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星のかわりに方位となるもの(2)
この国の人間の外観はだいたい二通りに分かれるらしい、とジラールは歩きながら考える。長身、がっしりした体躯で髪と眸の色が少し明るい外観の者と、細身かせいぜい中肉中背で、濃い髪色と濃い眸を持つ者。肌色は皆それほど濃くはない。警備隊は馬に乗る者と乗らない者がいる。乗馬の者はあきらかに位が高い。襟で光っているのは騎士のしるしだろう。
ジラールにとって観察は趣味と実益をかねている。赤い髪に特徴のある髪型でいかにも異国人の風体をした彼は街路でひどく目立ったが、一度だけ、どこから来たのかと誰何されただけでそれ以上の面倒事は起きなかった。どうやら彼の情報は素早く城下の警備隊に広められたらしい。
しかし異国人がもの珍しそうにあちこち眺めて歩いても民衆は不審に感じないようだった。逆に遠くからはるばるよく来たとひとなつこく話しかける者もいるくらいで、田舎ならともかく、一国の首都でこれは珍しい。
「何しろ回路魔術で都を丸ごと防備するなんて頭のおかしいことをやっている国だ」
城下の宿屋でいちばんいい続き部屋のひとつで、前日の夜、エヴァリストは伸びをしながらいったものである。
「銃は使えないし、王城警備隊も優秀だからコソ泥のたぐいも格段に少ない。おまえみたいなのが剣をぶら下げてウロウロしていると問題になりかねないし、物見遊山で見物でもやってろよ。短期滞在にはいい国だ」
ジラールは自分の赤く染めた髪に触れた。
「この髪、目立つがいいのか」
「目立つからいいんだ」そういったエヴァリストの金髪がランプにきらりと光った。
「特徴的といえばコルウスもいるしな、あとはこれだけだ」
そして手に握った尖った櫛を振り回す。
「おまえの顔立ちなら部族の髪型でもバチは当たらんだろう。僕が結ってやるからそこに座れ。大陸の田舎から出てきて、たまたま僕の従者になってると思わせればいい」
というわけで、この国でのジラールの立ち位置はエヴァリストの従者である。おまけに無口だから、言葉もどのくらい通じているのかと、宿の主人は危ぶんでいるかもしれない。
宿である鹿の角亭は以前もエヴァリストを泊めたことがあるらしく、たぶんその時も彼は金をふんだんに使ったのだろう、同行の商人もあわせて一行は歓迎された。大陸と同様に階下が食堂兼酒場になっており、階上が宿屋だ。安くはなく、周囲にはけばけばしい身なりの女たちも見当たらないし、酒場でくだをまいている酔っぱらいもいない。主人の身なりもきちんとしており、警備隊は定期的に巡回に回っている。
ジラールが戻った時ピザはすでに届いていた。階下で食べるか部屋で食べるかと問われ、部屋へ持ってあがる。エヴァリストと商人はまだ戻っていなかった。ジラールは用意された水で顔を洗った。コルウスはジラールの胸元から飛び降りて部屋の中をウロウロと歩き回っている。不在の間に彼の気に入らないことが起きていないかを確認しているのだ。
鏡の中からはふだんとは印象のちがう顔が見返している。ジラールの本来の髪は漆黒で硬い長髪で、いつもは首のうしろでひとつにまとめていた。大陸に古くから住む部族の一部は髪が赤く、部族のしるしも兼ねた特徴のある結い方をする。
ジラールは自分の祖先がどんな部族と血縁があるのか全く知らず、興味もなかった。しかし顔立ちや肌の色から推測すれば父か母のどちらかにその血が混ざっていてもおかしくはないから、髪を結っても違和感はない。目立つ髪色と髪型のおかげで出会った人の印象が「赤い髪を変わった形に結った男」に終始するのは、大陸でなにかと面倒に巻き込まれがちな彼らにとってはむしろ都合がいい。
器用で頭の回るエヴァリストはそこまで見抜いていたが、問題はジラール自身にはこんな風に髪を結うことはできないことだった。
ジラールはブーツを脱いで寝台にごろりと横たわった。部屋の点検に満足したらしいコルウスがまた胸元におさまろうとする。敷布の上に追いやったが、今度は動物の高めの体温を脇腹に感じた。今日は朝から王都を徒歩で歩きまわったから、それなりに疲労はしていた。眠気を感じながら格子天井の整然としたパターンをながめていると、ふと前夜ここに座り、後ろから髪を引っ張られていたときのことを思い出した。
「ジラール、頭を動かすな」
頭の上から不機嫌そうに響く声に、ジラールはまっすぐ前方を見たまま簡潔に答えたものである。
「痛い」
ふん、と鼻を鳴らす気配があった。
「おまえの髪が硬いのが悪い。おまけに染めているからバリバリだ」
「染めろといったのはおまえだ」
「だから僕が結ってやってるだろう」
恩着せがましい響きだった。ジラールの視界の上方に時々、櫛の尖った先端や髪を結うための得体のしれない道具らしきものが映るが、さっきから彼の髪を頭皮ごと引き抜きそうな勢いで引っ張っているエヴァリストの顔は見えない。寝台に腰を下ろしたジラールの後ろで膝立ちになっているからである。
「まったく、ジラール。おまえが大陸じゃそこそこ名の売れた殺し屋だったおかげで、海を渡っても面倒だよ」
途端にジラールの口が妙な音を立てた。はずみで動いた頭をまた強く引っ張られる。
「おい、動くな。何がおかしい」
