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第1章⑦

 社殿の入口に、また別の制服警官が立っていた。その脇を通って扉をくぐった途端、異臭が鼻をついた。その正体にカトウはすぐに思い当たる。血と肉が暑さで腐っていく時、この独特の臭いがする。遺体はすでに運び去られたとのことだったが、死臭が壁や床に染みつくには、一晩で十分だったようだ。それを示すように、ブーンと羽音を立てながら何匹かのハエがふらふらと飛び交っている。腐肉の臭いを嗅ぎつけたはいいが、卵を産みつける対象を見つけられず戸惑っている、そんな飛び方だった。  格子窓から陽光が差し込む社殿には今、五人の人間が立っていた。クリアウォーター、アイダ、カトウの三人と、ここまで案内してくれた制服警官。そして――。 「警視庁の吉沢(よしざわ)です」  この事件の捜査を担当する刑事は名乗り、やや三白眼ぎみの目でU機関の一行を眺めた。 年齢は四十歳くらいか。GHQの関係者がなぜ事件に興味を抱き、わざわざ西多摩の山奥まで足を運んできたか、吉沢は当然、疑念を抱いているだろう。だが、それを口にすることはなく、くるりと踵を返すと、クリアウォーターたちを奥の神棚のある方へ導いた。 「被害者は刃物で切りつけられて、手足を切断されておりました。おそらく、木を伐りだすのに使う斧じゃないかと、私はみておりますがね。この辺りじゃ、どこの家にも備えられているものです」  暑さのせいか、吉沢は半袖のシャツの襟元を、手に持った扇子でしょっちゅうあおいでいる。まもなく、刑事は神棚のすぐ近くで足を止めた。  黒ずんで固まった血がそこの床一面に広がっていた。 「最初に切りつけられた場所がここ。もう片付けましたが、ちょうどここに右腕が転がってたんですよ」  血の跡はそこから壁づたいに、カトウたちが入ってきた入口の方へ伸びていた。 「被害者は逃げようとしたんでしょうな。だが犯人は血も涙もない奴だったようで。次に左足首を……」  刑事が指さしたところには、またひときわ大きな血痕が残っていた。 「それから這って逃げようとする被害者の左腕を切り落とした。最後に背中から刺して、息の根を止めたようです」 「刺した?」  ここまで黙って話を聞いていたクリアウォーターが、初めて聞き返した。通訳していたカトウの口を借りて、吉沢にたずねる。 「あなたは先ほど凶器は斧ではないかと言ったが。斧は『刺す』という行為には不適当では?」 「おっしゃる通りです」吉沢はうなずいた。 「正確に言うと、被害者の背中に肺に達するほどの刺傷があったんです。解剖した医者の話ではこれが致命傷になったそうで。その刺傷に限って言えば、こいつは明らかに斧じゃない。もっと細くて鋭い――鎌か、あるいは小刀ではないかと」  吉沢の語る光景を想像したカトウは、みぞおちのあたりが重くなった。小脇を殺した人物は、まるで子供が無邪気な残酷さでトンボの羽やバッタの足をもぐように、人の手足を切り落としていったらしい。  どんな恨みを持っていたにせよ、明らかに常軌を逸していた。

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