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第1章②

 カトウが自分の寮である曙ビルチングに戻ってくると、ちょうど同僚のリチャード・ヒロユキ・アイダ准尉とマックス・カジロー・ササキ軍曹が食堂にいて、昼食後の茶で一服入れているところだった。そこに管理人でまかないも作る杉原翁が、厨房から顔をのぞかせた。 「おや加藤さん、お戻りで。すぐにお昼の用意をしますね」 「ああ、ありがとうございます」 「今日はクジラの竜田揚げですよ」  杉原は顔を引っ込ませると、まもなく揚げ物の皿と白米、それに味噌汁の椀をのせた盆をカトウの前に持ってきてくれた。テーブルについたカトウは、茶わんを片手に遅めの昼食に取りかかる。しかし、すぐにこちらをちらちら見やるササキの視線に気づいた。 「何だよ?」 「いや、別に。何ってわけじゃないんじゃが…」  その台詞と裏腹に、ササキのどんぐり眼には明らかにもの問いたげな色があった。  その証拠に――。 「ニイガタ少尉と何を話してたんじゃ?」  早速、聞いてきた。  カトウは答えるかわりに、顔をしかめて味噌汁をすすった。  昼の休憩時間、カトウはアイダとササキと連れだって曙ビルチングに戻り、昼食をとる習慣になっている。しかし今日は例外だ。話があるからとニイガタに呼び出されたカトウを残し、二人は一足先に曙ビルチングに戻ってきていた。  居残りを命じられた時点でカトウは内心、覚悟していた。多分また翻訳のミスを叱られるに違いない。  ところが、ふたを開けてみれば、その予想は外れたわけである――より悪い方向に。  さきほど、ニイガタと交わしたやり取りを思い出して、カトウはげんなりした。  見合い話の出どころは、日本にいるニイガタの親戚だった。伯父の同級生が持ち込んできた、とかいう話だったが――受けた衝撃のせいで詳細は覚えていない。  ニイガタが一体なにを血迷ってこの話を持ってきたのか、カトウにはさっぱり理解できない。これが四月頃なら、まだ分かる。しかし旧日本軍のスパイ、『ヨロギ』にまつわる例の事件がきっかけで、カトウがひた隠しにしてきた秘密はU機関の全員に(さら)されることになった。  その一。ジョージ・アキラ・カトウ軍曹は同性愛者である。  その二。U機関の長で、これまた同性愛者であるダニエル・クリアウォーター少佐と目下、交際中である。  今、同じテーブルにいるアイダとササキに加え、もちろんニイガタだってこのことは知っているはずだ。いくら立場上、目上の親類に頼み込まれたとはいえ、また占領軍の軍人と日本人女性の交際が、暗黙の裡に認められているとはいえ――ちょっと、ひどくないか。相手の女性が気の毒だし、カトウだっていい気分はしなかった。  そこまで考えて、カトウはふと思い当たった。 「ササキ。お前こそ、ニイガタ少尉から何か話を聞いていないか?」 「へ?」 「具体的に言うと、少尉の親戚の同級生の娘さんと会ってほしい、みたいな話」  ササキはハワイ生まれハワイ育ちの日系二世である。「見合い」という言葉を知っているか怪しい。なのでカトウはそう表現したのだが、その言葉を聞いた途端、なぜかササキは目をむき、あらぬ方角に視線を泳がせた。 「いや。ミィは何も聞いとらんで」 「あ、そう」  カトウは内心、首をかしげた。ササキとカトウはほぼ同年齢で階級も――カトウはこのたびめでたく昇進したが――ほとんど変わらない。  話を持ちかける順番としては、ササキの方が先かと思ったのだが。  とはいえ、仮にニイガタから同じ話を聞かされても、ササキはきっと断るに違いない。ここ二ヶ月、この浅黒い顔の同僚には交際相手がいる。先の事件の間に知り合った雪子という娘だ。こと人間関係において、ササキは存外律儀な男なので、彼女を差し置いてほかの女性に目を向けることはないだろう。  カトウに対する興味を失ったのか、ササキはほどなく茶を飲み終えると「じゃ、先に戻ってるわ」と言って、そそくさと食堂から出て行った。

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