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星のかわりに方位となるもの(7)

 枕のすぐ横で丸まっていたコルウスが頭をもちあげ、その動きでジラールは目覚めた。  コルウスは鼻づらを空気にかざすようにして匂いをかぐ。飛び去る影のように枕の上から消えたのは一瞬のちだ。ジラールは体を起こし、生き物の気配を聞き取ろうとした。板をひっかくかすかな、かすかな音が移動して、静かになった。  そのままじっと耳を澄ませる。コルウスは危険が迫ったから消えたわけではなさそうだった。もともとこの精霊は好きなようにうろついているのである。  ジラールの指にはめたままの輪の下で皮膚がひきつった。手首を脈打つ流れを感じる。窓の外は真っ暗だ。ふたたび寝台に横になり、ジラールは今度は夢をみた。虹色の線をたどる夢だ。視界はふしぎなほど低く、大きく左右に広がっている。体は軽く、壁の突起を簡単につかんで上に上にのぼり、足は屋根を葺く薄板の上を走った。建物の上から眺める王都は実際よりも広く巨大に感じたが、ジラールは気にせず走る。ひと飛びで屋根と屋根のすき間を飛び越え、王城の城壁に飛び移る。  シンパンノトウ。  舌足らずな声、あるいは考えがよぎっていく。軽い体は城壁のすき間を通り抜け、哨戒の騎士の足元をすり抜ける。心臓が考えられない速度で鼓動するが気にもならない。石壁にとりついてよじのぼり、通気口から石の床におりたつ。 『コルウス』  囁く声と同時にふわりと体が宙に浮く。抱きかかえられると乾いた体のすみからすみまで、甘い水のように力がしみこむ。  目覚めると窓の外が明るくなっていた。少し眠りすぎたかもしれない。顔にパタリ、パタリと当たる毛のかたまりをジラールは押しのける。その持ち主であるコルウスが頭をあげ、半眼にした眼でジラールを睨んで、また閉じた。胸のあたりが上下して、満足した様子だ。  妙な夢をみた、とジラールは思う。精霊も夢をみるのだろうか。  口笛を吹きながら支度をすると、街路へ出た。  エヴァリストが消えて数日。ジラールが滞在していた鹿の角亭の部屋は閉鎖されたままだし、今朝のジラールは警備隊の顔ぶれが変わったのに気づいた。見かけ上はいつもと変わらない街路には警備隊のあいだをぬって庶民に伝わる噂もある。貴族が違法賭場で大借金をつくり、夜逃げした。貸主はこれも違法の高利貸だ。遊戯盤には悪しき魔力が宿っている。王が禁止しているのはそのためだ。違法には邪悪な力が関わるものだ。じゃあ、善き力って? それはもちろん、精霊魔術師様の……  邪悪な力と善き力、か。ジラールには馴染みのない感じ方だった。ジラールにはいつでも、力はただの力だった。そこに邪悪も純粋もない。しかし、正しいと決められた使い方とそうでない使い方はあるに違いない。 (そんなの、面白い使い方と退屈な使い方があるだけさ)  ふとエヴァリストの声が思い浮かぶ。いつ聞いたのか思い出せなかった。いかにもあの男がいいそうな言葉だ。  正面から警備隊詰所をたずねると、すっかり顔なじみになった隊員が「悪いがあんたの主人はまだ帰らん」と面倒くさそうにいった。 「あんたも律儀だな」 「そうでもない」 「その体格なら新しい雇い手を探すのは簡単だろう。なんなら紹介してやるよ」  ジラールは黙ってうなずく。隊員たちはすっかりジラールに慣れて、彼がいるときもおしゃべりをやめない。大規模な出動のために休みが延期と嘆いている者がいて、賭場、という言葉が聞き取れる。しかし何日かかけてジラールがひそかに調べた奇妙な路地についての話は誰も口にしない。  もっとも路地と反対の、繁華街の表側についてなら、話は違ってくる。すでにジラールはエヴァリストが拘束された原因の「禁制品」について、おおよそを掴んでいた。夜警のルート途中にあるいくつかの酒場が問題なのだが、なぜか王都の騎士団はそこへ踏みこめないらしい。 「突入作戦?」 「例の逮捕した連中が師団の塔に協力するらしい。魔術が使える方だよ。あの金髪の」 「ああ……結局あの人、師団の塔のアーベルさんの知り合い?」 「みたいだな。なあ、捕り物に騎士団長が出てきたらどうする?」 「それは怖いよ。取り締まりどころじゃない」 「でも団長は前も……」 「どうせ俺らは外部警戒だよな?」  つまりそろそろ動き出すわけだ。詰所の裏側で聞き耳をたてていたジラールは、音もなく歩き去った。

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