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星のかわりに方位となるもの(8)

 どんなところにも企みをもつ輩はいる。  単に利益を求めるだけではない。騎士団と王城、それにその中の魔術師たちの裏をかき、禁制品の輸入のためにはるばる遠国まで偽装の許可証を流し、何も知らない者を賭博の深みに嵌める、これらのすべてを遊びとして楽しむ輩もいる。  そしてそんな輩を権力で取り締まる者もいれば、その裏でこうして――何かを待っている者もいる。  ジラールは煉瓦の壁に挟まれた路地に立っていた。離れた通りから剣戟の音が聞こえている。兵士たちが突入したばかりだ。いつもの警備隊に加え、はじめてみる騎士の部隊や馬車がいる。顔なじみになった隊士もどこかで警戒に当たっているに違いないが、そんな明るい場所にジラールが加わる必要はない。そもそも今、ここにいる必要もないのかもしれない。  だが肩に乗っている生き物はそう感じていないらしい。ジラールは煉瓦の壁を向き、両手を壁につけてすべらせながらゆっくり横に動いていく。何度か真っ暗な夜に試みて、昨日急にコツがわかったのだ。ゆっくり、路地の端から端へと動くうちに肩の上のコルウスが急に重くなる。ジラールは慎重に指輪をはめた手ともう片方で壁に触れる。  いきなり手のひらの感触が変わる。  ジラールは眼を閉じる。指輪をはめた手のひらにだけ、磨いた木のなめらかな感触があたり、ついで金属が触れる。掛け金。そして――馬蹄の浮き出し模様。  扉だ。わかってしまえば簡単だった。  ジラールは眼を閉じたまま一歩下がり、剣の柄の方をかまえて、そのまま扉へと突進した。  蹴破った扉の内側は虹色に光っている。暗闇の中を虹色の線が何本も走り、通路の先へとつながっていく。その線に触れないように走り抜けると、剣戟の音が聴こえる。音の方向を避けて虹色の線を追う。  いきなり眼の前に兵士があらわれる。ジラールは壁にはりつく。王城の一団と交戦するつもりはない。一方、兵士はジラールのことがみえているのかいないのか、ふらふらして唐突に、壁に切りかかる。兵士は舞踏のようにあざやかな剣さばきを披露しているが、相手は壁だ。その壁に虹色の線が浮かび上がるのをジラールはみつめる。おそらく、存在しない何かをいるのだ。ジラールは壁ぎわから飛び出し、兵士が背を向けて剣を振りおろした瞬間、首のうしろを柄で突く。一度で十分だった。どっと前に倒れた体を避け、先に進む。  その先でも同じようにひとり相撲で戦う兵士に出会った。どうやら魔力と回路魔術に関わるらしい、この虹色のせいだろうか。通路は狭くて長く、曲がっていて、内部の広さの見当がつかない。思いがけず長い距離を走らされているような気がする。これもあの虹色の光によるめくらましか。  そう思ったとき急に、ひらけた明るい空間に出た。声が聞こえた。 「ジラール!」  肩の上でコルウスが一声、鳴いた。  ジラールは斜め前にいた騎士をすりぬけるようにして走った。虹色の光が見えたからだ。踊るように剣を振っている巨体の騎士に誰も近づけないでいる。その騎士を盾にするように向こう側に虹色の光がちらちらする。マントのような服を来て、どくろのような顔のなかにあった光る眼がジラールをみつめ――  それがふとぶれて揺れ、にじんでぼんやりした影になり、そして青白い顔をした、普通の人間の姿になった。  ただの人だ。ジラールはその男の前で剣を振る兵士の巨体に体当たりした。兵士には目もくれず青白い顔の男に飛びかかり、壁に押しつける。男はジラールにくらべてはるかに小さく、弱々しく、何の力もない。