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第4話

「え……」  そこに映っている自分の姿に詩倫は驚く。  なぜなら自分が知る自分の顔とはまったく違う顔だったから。髪の色こそ、ブルネットで見ようによっては黒髪と言えなくもないが、目の色が右目と左目でそれぞれ違う――緑色と菫色――のオッド・アイ。  ごろつきの男たちが言っていたことは本当だった。  しかも、かつての自分とかけ離れた、それこそ美少女と言っても差し支えないほどの顔貌で、あまりに驚いて茫然としてしまう。繊細な作りの儚い容貌。これが自分だというのか。思わず見入ってしまうくらいの美貌でさらに頭の中が混乱した。 (確かにこれは……あの男たちが言っていたこともわからなくはない……けど)  まさかこのきれいな顔が自分の顔とも思えず、つい人ごとのように思ってしまうが、あやうく自分はあの男たちにいいようにされた挙げ句、売り払われようとしていたのだ。こうしてアルトゥンベックに助けられたからいいようなものの、これが自分であっても他人であってもあのようなことは許されることではない。  つくづく、自分は幸運だったのだ、と詩倫は思った。  そして、やはり自分はなにかの拍子で、意識だけがここに飛ばされてきたのだろうか。この見ず知らずの場所に。 「どうかしたか」  馬の世話を終えたアルトゥンベックが詩倫のもとに駆け寄ってきた。詩倫が長い間じっと水面を見つめていたことが気になったのだろう。 「いえ……これが自分の顔なんだなと思って……目の色も右と左で違っていて……」  ゆらゆらと映っている自分の顔に詩倫は小首を傾げた。どう考えても地味だった本来の自分とはかけ離れていて、つい頬や唇を触って確かめてしまう。  その様子がおかしかったのか、アルトゥンベックはクスクスと笑った。 「そうだ。それがきみの顔だよ。あの男たちがきみを攫いたくなった気持ちもよくわかる。言い方は悪いが、これだけきれいなら金持ちに売れるだろう、ってね」  物騒なことを彼は口にするが、事実だ。詩倫自身から見ても、この顔なら力仕事をさせるより、娼館にでも売ったほうが手っ取り早く金になる。 「あの……あの人たちは僕のことを《神の子》って言っていましたけど、神の子ってなんですか? 僕にはなにもわからなくて……」 「本当になにも覚えていないのだな」  アルトゥンベックはそう言うが、もともと知っていたものを忘れたというわけではなく、はじめからわからないのだ。それに彼はここをシャルクという場所だと言ったが、そのシャルクという地名すらわからない。国の名前なのか、街の名前なのか、それとも村の名前なのかすら。 「はい……アルトゥンベックさんはここをシャルクというところだとおっしゃいましたが、シャルクという地名も僕にはわからなくて……すみません」  せっかく親切にしてくれている彼に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。精霊が導いたということを言っていたが、彼にとってはただの行きずりの人間でしかない。本来ならここで捨て置かれても詩倫には文句も言えない立場だ。 「謝らなくていい。きっと攫われたときに頭でも打ったのだろう。いずれ思い出すからそんなに悲しい顔をするな」  そう言ってアルトゥンベックは笑ってみせる。詩倫は小さく頷いたが、彼を欺いているような気持ちになり心が痛んだ。  だが、これからどうすべきか。両親を失ったとき以上に絶望が詩倫を襲う。少なくとも日本にいた頃は、住むところや、多くはなかったもののしばらく暮らしていくだけの貯金を両親が残してくれたから、高校を卒業するくらいまでは衣食住に困らなかった。仕事も高校の先生が奔走してくれたおかげで、ベーカリーに勤めることができ、手に職をつけることもできるようになった。  けれど、今は――。  右も左もどころか見渡す限りの草原では生きていくことがなにより一番の困難。先ほどのように盗賊に襲われるか、野生動物の餌食になるか。詩倫の目の前は真っ暗になる。 「自分のことも覚えていないとなれば、不安なのはシリンのほうだ。俺の気が回らなくてすまない。俺でわかることはなんでも教えよう。その前に腹ごしらえをしないか。空腹はよけいに気持ちを乱すからね」  そう言って、馬に括りつけてある荷物の中から干したあんずを取り出すと、詩倫の手にいくつか手渡した。

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