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第14話

新しく担当になる住吉さんからはメールで連絡が来て、土曜のお昼過ぎに挨拶に行くと書いてあった。 僕は少し早めに昼食を取り、作務衣から濃紺の着物に着替え、少し前に短く切った髪を整えると、住吉さんが来るのを待っていた。 13時過ぎ、インターフォンが鳴る。 「はい……」 信じられなかった。 カメラに映ったのは、ずっと探していた加寿也君そっくりの男性で、思わず、その名を呼びそうになる。 あの時とは違う明るい茶色の髪をオールバックにして、黒いジャケットに白のハイネックシャツを合わせているその姿を、今すぐもっと近くで見たくなった。 加寿也君。 やっと。 やっと出逢えたんだ。 僕は涙が出そうになった。 「住吉です」 けれど、その声を聞いて、僕は頭が真っ白になった。 「あ……はい、どうぞ……」 違う。 見た目はそっくりなのに、声は全然違う。 張りのある低い声ではあるけれど、低くて掠れた、あの声じゃない。 僕の大好きな加寿也君の声じゃない。 気持ちの整理がつかないまま、僕は住吉さんを迎えた。 「突然押しかけるような事になってしまい、すみません」 「い、いえ、どうぞ……」 近くで見ると、顔も体つきも加寿也君そのものだった。 その声だけが別人で、この人が加寿也君の生まれ変わりだという確信が持てなかった。 「素敵なお宅ですね。初めて来たのになんだか懐かしい気持ちになります」 「……そうですか。100年以上経っている建物なのですが、僕も気に入って住んでいるのでそう感じて頂けて嬉しいです」 一緒に過ごしたあの場所と同じ作りにしていた居間。 この居間を見て懐かしい気持ちになるって、それが本当ならこの人は加寿也君なんだろうか。 「脚、怪我されたんですか?辛いなら無理しないで下さい」 お茶を出すのに台所に向かって歩く僕に、住吉さんが話しかけてくる。 「ご心配をおかけしてすみません。昔、事故に遭って以来こんな風にしか歩けなくなってしまいまして……」 「そうだったんですか……」 僕にかける言葉を探しているのだろう。 迷いが感じられるその声は、加寿也君とは程遠いものだった。 住吉さんは初対面だから、という事なのかもしれないけれど、僕にはそれがとても寂しく感じられた。 少し前に沸かした電気ポットのお湯で緑茶を入れ、大福と一緒にお盆に載せて住吉さんに出す。 「ありがとうございます、大福、大好きなんですよ」 「そうですか。良かったです」 今も続く、加寿也君も好きだったお店の大福。 食べて記憶が……なんて事が起こればいいのに。 僕は加寿也君そっくりの住吉さんの屈託のない笑顔にそんな期待を抱いてしまっていた。 「挨拶もせずすっかり寛いでしまってすみません。改めてご挨拶させて下さい、新しく担当になる住吉尚道(ひさみち)です」 そう言って、住吉さんは僕に名刺を手渡してくる。 「よろしくお願いいたします。音羽(おとは)です」 僕は今使っているペンネームを言うと、笑顔を返した。 「作品を読ませて頂いた時はもっと歳上の、ご年配の女性だと思ってました。俺とそんなに変わんないですよね、きっと。俺、26なんですけど」 あぁ、あの時と、別れた時と同じ年だ。 僕は込み上げてくるものを必死で堪えた。 「ぼ…僕は29です。年…近いですね……」 「やっぱり!でも、すごく落ち着いてますね、先生は」 美味しそうに大福を頬張る姿は加寿也君にしか見えなかったけれど、それで記憶を取り戻す……というような事はやはり起こらなかった。 「……それに……男なのにすごく綺麗だ……」 「……!!」 真向かいに座ってお茶を飲もうとすると、あの頃と同じまっすぐな瞳で見つめられてこう言われた。 その少し赤らんだ頬は、加寿也君が僕に初めて接吻してくれた時によく似ていた。 「あっ、すみません、変な事言って」 「い、いえ、そんな風に言われた事がなかったので、びっくりしました」 加寿也君、君なの? それとも、ただ君に似ているというだけの人なの? 分からないよ。 住吉さんとの時間は、その事しか考えられなかった。 「……じゃあ来週は今回の作品の書籍化についてもう少し詰めた話と、次作の話をする事でいいですか?」 「あ……はい……」 今回の作品を書籍化する、という話を沢山したような気がするけれど、全く記憶に残っていなかった。 「先生のお宅、桜も見えるんですね」 「えぇ、ですがあの桜はここより間近で見る方が綺麗ですよ。お帰りの際にでも是非ご覧になって行かれては?」 「そうですか。じゃあそうします」 話が終わる。 住吉さんは立ち上がり、玄関の方へと歩いていった。 僕は見送る為にその後に続いた。 「先生、一緒に見ませんか?桜」 「え……」 「脚が大変なら俺が連れて行ってあげます」 「わぁ……っ……!!」 突然、住吉さんは僕を抱き上げると、そのまま外に出た。 「男なのに女みたいに軽いですね、先生。ちゃんとメシ食ってますか?」 「た…食べてますよ!恥ずかしいから降ろして下さい……!!」 少し強引なところ、この身体のあたたかさ、加寿也君みたいだ。 「お、先生の言う通りですね。綺麗な桜だ」 住吉さんの瞳に桜が映っている。 あぁ、何て綺麗なんだろう。 思わずこの手を伸ばしてその頬に触れたくなる。 その名を呼んでしまいたくなる。 「……先生?」 「あ……すみません、桜に見蕩れていました……」 でも、僕の名を呼ばないこの人は加寿也君じゃないかもしれない。

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