男の腕をとって壁に打ち当てると鈍い音が鳴り、足で蹴った拍子に骨が砕けた。 「殺すな」  誰かがいった。  コルウスのしっぽがジラールの頬をうつ。ジラールはとらえた男をぶら下げるように持ち上げ、首に手をかけたままふりむいた。巨体の騎士が床にうずくまっている。見慣れた金髪の下で美貌が微笑んだ。隣にいた黒髪の魔術師も一緒に、すばやく駆け寄ってくる。  ジラールは捕らえた男の喉を締めていた手をはずした。男は苦しそうな咳を何度かしたあげく、足を揺らしてさらに抵抗した。やっと大人しくなったのは、黒髪の魔術師が手にした枷をかけたときだった。  ジラールは部屋を見回した。壊れた遊戯盤が散らばって、散々なありさまだ。 「遅いぞ、ジラール。どこで遊んでいたんだ」  隣で聞きなれた声がする。 「間に合っただろう」  ジラールは短く答える。  数歩先に、さっきジラールが押しのけた騎士がいる。どこかでみたと思い、すぐに川でみかけた男だとわかった。黒髪の魔術師は彼に、捕らえた男を引き渡しながら何か話している。騎士の顔は安堵で満ち、まったく触れていないのに、魔術師をみつめるまなざしは親密な色にあふれている。 「肝心な時にしかいないってどうなのさ」  ジラールの隣ではエヴァリストが半分笑いながらからかうような声を出している。 「肝心な時にいるのなら問題ない」  ジラールは指輪を外し、横を見もせずに放った。瞬時にエヴァリストの手が伸びてそいつを掴むと、二本の指先でくるくる回す。 「実際おまえが来て助かった。騎士団は全員、徽章のめくらましでやられていた。僕の予防策は当たったってことだ」 「どこまで知っていたんだ? エヴァリスト」 「賭場の偵察のときに嫌な感じがしてね。ともあれ、あの野良を捕まえたから僕らは解放さ。審判の塔は寝床としては悪くないが、暇すぎる」  あらためて観察すると建物の中は迷路じみた階段と長い通路がつながっていた。表通りに出る扉の手前は酒場になっていたが、警備隊の突入で荒れ放題である。  街路に出るとあの騎士がいた。目礼されてジラールは目礼を返した。年齢は同じくらいだろうか。肩幅は広く、精悍な顔立ちで、見かわした視線の奥には思慮深さが垣間みえる。向こうも川で出会ったことを憶えていたのか、あれから釣りをしたか、と問われた。  ジラールは短く返答しながら無意識に相手の力量をはかっていた。敵として遭うことになったら厄介そうな兵士だった。釣り竿の手配をしようといわれ、ありがたく受けた。  街路は後始末の真っ最中で、周辺住民の野次馬もむらがり、まだまだ騒がしい。警備隊のあいだをジラールは黙ってすり抜けた。うしろを足音がついてくると、横に並ぶ。 「明日からどうする?」  エヴァリストがたずねた。 「道具を手に入れた。川に行く」  そうジラールは答える。 「邪魔するな、コルウス」  首に巻きついた毛皮にジラールはつぶやく。なめらかな肌触りが耳の後ろから首筋をなぞる感触は悪くはないが、そこから突き出た鼻先がジラールの指先を狙っているのは困ったことだ。まるでジラールが遊んでやるつもりだと勘違いしているかのようだ。  この獣は人の言葉や意思を理解しているようにふるまうときもあれば、ただの愚かな獣のように見えるときもある。いったいどのくらい彼は物事をおぼえているのだろうか。驚くほど賢いと感じるときもあれば、何ひとつ記憶していない、現在しか持たない存在のように感じるときもある。 「かまってやれよ。精霊を邪険に扱うとろくなことにならないぞ」  と、エヴァリストがいう。 魔力を介してこの獣と意思を通じ合える魔術師はもっとこの生き物を理解しているのだろう。