に組んだ木組みが白く塗られているのだ。自分の家の見慣れた景色だった。いつ帰ってきたのだろう。明かり取りからおちる光は十分に強い。
気分は軽やかだった。ジラールは天井をみつめながら記憶をさかのぼった。砦を脱出したこと、最後の追っ手に撃たれたこと、エヴァリストが投げてよこした銃のこと――そこまで思い出したとき、ふいに何かが腹の上に乗ってきた。
完全に不意打ちだったので、ジラールにしては珍しく息がとまるのではないかと思うほど驚いたが、見るとエヴァリストの精霊動物だった。耳を立て、鼻づらをジラールの喉のところへつっこみ、ふんふんと匂いをかぐ。それから尻尾でジラールの顔をはたきながら隣へ飛びうつる。
隣?
自分の胸のすぐ横に金色の頭があった。精霊はその首筋に鼻づらをつっこむと甘えるように鳴いたが、ぴくりとも動かない。生き物は残念そうにジラールに眼をむけた。じっとみつめていると首をかしげ、今度はジラールの胸に飛びのってくる。そこでまたもの言いたげに一声鳴くと寝台から下りた。
ジラールはそっと上掛けをあげ、自分も隣の男――エヴァリストも服を着ているのにほっとした。今回も何も覚えていないが、以前のような狼藉は働かなかったらしい。少なくともそう思いたい。
とたんに記憶がある方の一夜――隣で眠っている男と過ごした夜が頭に浮かんだ。ジラールは身じろぎした。
これは目覚めたときの生理的な反応だといいきかせる。すぐそばにある金色の頭は敷布にうつぶせていた。起こしたくはなかった。そっと体をずらそうとした途端、隣の男はジラールの方に顔を向け、横向きになって腕をのばした。相変わらず眠ったままで、ジラールの首に手をまわし、胸に顔を押しつけてくる。寝息は深かった。
絹糸のような髪が首筋をくすぐって、ジラールにいらない欲望がわいてくる。首にまわされた手をほどこうとすると、逆に今度は肩におりてきた。彫像のような唇から吐息がもれると、腕の力が強くなり、ジラールの肩に抱きつくような格好になる。足が軽く絡むように触れる。
あまりよくなかった――いや、逆だ。ともあれ、朝の生理的な反応などと誤魔化せなくなりそうだ。それとも役得なのか?――ジラールの中に不埒な思いが浮かぶ。だが以前何があったにせよ、自分が意識がないとき、あるいは意識のない人間を相手にするのは気に食わない。それに自分に抱きついてくるこの男は、眠っている時より目覚めている方が断然おもしろい。
「エヴァリスト」
ジラールは名を呼んでみた。しかし相手はジラールの肩に顔を押しつけたまま眠りこんでいる。左の耳に唇を近づけ、もう一度名を呼ぼうとして悪戯心が湧いた。そっと耳朶をくわえ、軽く噛む。
「起きろ。襲うぞ」
身じろぐ気配が伝わって、胸に押しつけられた顔がずれ、軽く上がる。
「ん……?」
まだ半分眠っているような眸でエヴァリストはジラールをみつめた。
「何してるのさ」
「おまえが俺に抱きついてる」
「……んん――え?」
今度こそ眼が覚めたのかエヴァリストは頭をあげ、そして慌てて跳ね起きようとして――起き上がれなかった。ジラールが動かないように抱きとめたからだ。
「ジラール、おい!」
「最初に抱きついてきたのはおまえだ」
エヴァリストは息をのみ、ジラールに抱き寄せられたままいやいやをするように頭を振った。
「寝ぼけたんだよ」
エヴァリストの体は温く、首筋が汗ばんでいた。薄い生地の服ごしに緊張がつたわる。ジラールはエヴァリストの頭をかかえこみ、唇を近づけた。
「昨夜は何があった」
「おまえを治療した。それだけだ」
「どうしてここで寝てる」
「おまえを治療したからっていったろ……」エヴァリストは長く息を吐き出す。「僕のやり方じゃ、おまえが眠っていたら仕方なかった。断っておくが、前みたいなことは起きてない。離せよ」