「可笑しいにきまってる」
ひたいの皮膚が上に引っ張られるのを感じながらジラールはぼそりという。
「おまえがいうなという話だ」
「ああ? こっちで僕の顔が売れてるのは織り込み済みなんだ。ここにおまえの顔まで売り込んでしまった日には、面倒が一千倍になりかねん」
「いつも面倒に突進するくせに」
ぐいぐいっとまた強く頭皮がひっぱられる。
「面白い面倒を探すのは僕の趣味だ。だが、興味もない面倒に巻きこまれるのは趣味じゃない」
ジラールは鼻をうごめかすだけでこの言葉に応えた。コルウスは慣れない髪油の匂いをいやがり、離れた長椅子の上に丸くなっている。さらに何度も強く髪をひっぱられ、ようやく解放されて鏡をみる。複雑な形にまとめられた髪に触ろうとしたとたん、パシッと手を叩かれた。
金髪の男の顔が鏡に映る。見慣れた美貌だが鏡に映ると妙に新鮮だった。鏡の中の顔とすぐ横にあるものとで数が二倍に増えるためか。左右が逆だからか。
「この国を出るまでこのままだからな。寝るときもほどくなよ」
鏡の中の美貌に目線で了解と返し、ジラールは立ち上がり、膝をのばした。外は真っ暗で、階下の酒場もすでに閉まっている。たかが髪を結ぶだけでこんなに時間がかかるものだとは知らなかったので、これを繰り返さなくていいのはありがたい。
「明日僕はあいつと城下を回るが」
寝台に腰を下ろしたエヴァリストは顎で扉の外をさした。今回ふたりが護衛のために大陸から同行した商人は、隣の続き部屋で眠っている。
「ジラール、おまえはどうする。とくに荒事はなさそうだ」
「おまえが起こさなければな」
パンパン、とふくらんだ上掛けを叩く音が響いた。エヴァリストが広げた両手で寝台を叩いているのだ。そのまま背中を倒して横たわる。
「ジラール――何も起きないさ。この国は平和だし、魔術は手かせ足かせつき。何か起こす方がむずかしい」
「確実なものはない」
「百発百中の男がよくいうよ」
ジラールはブーツを床にそろえて置くと、服を脱ぎはじめる。
「俺は川を見に行く」
「川?」
「釣りをしたい」
寝台の上からエヴァリストを見下ろすと、金髪の男は薄く眼を細めている。
「面倒が起きたら俺をよべ」
そうジラールがいうと、エヴァリストはふっと口もとだけをゆるめて「おまえこそ必ず来い」と返した。
「約束しろよ」
「ああ」
美貌の顎に指をかける。エヴァリストはジラールの眼をみて、突然楽しそうに眸をきらめかせた。
「古老に聞いた話だと、十字を切って誓った約束を破った者は、自分の眼に針を刺すことになるらしい。どうだ?」
ジラールは白い顎から耳の方へと指をはわせた。
「そんな話なら俺も知っている」とささやく。
「遠い東の国には、たがいの小指をからめながら、約束を破った者は千本の針を飲む、という呪いの呪文を歌うらしい」
エヴァリストは噴き出した。その唇にジラールは指をのせる。
「一本の針を眼にさすか、千本の針を飲むか、か。ジラール、おまえはどっちがいい?」
ジラールは考えもせずに言葉を出す。
「俺は剣と銃で足りる」
ふと、自分はずいぶん不用意に喋るようになったように思った。この饒舌な男に同行しているせいかもしれない。重なったふたつの体の下で寝台がぎしりと音を立てる。無防備にさらされた首筋にジラールは唇を寄せる。
錠が回るかすかな音にジラールは眼をあけた。いつの間にか眠っていたようだが、一瞬で完全に覚醒している。コルウスの動きはもっと早く、すでに扉に駆け寄っていた。キュゥン、と甘えたような鳴き声を出してあらわれた人影にまとわりつく。窓は夕刻の黄色い光に染められていた。
「昼寝か? おや、それって」
エヴァリストは動物を抱き上げてつかつかと部屋に入ってきた。この男はどこにいても周囲にはっとするような存在感をまき散らす。それは精霊魔術のせいなのか、美貌のせいなのか。
コルウスはエヴァリストの首に尻尾をまきつけ、甘えるようにクンクンと鳴いた。動物といってもコルウスはただの動物ではなく、精霊動物だ。つまり主と認めた人間の魔力を喰って生きている。流れる水を嫌うこの生き物が海を渡れた原因はエヴァリストにあって、彼の魔力と結ばれた絆のたまものだ。もっともこの生き物は、魔力などたいしたことのないジラールにも懐いていて、その理由はジラール自身にはいまだによくわからない。
「ピザだ」
「ピザ?」
「屋台で買った」
「その箱は?――ああ、なるほど」
エヴァリストはもうピザの箱の掛け金を外していた。
「回路魔術を屋台のピザに使うなんて、さすがこの国だ」
口調には皮肉っぽい微笑が含まれている。ジラールは寝台に座った。髪をなでつけたり結ぶ必要がないのにまだ違和感がある。
「食うか?」
「たしかに小腹が空いた。日が完全に落ちたらまた出かけるが、その前にひとつ……」
「俺も行くか?」
「いや、僕以外に目立つ新入りがいるのは――」
いいかけてエヴァリストはジラールの顔をしげしげと眺めた。珍しいものでもみるような眼つきだった。
「おまえ、変わった頭しているな」
「おまえがやったんだ」
「そうだった」
エヴァリストは唇の端をあげてニヤッと笑う。
「ピザ、食べようか」
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