これまた退屈そうな顔をしてジラールの手元と川面を交互に眺める眼つきは、首に巻きついている生き物に似ているといえなくもない。 「おまえがいなかったから、昨日までさんざん遊んでやったはずだが」 「今おまえと遊びたいんだろ」  ジラールは川面をみつめたままわずかに肩をすくめる。 「忘れっぽいな」 「まさか」何がおかしいのか、隣で金髪の魔術師はからからと笑った。「おぼえているさ。コルウスも、僕もね」 「だったら少しは辛抱しろ」 「早く魚の精霊でも釣れよ」  金髪の魔術師はあくびをする。釣られるようにジラールの首に巻きついた獣も伸びをした。 「いくら昨日をおぼえていたって、今日の退屈は退屈だ」  ジラールは肩をすくめる。水面で何かが跳ねる。 「遊戯盤をめぐるいざこざはこれで終わりか?」 「さあ。野良魔術師はどこにでもいるからな。王都ではなく、地方を探せば面白いことがあるかもしれない。この国は縛りが多いが、抜け穴を探す輩はたくさんいる」 「めくらましに嵌められるために?」 「僕は関係ないけどな。問題はおまえだ。あれは一応、効いたらしいな」 「指輪か」  ジラールは釣り竿の先をみつめる。水面はまた静かになった。風が吹き、空は晴れている。 「いやな感じがしたので急遽試作したんだ。コルウスのような媒介精霊がいればおまえにも使える」 「あれは好かん。はめると妙な色がみえて邪魔だ」 「ジラール、おかげで目くらましを避けられたんだ。騎士団長まで騙されていたんだよ?」 「おまえには関係ないんだろう。だったら問題ない」 「そうか?」  エヴァリストはまた小さくあくびをして、眠気を追い払うように伸びをする。 「目印として使うだけのものも、たまには悪くないだろう」  ジラールの肩の上でコルウスがエヴァリストそっくりのあくびをした。  ふたりと一匹が座っているのは川べりの巨木のそばだ。枝葉の影が水面におちる。さっきまで日が当たっていた地面は暖かく、乾いた草の匂いがする。 「それにしても、まだ川を下るのか? 僕はそろそろまともな宿で寝たいね」 「いや。この国では釣りに専念できそうだ」 「実際いい国だよ。アーベルも騎士団長とねんごろだし、回路魔術師のゆかいな仲間たちもいるようだし」 「おまえはこの国に不満か?」  ジラールの隣で、魔術師――かつ商人で、武器作りで、必要に応じて何にでもなる男――は、川べりの草の穂を一本抜くと、口に咥える。 「剣より釣り竿の方が出番が多い国? おまえも長居すると腐るぞ」 「まだ新鮮だ」 「そうか?」  エヴァリストの指がジラールの髪にふれ、耳のうしろをくすぐる。急に肩の上の重みが消え失せる。コルウスが飛び降りたのだ。 「だったら新鮮なうちに遊べよ」 「いまは釣りだ」  次の瞬間不意打ちがきたが、ジラールはエヴァリストの動きを本能的に読んでいた。横からタックルを仕掛けてくる美貌の男をひねりながらかわし、地面に転がってその手首をつかもうとして、わずかな差で逃げられる。膝蹴りを避けながら立ち、もう一度突進した。勝負はあっさりと決着した。木の幹に追い詰めたジラールの顔のすぐ下で美貌が破顔する。一瞬気をとられて緩んだ手のすきをついて逃げ出すのを、脛に蹴りをいれて捕まえる。 「おい、本気出すなよ」  顔のすぐ下で軽快な声がささやく。ジラールは唸った。 「おまえがいうな」  ただの遊びだ。お互いにわかっている。  のしかかった自分の影の下で青い眸が鮮やかだった。遠くで鳥が羽ばたくのが聞こえる。ざらついた木の幹にエヴァリストの背中を押しつけながら、重ねた唇からは草と日射しの匂いがした。

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