18 / 39
エピローグ
「それでロビンソンの目的は何だったのさ」
壁に貼った地図を眺めながらエヴァリストがたずねた。
ジラールは机に別の地図を広げていた。外ではほとんど見えないくらいの細かい雨が降り、部屋はめずらしく湿っている。こんな雨が降るのは一年でも数日しかない。冬が近づいているしるしだ。
「〈Q〉に雇われて砦を乗っ取るために潜入していたようだな」
「僕が聞いてるのはQじゃなくて、あの男の話だよ」
ジラールが顔をあげると、エヴァリストは背を向けて以前ジラールが地図にひいた座標軸を指でたどっていた。精霊が足元にまとわりついている。かまってほしいのだろうが、エヴァリストは素知らぬふりだ。
「どうもよくわからない。砦が欲しかったのか、将軍を守りたかったのか」という。
「将軍に情が移ったのかもしれん」
ジラールは答えたが、本気でそう思っていたわけではなかった。
「僕が話したときはそう見えなかったけどね」
「帰りたかったのかもしれない。それとも落ち着きたかったのか」
エヴァリストはふりむいた。不思議そうに眉をひそめている。
「どこへ?」
ジラールは手元の地図にあてた定規を放り出した。今日は正確な線を引けそうにない。エヴァリストが近くにいるとどうもそわそわして落ち着かないのだが、自分でもおかしなことだと思う。
「あいつはこのあたりの生まれだ。十数年前に離れてずっと北方にいたようだが、あちらでも手配されていたらしい。お尋ね者ぐらしにうんざりしてこっちへ戻ってきて、〈Q〉を通じて取引をして、将軍に取り入って工作するために砦へ入った、ということだ」
「その話、どこから?」
「報酬の一部だ」
ジラールは明言を避けたが、エヴァリストは気にした様子もなかった。将軍が死んでから4日たつ。川向こうだけでなく、こちら側の評議会もからんだおかげで砦の状況は刻一刻と変わっている。とはいえ現在のジラールに急ぐことは何もなかった。それにエヴァリストにしても情報通に変わりはない。その気があれば自分で調べただろう。ジラールよりも町にいる時間は長いのだ。
エヴァリストの歩みにつれて精霊がジラールの方へやってくる。やはり足元にまとわりつくので膝に持ち上げると肩に乗ろうとするが、ジラールはおだやかに背中を撫でて腕の中に入れた。精霊は首をこちらに向け、もっとかまえといいたげなので、ジラールは耳のうしろを撫でてやった。
「手配ってのは何をやらかして?」とエヴァリストが聞く。
「よくあるやつだ。馬泥棒。強盗」
「ただの小悪党じゃないか」エヴァリストは小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。「悪党というならおまえの方がよほどひどい」
「昔ここを離れたときもそうだった」ジラールはエヴァリストの言葉を無視した。「作戦で暴走して農民が死んだ。それであの人を怒らせて、いなくなった」
「おまえ、知り合いだったのか?」
「むかし、すこしな」
エヴァリストはうなずき、このへんの生まれね、と小さくつぶやいた。精霊がエヴァリストの動きをまるい眼で追う。エヴァリストはジラールの前に足を組んで座った。
「おまえもこのへんの生まれだろう」
問いかけというほどもない、あっさりした口調だった。ジラールは眼の前にいる男の締まった腰の動きに気を取られまいとした。どうも調子が狂うのだ。そんな自分自身にも慣れない。
「ああ。開拓地だった」
ほとんど情報のない答えだ。しかし自分からたずねたくせにほとんど関心もなかったらしいエヴァリストは「よく飽きないな」といっただけだった。
「おまえの生まれはどこだ」とジラールは聞く。
「たぶん北の方だな。この見た目だろ?」
エヴァリストは自分のひたいに人差し指を向けた。
「ただ、僕が物心ついたのは中原から南に移動する隊商だったから、単に産みの親が北の人間だったってだけかもしれないな。別の隊に移ったときはたまたま一緒になった北の部族の古老にいろいろ教えてもらったけど、血縁があったわけじゃない」
ジラールの腕の中で精霊がもぞもぞと動いた。抱く腕をゆるめるとするりと抜け出し、地図の上に乗り出そうとするので、ジラールは背中をつかんで床に戻した。
「おまえは本当に故郷がないのか」
「何をいってるのさ。みんなそうだろ」
