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第1章⑫
……それはアイダがニューギニアの戦地にいた頃、自ら体験した出来事だ。
事の始まりは、戦場によくある怪談話だった。
当時、アイダたちの部隊がいた場所からほど近い地域の森に、人を殺してまわる悪魔が棲んでいるという噂が流れた。その悪魔は元々、森のぬしであったが、日本軍や連合軍が許しもなく自分の森で戦争を始めたものだから、怒って見境なく人間を殺すようになったのだという。
その怪談の中で、餌食になるのはたいてい分隊の最後尾にいる兵士だった。気づいた時には姿が消えていて、仲間が探し回ると無残な姿で発見される。遺体は手足がなくなっていて、その周囲にはリュックの中身が散乱している――というような内容だ。
最初に話を聞いた時、アイダはバカバカしいと思って聞き流していた。戦場ではこの手の不確かな噂がごまんと転がっている。これもその一つに過ぎないと思った。
ところが噂を聞いてから十日も経たない内に、アイダと同じ部隊に所属するあるアメリカ兵が移動中に煙のように消えた。
そして、まさに噂と違わぬ姿の死体となって見つかったのである。
もっとも部隊の人間はアイダも含め、誰一人として仲間を殺した犯人を超自然的存在だとは認めなかった。悪魔は、リュックから携帯食料やタバコの箱を盗みはしない。また遺体は両腕を失い、背中から刺されていた。その傷は明らかに刃物によるものだ。何より――死体の傍らのぬかるんだ地面に、靴跡がはっきりと残っていた。
正体不明の殺人者の足跡は、森の奥へと続いていた。
ウィスコンシン州で父親と共に猟師をしていたという兵士と、部隊を率いる大尉、そしてアイダの三人は、足跡をたどって殺人者を追い求めた。
追跡の末、三人は森の中で、倒れてなかば朽ち果てた大木を見つけた。木の真ん中に大きな洞 があいている。注意深く近づいていくと、そこから獣臭いにおいがして、さらに耳をすますと明らかに何かが中で眠っている呼吸音が聞こえてきた。
大尉はその場で、洞にひそむ何者かを殺すことに決めた。
アイダも、もう一人の兵士も反対しない。作戦は、ものの一分で決まった。
まずアイダが足音を忍ばせて、大木から一番近い位置に陣取った。その背後で、元猟師の兵士と大尉がガーランド銃の照準を洞の上に合わせる。準備が整うと、大尉の合図とともにアイダが手りゅう弾を木の洞めがけて投げ込んだ。
破裂音が轟くと、樹木に止まっていた南国の鳥たちがいっせいに飛び上がった。
緊張が三人の間に走る。洞に意識を集中するアイダの手にはすでに短機関銃 が握られている。近距離の掃射なら一番、威力を発揮する武器だ。
頭の中で数を数えること六十。何も起こらない。アイダは大尉にハンドサインを送った。
大尉がうなずいたのを確認し、アイダはゆっくりと洞に向かって歩き出した。
一歩、また一歩。
しかしあと二歩で洞のぞき込めるという所で、アイダは自分でもはっきり説明できない理由で足を止めた。そのまま進むことをためらわせる――そんな何かを肌で感じ取った。
アイダはそこで、胸ポケットにキャンディの缶を入れていたことを思い出した。
それを取り出すと、洞に向かって鋭いモーションで投げ入れた。
入った。
と思った次の瞬間、缶が勢いよく投げ返されてきた。
それが地面に落ちるより先に、アイダは洞に狙いを定めて引き金を引いた。
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