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何かが起きることはすべて尊い(2)
御者は村へ案内され、エヴァリストとジラールは屋敷へ迎えられた。主人はロンブスと名乗った。エヴァリストのような金髪で、宝石のように鮮やかな青い眸だ。屋敷は石造りで壁も床も毛織物で覆われていたが、中の空気はひんやりとしていた。
「申し訳ないが、従者の方も同じ部屋でよいでしょうか。何しろ寒いし貧しいので、広くても暖められる場所が少ない」
ジラールは完全にエヴァリストの護衛だと思われていたが、ふたりとも訂正はしなかった。火を入れさせますからそれまでこちらへと、大きな暖炉が燃える部屋に案内される。やっと空気が温もりに包まれた。外套のベルトを緩めおわらないうちに、良い匂いを立てる鉢とパンが運ばれてくる。
手際の良さを弁解するように、ロンブスが「ちょうど夕食だったのです」といった。食べかけの皿がまだテーブルに置かれたままだった。
「お邪魔立てして申し訳ございません」
エヴァリストはあえて西の訛りをまぜた。
「今晩は助かりました。おひとりでお住まいですか?」
鉢の中身は鹿肉のシチューだった。ロンブスが食事に戻るのを待って口をつける。やけどしそうなほど熱く、濃い。
「息子たちは町に住んでいます。このあたりの方かと思いましたが、遠方の言葉を話されるようだ。冬祭りで湖まで?」
「ええ。西に居を構えていますが、以前から湖の領主と取引がありまして。今回少し頼まれごとを」
「なるほど」
ロンブスは毛皮と刺繍で飾られたエヴァリストの外套や胴着に眼を走らせた。小さな盃に瓶から金色の液体をつぐ。
「こちらもどうぞ。温まりますよ。従者の方も」
ジラールがちらりとエヴァリストの眼をみた。エヴァリストはうなずいて盃を受け取り、匂いを嗅いだ。
「蜜酒ですね」
「春に森で集める蜜を仕込むのです。このあたりの名物です」
早々にロンブスの元を辞し、石の階段をのぼって案内された部屋は、やはり毛織の壁掛けと絨毯で覆われていた。天蓋がついた大きな寝台がひとつ、長椅子がひとつあり、どちらにも毛布と羽根布団が積んである。暖炉で炎が心地よい音楽を歌い、炉には鉄瓶がかけられていた。湯で満たされた水差しは冷めないように布でくるんである。
ジラールは黙ってそれらの物を検分し、それから長椅子に腰をおろしてブーツの紐を解いた。
「不意打ちにしてはなかなかの歓迎だね」
エヴァリストはつぶやき、首に巻きついたままの精霊を引きはがす。
「コルウス、いいかげん離れろ。少なくともここは暖かい」
「一晩中そうだといいが」
ジラールがぼそりといった。
石の壁の外でカンカン、と鳴る音が聞こえる。何かの合図か。ともあれ快適な環境を利用しない手はない。エヴァリストは湯で顔や体を拭った。天蓋の紐をはずすとどさっと音を立てて毛織物が降り、薄暗くなった。毛織物には煙の匂いが染みついている。コルウスはとっくに寝台のどこかへもぐりこんだようで、気配だけを感じ取れる。西育ちの精霊だから、この気候は苦手に違いない。エヴァリストは毛布の下で背中をのばし、朝から橇に揺られた疲労が溶けるのを感じた。
と、上にどさっと重みがのしかかってくる。
エヴァリストは毛布の下から膝で蹴りあげた――が、外した。
毛布をはねのけてジラールが入ってくる。いつもながら大きな熊か豹か、そんな獣のような静けさと圧力だ。
「ジラール、おまえは長椅子へ行けよ」
「寒いだろうが」
ジラールは意に介した様子もなかった。エヴァリストの上に覆いかぶさるようにして、両肩のすぐ脇に手をついている。エヴァリストの鼻に薄い唇が触れんばかりの位置だ。毛布の中が一気に暖かくなる。
「おい、どけって」
エヴァリストはほとんど唇をひらかずにいった。
「寒いんだろう」上にいる男の息が肌をかすめる。
「ああ、寒い。だがねジラール。今日は僕が上だ」
「どうして」
「おまえばかり上なんてずるいだろうが」
「そうか?」
薄闇の中でジラールはふっと笑い、吐息が眼元にふれた。唇が重なり、舌が触れあう。こいつはただのキスもなかなかうまい、とエヴァリストは埒もないことを思った。ジラールの精神は集中していて静かだ。わざと音を立ててキスを返す。
「本当は好きなくせに」とジラールがささやく。
「おまえはしゃべりすぎだ」
天蓋の外側で足音を忍ばせた気配が立つ。
(従者を先にと思ったが……そういう仲ならちょうどいい)
声が聞こえた。空気を揺らす音ではなく、魔力を介して響くのだ。
「まったく、こんなときだけうるさいな」
エヴァリストはジラールの首に腕を回した。
「いいか?」またジラールがささやく。