そう答えたエヴァリストはおかしなことをいう、とでもいいたげだった。
「故郷なんて錯覚だ。人間なんて風に乗ったり、鳥に食われて遠くへ飛んでいく種みたいなものさ。たまたま落ちた場所を故郷だと思ってるだけだろう。本当に故郷がある生き物なんてこいつらだけだ」
床から飛び移った精霊を膝にのせ、尻尾をいじる。
「こいつらは動く水を越えられないから、ずっと土地についている」
ジラールは腕を組んだ。
「そいつはおまえについて川を渡ったぞ」
「たまに変わり種がいるんだ。だいたい、こいつはおまえにもついていったからな。僕の知ってる精霊の中でもそうとう変なやつだ」
「いいかげん名前をつけてやれ」
「僕は名づけが苦手なんだよ」
エヴァリストから「苦手」などという言葉を聞くことはめったになかった。ジラールは黙って家の外の流れの音に耳をすませる。それから脳裏をよぎった言葉を口に出した。
「コルウス」
「コルウス?」エヴァリストが眼をあげる。「なにか意味がある?」
「どこかの土地の伝説に出てくる、海を渡る鳥のことだそうだ。むかし誰かに聞いた」
エヴァリストは唇をまげて薄く笑った。
「おまえも名づけは下手だな。こいつはどうみても鳥じゃない。どっちかというとリスとかキツネのたぐいだ」
「でも水を越えられる」とジラールはいう。
コルウス、とエヴァリストが繰り返す。その腕の中で精霊がこたえるように鳴き、尻尾を立てた。
「まあいいかな。気に入ったってさ」
エヴァリストはふわりと微笑んだ。美貌がきわだち、何度も近くで――とくにここ最近は――眺めている顔なのに、ジラールはまた腹の底がくすぐられるような、落ち着かない気分になった。どうもこの気分には慣れない、とまたも思う。
「どうして精霊はこんな妙な姿をしているんだ?」
落ち着かない気持ちを押し隠してたずねた。
エヴァリストは膝の上の生き物の耳をまさぐった。「天が動物たちを創造したとき――」と話しはじめた口調には歌うような抑揚がついていた。語り部のような調子だった。
「まずいろいろな種類の眼や耳、胴体、足、羽根、尻尾、つめなんかをこしらえた。次にそれを組み合わせるためにテーブルに並べたんだが、そのとき間違いがおこり、大量の〈魔力のみなもと〉を上にぶっかけてしまった。〈魔力のみなもと〉は勝手に動き回って耳や胴体を好き勝手に組み合わせたから、体じゅうに魔力があふれたおかしな生き物がたくさん生まれてしまった。天は困ってしまい、この生き物たちを精霊と呼んで特別扱いすることにした」
話しながら精霊の前足をとってその爪を指でこする。エヴァリストにかかると精霊はひどくおとなしかった。眼をなかば閉じ、満足げに喉を鳴らしている。
「ところが精霊は、他の動物と同じような眼や耳や足を持っているのに、ひとつとして同じ組み合わせがなかった。だから動物たちのあいだで仲間外れにされ、つまはじきにあった。みかねた天は――なにしろもとはというと自分の失敗だからな――精霊に特別な友達を作ってやることにした。その辺をうろうろしていた人間をつかまえてくると〈魔力のみなもと〉をぶっかけた。こうして精霊魔術師が生まれた」
ジラールは眉をひそめた。
「その話はなんだ」
エヴァリストはまたうすく微笑んだ。
「北の古老のいい伝えだ。ただのお話さ。そうだろ、コルウス」
呼ばれたものの、コルウスは眠ってしまったようだ。エヴァリストは膝の上から精霊を抱き上げるとまた床におろす。ジラールの前の地図に顔を近づけ、書きかけの座標線をなぞった。うなじにかかった金髪がジラールの欲望をくすぐった。これが慣れない気分の元凶なのだ。この男のふるまいはさんざん見ているはずなのに。
「ジラール、どうしてこの地図を見ているんだ」
「行ったことのない川がある」
エヴァリストは顔をあげた。ジラールを正面からあきれたようにみつめる。
「そういえばおまえ、釣りでもするといってたな」
「おまえも行くか」
そういうとエヴァリストは噴き出した。
「僕が釣りに?」
そして予想外といわんばかりの笑い声をあげる。そんなに可笑しいことかとジラールは思う。とはいえ、たしかにこの男が川べりに竿をもって座っている姿は想像しづらい。
「考えとくよ」エヴァリストは笑いながらいう。
「おまえとなら――魚の精霊でも釣れるかもしれない」
ともだちにシェアしよう!