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疲れるけどまあ悪くない

 眞嗣嶺音(まつぐ れのん)。  それがさっきの学ラン詰襟の男の名前。  うちの職場の保護対象であり、仕事の依頼先でもある。  いわゆる『天才少年』。  ハッキングやらプログラミングやら、情報処理といわれる部門ではもう、他の追随を許さない頭脳の持ち主だが如何せん取り扱いの難しい御仁なのだという。  たしか、今現在で高校三年のはず。  高校には一応通っていて、卒業後は完全にウチの保護下に入る予定。  嶺音の担当者が、さっきのメイド服の男。  俺の尊敬して憧れていた先輩の一人、中村深律(なかむら みのり)。 『氷の麗人』と言われていたはずのあの人が、気がつけばメイド服に身を包み、高校生のお守りだよ。  担当者だから、へそ曲げられないようにいやいやメイド服着ているのかと思いきや、むしろ進んで着ているそうですよ。  しかもいつの間にか保護対象者と出来上がっているときたもんだ。  どうよそれ。 『氷の麗人』どこ行ったの。  泣いていいかな。  まあ、この屋敷の外では普通の男性。  職場の会議や宴会で会うときには、相変わらずスマートないい男なんだよ。  難しいスーツも、さらっと着こなす『氷の麗人』だからね。  屋敷の外で嶺音を甘やかしている時は、甘やかしているといっても、常識の範囲内だと思われる行動なんだけども、この屋敷の中にいる時といったら!  この間なんざ、スカートの中に顔突っ込ませてたからね。  どうよそれ。  マジどうよだろ。  いやそれでも百歩譲ってお互いに好きあってんなら、ってことにしたっていい。  人目のないとこだったら、ふたりきりの時だったら、どんだけだって好きにしてくれたらいいけど、俺いるから!  俺の目の前だからね!  いやもう、ホント、泣ける。  ピーピーピー。  どこかで電子音が鳴ったと思ったら、書類に目を通していたブラックスーツの男が内ポケットからスマホを出して確認していた。 「何ですか?」 「ああ……タイマーをセットしていたんだ。嶺音の軽食にパイを焼いていたから」  パイ。  さっきも言ってたな。  お手製のパイって。  誰かに焼かせたとか、買ってきたとかじゃなくて、自ら作成ですか。  職場一の美丈夫が、手ずからパイを焼くわけですね。 「それも仕事ですか?」 「執事だからな」  にやりと笑って書類を手にしたまま、お前も来いというしぐさをして見せてから、すたすたと歩きはじめる。  外国映画のようなしぐさが嫌になるほど似合うこの美丈夫も、職場の先輩だ。  原島(はらしま)、という。  下の名前は知らない。  何故なら、この人は先輩といっても俺の直の上司なのではない。  別の部署から嶺音のところに執事として出向しているらしい。  らしいというのは、よくわからないから。  よくわからないからといって追及したところで、答えがかえってくるとは限らなくて、藪蛇になるのがオチなので、しない。  この職場は守秘義務だらけなだけあって、秘密がいっぱいで地雷が山盛りてんこ盛り、なのだ。  嶺音のいるところでは、丁寧な執事然とした態度を崩さないけれど、実は結構ぞんざいな話し方をする人で、それがまた格好いいから困る。  見た目も体格もよくて、職場の仕事の上に執事の仕事もできて、料理もできるとか、天はどれだけこの人に才能を渡すんだろうなって思う。  いや。  人それぞれ分ってもんがあるから、羨ましくなんかないんだけどね。  ええ、二物も三物も与えられてる人がいたって、羨ましくなんか、ないもん。  格好いいよなあ、と思うだけだ。 「……はぁ」  思わずこぼれたため息に、原島さんが反応する。 「どうした?」 「いえ、少し精神的にダメージを受けてるだけです」 「お前が?」 「不思議ですか? 嶺音さんの行動は読めないし意味が分からないし、中村さんはメイド服だし、二人して楽しそうにいちゃついてるし、ダメージ食らいます」 「ダメージ……」 「何か?」 「いや、意外と真っ当だったんだなと……」  はあ?!  鍵の解除をしてから扉をあけて俺を中に通して、原島さんはセキュリティシステムを作動させる。  建物の趣味はよくわからないけど、人の出入りと所在の確認に関しては一貫して厳しいのだ。  忘れそうになるけれど、やっぱり嶺音ていうのは重要人物なんだなって、こういうところで思い出す。  っていうか今、さらっと失礼なこといわれたぞ。  意外と真っ当って。 「どいうことでしょうか?」 「中村の後任には、図太い奴をよこせと言っておいたのでな……」 「は?」  中村さん?  中村さんの後任、とは? 「中村さん、退職されるんですか? っていうか、俺、メイド服着ませんよ?」 「退職じゃなくて配属変更な。完全に嶺音専属になる予定だから……それと、メイド服は嶺音が中村に甘えているだけだから、お前には着せんだろうよ。似合うとは思うが。お前の場合はせいぜい葉っぱ隊だ」  出た。  なんだその葉っぱ隊。 「あの、それなんですか?」 「ん?」 「俺の前任の人、『葉っぱ隊になるために公務員になったんじゃない』って言いおいて辞めたらしいんですよね」 「ああ……そうだな、あいつは優秀だけど頭が固かったから……ま、調べてみ」 「はい?」 「検索すればすぐに出てくる。どこで何を調べたんだか、嶺音が野球拳するときには必要だと言い張っていたから、準備はしてある。お前も、いつでも葉っぱ隊になれるぞ」  ……なんか嫌な予感がする。 「嫌です」 「ん?」 「なりませんし検索しません。今以上に疲れそうですから」 「ま、それが正解だよな」  くつくつと原島さんは喉の奥で笑う。  キッチンに向かう原島さんの背を追いながら、悪い気はしなかった。  嶺音は不思議すぎてついていけない。  しかも俺の憧れを二人も独占しておきながら、その憧れを粉砕してくれるという腹立たしいことこの上ない存在だけど。  中村さんはまあともかく、正直、メイド服だしホントにまあともかくって感じだけど。  ガマンしきれないって感じで笑ったり、ストイックな黒スーツの執事姿だったり、キッチンで料理をしたりなんていう、原島さんのこういうところを見られるのは、悪くないと思うのだ。

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