「……いいよ」
天蓋の布が落ちるのとジラールがうしろ向きに発砲するのが同時だった。エヴァリストは枕元にしのばせた剣を抜き、向かってくる相手を防ぎながら跳ね飛ばす。ジラールが続けて発砲し、狙いをたがわず撃った。うっ、だの、あっ…だの、そんな声があがる。何しろ音を聞いただけで正確に当てられる射撃手なのだ。これで四人。いや六人。
反撃を予想していなかったに違いない。決着がつくのはあっという間だったが、ひとり、戸口から走り出していく足音をエヴァリストもジラールも聞き逃さなかった。ジラールの方が速く、石の廊下を駈けだしていく。後を追うエヴァリストにコルウスが飛びつき、肩にとまって首に尻尾を巻きつけた。
階段の下で、ジラールが最後のひとりを足で押さえつけている。
「貴様ら、何者だ…」
ロンブスの声だ。
「領主に頼まれごとがあるっていっただろ」エヴァリストは横からひょいと覗きこんだ。ロンブスの青い眸をみつめると、瞳孔がくいっと広がる。湖の青だ。
「精霊魔術師か。僕を覗こうとしても無駄だ」
(何を――)
ロンブスは叫ぼうとしたようだが、少し遅い。エヴァリストが巻きつけた金属の輪が両手首をがっちりと拘束した。パチリと火花が飛び、はりめぐらされた回路が青く輝く。
「寒いけど、しばらくこのまま待っててもらえる? 僕らが湖につけば領主が手の者を寄こすだろう。その前に凍死するかもしれないけど」
回路魔術で拘束されたのは手首だけではない。エヴァリストは何もいえないロンブスを見下ろした。
「ここまで領主に頼まれてはいないんだが、成り行きってことで」
「これで全部か?」とジラールがたずねる。
「あとひとり。御者のところにいる。眠ってるな。村の煙は見せかけだ」
「御者は?」
「彼は本物だ。幻の道を<視させ>られて僕らを連れてきたわけだ。同じ手口でやってるな。盗賊団なんてケチなマネで稼いでるくせに精霊魔術の腕前はそこそこいいらしい」
「片づけてこよう」
ジラールはブーツの紐を結び、村へ出て行った。エヴァリストはロンブスをそのままの姿勢で放置したまま荷物を拾った。こちらへ来てくれるなら、冬祭りが近づくとこの森を通る旅人が行方不明になるというけしからん噂の正体をつきとめてくれ、そんな手紙を湖の領主から貰ってはじまった旅だったが、あっさり仕掛けはわかってしまった。
最初に通された暖炉の部屋の奥に一団の住まいらしい場所があった。貯め込まれた食料や小金、奪った装飾品や剣が積まれている。松明を探していると意外なものがあった。
「本を読むのか」
精霊魔術師の持ち物だろうか。手のひらにおさまるほどの小さな書物で、めくると黒い地に金文字が輝く。エヴァリストは無表情でふところに突っこむと、ちょうど戻ってきたジラールには知らん顔をきめこんだ。
松明で照らしながら夜道を戻るあいだじゅう、御者は興奮した口調でしゃべり続けている。
「へえ、じゃあ旦那方は領主様に頼まれてこれを? そいつはすごい話だぁ…」
大袈裟な反応に、エヴァリストはふと御者の心を操ろうかと一瞬考えた。この「頼まれごと」は本業ではなく、ついでに引き受けたことで、あまり触れ回ってほしくなかった。
しかしこのあたりの人々は娯楽に飢えているからすぐに話は広まるだろう。広まれば広まるほど話にはありもしない細部が足され、事実とは異なるものに変化していく。
何かが起きればそれでいいのだ。それだけで。みんな娯楽に飢えているのだから。
横を向くと精霊がジラールの肩に止まっていた。括った長い黒髪に鼻づらを突っこんでふんふんと匂いを嗅いでいる。この光景もきっと大袈裟に語られるに違いない。すぐに原型など留めなくなってしまうだろう。
「まあいいか」
ひとり言をつぶやいてエヴァリストはまた腰を落ち着けた。今度はジラールも橇の後ろに座っているから、まったく余裕がない。革と金属と火薬の匂いがする。
「これで終わりか」と低い声がたずねる。
「たぶんね」
「続きはどうする?」
橇は鈴を大きく鳴らして勾配を曲がった。精霊がジラールの襟のあいだから外套の内側に潜りこんでいく。
「今度は僕が上だ」
「そうか?」
獣じみた微笑が耳元に触れる。
「おまえの髪に似ていたな」そんなことをささやかれた。
「このくらい北に来ればな。珍しくもない」
エヴァリストはつぶやく。たしかにロンブスの髪はエヴァリストによく似ていた。西ではめったに見ない色だ。
「おまえの髪の方がきれいだ」
「ジラール、すこし黙ってろ」
橇は松明の炎をひらめかせ、月が照らす白い道を走っていく。
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