ジラールは唇をよせた。
「嫌だな」
「おい、ジラール……」
「おまえも離してほしいようにみえない」
「馬鹿をいうなって」
かまわずジラールはエヴァリストの背中から腰を撫でおろした。
「どうしてほしい?」
エヴァリストは何度もまばたきをした。本気の抵抗はなく、そらされる眸の下に欲情の影がたしかに落ちる。ジラールは見逃さなかった。腰をもっと強く抱くと、体を反転して上にのしかかる。
「またおまえを抱きたい」
敷布の上に金髪がひろがり、ジラールの黒髪とまじった。こちらをみつめるエヴァリストの眸は奇妙な表情をたたえていたが、ジラールにはそれが拒絶ではないということ以外わからなかった。ジラールは不思議な気持ちでその眸を見返した。何度見てもとてもきれいな男だ。見飽きない。
奇妙に透明な時間が過ぎた。どのくらい見つめあっていたのか。
「おまえ……もう十分だろう」
かすれた声でエヴァリストがつぶやいた。
「いや、足りないらしい」とジラールは答える。
「僕は十分だ」
「そうか?」
ジラールは手をずらし、エヴァリストのひたいにふれた。腰をずらすと双方の堅くはりつめた中心が触れあう。
「ほしくないのか」
「抱かれるのは僕の趣味じゃない」
エヴァリストの声は緊張でこわばっている。それがますますジラールの欲望をそそる。
「そうか?」
ジラールはエヴァリストの首筋に指をすべらせ、鎖骨の上をなぞった。なめらかな皮膚だ。
「そうはみえなかったが」
びくりと指の下で体が震えた。
「やめろよ」
「なぜだ」
「屈服するなんてごめんだ」
「そうか?」
ジラールは服の上からエヴァリストをさする。脇腹、背中、腰と撫でる。腕の中の体が解けるようにやわらいだ。
「嘘だな」とささやいた。自然に笑みが浮かぶ。
「おまえは屈服することも好きなんだ」
エヴァリストのまなざしが一度戻ってジラールのそれと絡み、またそれた。かすれた声がつぶやく。
「……おまえ以外はごめんだ」
獲物が無防備に喉をさらしているようだ。急に獰猛な気分が襲って、ジラールは噛みつくように唇を重ねる。エヴァリストの舌がこたえるように深く絡まり、背中に腕がきつくまわされる。ジラールは肌をへだてる邪魔な服をまくりあげ、へそから胸の突起を乱暴にまさぐった。唇がずれ、腕の中の男がうめく。
そのときジラールの背中に軽い衝撃が走った。
頭のうしろで「キュウ」と声が響く。毛皮がジラールの首筋をはたき、爪が皮膚に食いこむ。
肩に精霊が乗っているのだ。
憮然としたジラールにエヴァリストが笑った。
「そいつ、僕らだけで遊ぶのはよせってさ」
「――なんとかしてくれ」
「名前をつけてやれよ」エヴァリストは指をのばす。精霊が細い舌をのばしてなめている。「そいつはどうも、おまえも主人だと決めたらしい」
面倒になったジラールは肩にとまったままの生き物を片手でつかみ、寝台の向こうに放り投げた。不満そうな鳴き声があがる。人間に返すようにひとこと告げた。
「あとで遊んでやる」
生き物はもう一声鳴いて大人しくなった。ジラールの下ではエヴァリストがクスクス笑っている。
「精霊を邪険にするとしっぺ返しがくるぜ」という。
「後回しだ」ジラールは笑いつづける男の服をはぎとった。「いまはおまえだ。大人しくしてろ」
「僕が大人しくなると思ったら大きなまちがい――」
「それなら好きなだけ鳴かせてやる」
欲望に濡れた眸がジラールをみあげた。
「まったく、よくしゃべるね」
「おまえもな」
そのまま唇を重ねると、ジラールはエヴァリストの言葉を奪い取った。
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