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第1章⑤
カトウがノックして執務室に入ると、ソファのところに先ほど寮で別れたばかりのアイダが腰かけていた。日系人の准尉の前には、日本の大手新聞社が発行した今朝の朝刊が置かれている。そして対面に、この部屋の主であり、U機関の長であるダニエル・クリアウォーター少佐がたたずんでいた。
クリアウォーターは来月、誕生日を迎えて三十二歳になる。六フィート近い身長に端正な顔立ち、人目を惹く鮮やかな赤毛の持ち主で、若々しさと落ち着きがよく調和した身のこなしは、いかにも有能な軍人という印象を与える。事実、彼は今年の春に発生した旧日本軍のスパイ『ヨロギ』にまつわる事件を解決し、その途中で対敵諜報部隊 のセルゲイ・ソコワスキー少佐と協力して、日本の大物ヤクザ若海義竜が隠匿していた十トンの生阿片を押収し、日本社会にそれが流出するのを未然に防いだ。さらにアメリカ軍内部にまで伸びつつあったスパイ網をつぶすことに成功したことは、参謀第二部 のW将軍の期待を上回る成果であった。
一連の事件は捜査中の案件も絡んでいることもあって、いまだに公表されていない。それでもクリアウォーターの仕事ぶりは、GHQ内部で徐々に知れ渡りはじめている。気鋭の若手将校として、くだんのソコワスキー少佐とどちらが先に昇進するか、ひそかに噂されていた。
クリアウォーターは敬礼するカトウに笑いかけると、座るようにうながした。カトウはこの赤毛の上司と現在、恋人の関係にある。しかし職場では――多少の例外と逸脱はあるが――上官と部下という関係を守り、そのラインを越えないよう言動に気を付けていた。
カトウがアイダの隣に腰かけると、クリアウォーターはすぐに本題に入った。
「急で悪いんだが、二人には今日の午後から明日にかけて私の出張に同行してほしいんだ」
クリアウォーターが行き先として告げたのは、都内の西多摩郡にある某山村であった。
村の名前を聞いた途端、アイダがすぐに反応した。
「ひょっとして。今朝の新聞に載っていた神主殺しの件ですか?」
「うん。あたりだ」クリアウォーターはうなずいた。
「警視庁からU機関にまだ正式な報告は来ていない。でもすでに、耳ざとい新聞記者たちが記事にしている」
そう言って、カトウとアイダの前にテーブルの上に置いてあった新聞を押しやった。問題の記事は、一面から外れた目立ちにくいところに掲載されていた。
殺害されたのは小脇順右 (三八)。東京都西多摩郡〇〇村にある神社で宮司を務めていた。
小脇は二日前の夕方、一人で自宅を出て村内の高台にある神社へ向かった。妻の証言によると、数日後にひかえた神事の準備をするためであったという。しかし、午後九時を過ぎても自宅に戻ってこない。心配した妻は、近隣の村人とともに夫がいるはずの神社へと足を運んだ。
そして社殿の中で、変わり果てた小脇の姿を発見したという次第だった。
カトウは掲載された記事から、事件のおよその経緯をつかんだ。しかし、取り立てて特異な情報は見当たらなかった。きょうび、殺人事件は珍しくない。あえて言うなら、場所が山村であることと、殺されたのが神職にある宮司という点くらいだろうか。横目でちらりとアイダを見ると、こちらも同じような感想を抱いているようだった。
なぜこんな事件をクリアウォーターがわざわざ出向いて、調査する必要があるのか――。
二人の抱いた疑問は、赤毛の上官の次の言葉で氷解した。
「参謀第二部 のW将軍の依頼だ。被害者は、対敵諜報部隊 が近く調査を始める案件の尋問者リストの中に、名前が挙げられていたそうだ」
「神社の神主が、ですか?」
「殺害された小脇順右が神社の宮司職に就任したのはつい最近のことだ。それ以前、この男はまったく別の顔を持っていたんだ」
クリアウォーターは言った。
「一九四五年まで、彼は大日本帝国陸軍に属す将校―ー陸軍少佐だった。そして敗戦直後に、参謀第二部 の捜査対象者リストに入れられ、三ヶ月あまりにわたって取り調べを受けていたんだ」
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