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けっして損なわれることがない(3)

 たぶん格闘でも、駆け引きでもない。  純粋な愛の行為とも異なる。たとえばゲーム? 格闘も駆け引きもすべて含んだ、たがいの存在を確認しあう儀式のようなもの。  明かりを消し、締め切った部屋の暗がりでジラールはエヴァリストの後ろ髪をつかむ。一度敷布の上に組み敷くのに成功しても、柔軟な体はジラールから逃れる隙をずっと狙っている。うなじにかかる髪の柔らかい感触に注意を奪われた瞬間、反転させられる。膝を脚で挟み、手首をつかむ。たがいに傷つけるつもりはなく、それでもぎりぎりまで接触したい欲望がある。  絡み合ううちにお互いを裸に剥く。どちらも荒い息をつき、じゃれあいとも競争ともつかないやり方で互いを弄る。ついにジラールはリードをとってエヴァリストの腰をつかむ。己を深く埋め、突くたびに、エヴァリストの背がしなって揺れる。獣のようなうめき声がどちらの口から発せられたのか、しだいによくわからなくなる。ひとつだけはっきりしているのは、腕の中にいるこの男の核にはけっして損なわれることがない何かがあるということだ。  外は雪だ。夜もふけたころから本格的に降りはじめた。明日は積もっていることだろう。階下のホールの暖気が煙突を通して伝わるために寝室はほのかに暖かく、終わったばかりの行為のためにエヴァリストもジラールも汗ばんでいる。 「ラルフは何を裏切っていると思う」  裸の胸をむきだしにしたままエヴァリストがいった。  ジラールは無言で彼の方を向いた。エヴァリストは天井をみあげていた。黒く太い梁が寝台に横たわったふたりの上で交差している。闇に慣れた眼には夏に塗り替えたという白い壁がはっきり見えるが、黒い梁は対照的に、影のようにぼんやりとしている。 「心を視ればいい」とジラールはいった。「おまえならわかるだろう」 「思考というのはあっさりものだけじゃない」  そう金髪の魔術師は答えた。 「ラルフについて僕がわかっていることはあるさ。あの男の感情はおまえやワイルのように静かじゃない。たとえばそう、ここの店主のワイルだ。ラルフは彼に傾倒している。敬愛や友情を超えて」 「この店を続けてほしいと彼が頼んだのもそのせいか?」 「理由のひとつかもしれないな」  エヴァリストはふうっと息を吐きだした。 「それが全部かどうかは怪しいね。ひとの思考は……層になっているものだから」  いきなりジラールの顎に指があてられる。唇をなぞり、頬から耳のあたりまでたどっていく。 「直後の行動に結びつくような考えなら、瞬間的な感情からわかるときもある」エヴァリストはささやいた。「だが、こころの深いところで続けられる思考――何年も考え続けている計画やたくらみ、当人にとってもうしろめたい願望はただの感情の放射にはあらわれない。少なくともそのままの形ではな。そういう思考は――影となってちらつくんだ……裏切りもそういうものだ。おまえも知ってるだろう?」  ジラールは答えなかった。ただすこしばかり驚いていた。この男と付き合って何年にもなるが、精霊魔術の詳細について彼が話すのは初めてだった。 「他人の思考の層を奥まで知る〈探査〉は難しいんだ。練習や指導がいる。生まれ持った魔力だけじゃ無理だから、アーベルの王国のように学院や徒弟制度がある。だがこの自治領に入ってからこっち、精霊魔術の気配をほとんど感じないんだ。ここで精霊魔術がどういう扱いか……どうもきな臭い。信仰と関係があるのかもしれないが、うかつに〈探査〉を行うにはリスクがある」  指がジラールの耳をひっぱり、離れていく。 「どうしてこの土地は精霊魔術を許可制にしている?」  たずねながらジラールはエヴァリストの指をさがす。 「管理したいんだろうな」金髪の魔術師は早口になった。「回路魔術は小さな魔力を回路に誘導して重ね合わせ、増幅する。糸を編むように魔力を絡ませて〈力のみち〉を太くする。この力は生命のないモノにしか作用しないが、わかりやすく眼にみえる形にできる。回路魔術師に魔力よりも回路を作る才能が求められるのはこのせいだ。だが精霊魔術は人の内側にある〈力のみち〉に直接作用する。みえないものをひとは怖がる。ジラール、おまえは恐怖をなくす方法を知っているか?」  ようやくつかまえた魔術師の指は魚のようにジラールの手のひらでもがいた。 「さあな」とジラールは短く返し、指を自分の唇に引き寄せる。 「枠にはめるのさ。おい、ジラール。やめろって。爪が痛む」  不満そうなエヴァリストにかまわず、ジラールはつかまえた指に舌を這わせ、先端を軽く噛む。隣の男の体がかすかに震える。 「俺にわかるのは、ラルフはまだ俺たちに出て行ってほしくないということだけだ」  ジラールは甘噛みをやめて舐めるだけにした。生き物の皮膚というのは不思議な味がする。 「彼の望みはなんだ? エヴァリスト」 「わからん。だがもう冬だ。僕としては逃げた店主をどうにかして連れ戻すか、タークとソランジを鷹の嘴の主人にするか、どちらかにしたい。ワイルの行方は案外ラルフが知ってるんじゃないか。まあ、ラルフの隠し事の見当もついているがね」  それではラルフには、エヴァリストのいう〈裏切り〉とは別の何かもあるわけだ。 「旧領主に関係があるんだな」  ジラールはそういってエヴァリストの手を解放した。首のあたりに吐息がかかり、エヴァリストが微笑んだのがわかった。 「おまえもそう思う?」 「ワイルの出自だろう。旧領主の係累か、隠し子か――」 「自治領となって十年。ここの住民も昔ながらの〈オヤジ〉が恋しくなる年頃なのさ」 「ワイルに反乱の意思はない?」 「どうだかな。あの男は感情をうかつに出さなかった。おまえと同じだ、ジラール」  突然鼻をつままれる。ジラールは反射的にエヴァリストの手首をつかんだ。ふと、さっきの彼の言葉を思い出す。 「タークとソランジ?」 「タークは十七歳だ」  隣の男はジラールの手を振り払い、寝返りを打った。声がこもったように響いたのは、ジラールに背を向けたからだろう 「ワイルが養い子にする前はどう育ったのか知らんが、もう大人になれる。この町の食堂は冒険ができないから僕はすぐ飽きるよ。休日のポット食にはもう飽きたしな」  ジラールは上掛けと毛布を引っ張り上げた。エヴァリストの背中に体を寄せて腕を回す。意外なことに素直にジラールに体を預けてくる。低い声がつぶやく。 「まあ、ラルフの思考を知る簡単な方法はひとつあるが――ただな……」 「簡単な方法?」 「ラルフと寝ればいい」エヴァリストはしのび笑いをもらした。「僕の得意な接触技さ。以前おまえに使った治癒の応用編だ。だがどうも食指が動かないな。あいつ、可愛くないだろ?」  ジラールは眉をあげてすこし考えた。 「おまえの方が可愛いな」  あきれたような声が聞こえる。 「それは余計だ」 「そうか」  ふと思い出してジラールはたずねた。「コルウスはどこにいる」  戻ってきた声は眠そうだった。 「裏庭の木の|洞《うろ》だ。お仲間といっしょさ。冬が来るのに春の気分らしい」 「ここに居着く気か?」  返事はなかった。ジラールは枕に散らばる金髪をながめた。闇の中でもほのかに光を反射している。いまだに見飽きないのを不思議に思いながら、いつのまにか自分も眠りに落ちていた。

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