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第1章⑩

 小脇が殺害されてから、すでに丸二日が経過しようとしている。霊安室のストレッチャーに乗せられた遺体は夏の高い気温のせいで、はやくも腐敗臭を漂わせはじめていた。  担当の職員によって、かぶせられていた布が取り払われる。  その下から現れた顔は、思わず目をそむけたくなるものだった。  まぶたは閉じられていたが、口は縦に大きく開き、まるで今にも叫び声を上げそうな苦悶の表情をつくっていた。死の瞬間を切り取ったものか、それとも死後硬直のなせるものか。どちらにせよ、見ていて気持ちのよいものではなかった。  クリアウォーターは数秒瞑目(めいもく)すると、淡々と仕事に取りかかった。死体が関わる事件において、調査を開始した時すでに亡骸が埋葬されてしまっている場合がままある。だが、まだ目にできる状態にあるなら、なるべく足を運んで自らの目で検分するようにしていた。報告書以上のものを得られることは、多くはない。それでも自分の目で確かめたことが、後の捜査で役に立つことはある。  そして、今回もそうだった。  右腕の切断面を目にした途端、クリアウォーターは「これは…」と思った。反対側で左腕を持ち上げているアイダを見やると、こちらも食い入るように観察している。  クリアウォーターはカトウを呼び、立ち会っていた警察署の職員に、持参したカメラで遺体の写真を撮影してもいいか聞いた。職員は難しい顔をしたが、カトウが再度かけあうと、少し待つように言って室外へ出て行った。  そして戻ってくると、重々しい口調でカメラの使用を許可した。  警察署を出ると、すでに遅い時間になっていた。荻窪まで戻れぬことはないが、到着する頃には夜中近くになっているだろう。 「どこか近くに宿を取ります?」  アイダが提案すると、クリアウォーターは二つ返事で手配をまかせた。  こうして夜九時半過ぎ――クリアウォーター、アイダ、カトウの一行は夕食と入浴を済ませた上で、クリアウォーターが泊まる部屋に集まった。  一応、三人とも着替えは持参してきていたが、宿に浴衣が備えられていたので、それを着ていた。  もっとも小柄なカトウや、日系人としてはまあ平均的な体格におさまるアイダはともかく、クリアウォーターに日本人向けの浴衣は少々小さすぎた。肩幅が足りないし、丈も短く、ひざの半ばまで足が露出している。もっと大きいサイズはないかと、宿の女中に聞いたのだが、返ってきた答えは「それ以上のですと、お相撲さん用のを特注せんといけませんよ」だった。 「…二人とも、よく似合っている」  賞賛とも負け惜しみともとれる台詞に、カトウはかすかに笑った。 「ありがとうございます。でも上が着物で下がパンツっていうのは、ちょっと変な感じがしますね」 「?」 「あ、それ俺も思った」アイダが相づちを打ち、にやりと笑った。  カトウもアイダもアメリカ生まれの日系アメリカ人だが、少年時代を日本で過ごした経験を持ついわゆる「帰米(キベイ)」である。日本式の生活スタイルに慣れ親しんできたし、カトウなど小学校の頃は年中ボロの着物で過ごしていた。  そして二人が日本にいた頃、一般人が日ごろ着用する下着は、まだふんどしが主流だった。  いまだにズボンの下にふんどしを着用しても、別に何とも思わないだろう。逆に、着物にアメリカ式のパンツというのはどうにも慣れなかった。  二人の日系二世の口から語られる話を、クリアウォーターは興味深げに聞いていた。    だが、まもなく話題は今日の午後のことにうつった。

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