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第2章① 一九四四年八月

 澄み切った空の一角に現れた黒点は、最初小さなゴマ粒のように見えた。  それが四機編成の戦闘機小隊であることに、金本勇(かなもといさみ)はほどなく気づいた。自慢ではないが目はいい方だ。視力は左右どちらも2.0かそれ以上。戦闘機操縦者に必要とされる資質であり、実際にこの目のよさで自分や部隊の人間を幾度となく救ってきた。   上空で敵機をどれだけ早く発見できるかが勝敗を分かつ。空中戦の基本中の基本だ。 「三時方向。高度三マル(三千メートル)――」  四機の後方にさらに別のゴマ粒が現れる。目を少しこらして、金本は機影を数える。 「――十一機」  そこまでつぶやいた時、乗っていたトラックが路肩のくぼみにはまり、大きくバウンドした。周囲で積み荷の機械部品がガチャンと音を立てる。金本はそばに置いていた自分の荷袋を手で押さえた。大した衝撃ではなかった。それでも荷台に乗せた人間のことが心配だったようで、トラックのブレーキがかかり停車した。 「すみません! 大丈夫でしたか?」  運転席の窓から兵士が顔をのぞかせ、恐縮した態で聞いてきた。 「大丈夫だ」金本は言った。 「積み荷も大丈夫だ。何も落ちてはいない」 「あ、そうですか。ありがとうございます……」  兵士の顔にもの問いたげな表情がよぎる。金本は彼が口を開くより先に言った。 「出発してくれ。約束の時間まで、あまり余裕もないから」 「…了解であります!」  トラックがうなりを上げ、再び走り出した。  荷台に腰を下ろす金本には、運転手の内心が容易に読み取れた。 ――荷台ではなく、助手席に乗っては如何ですか。そっちの方が座り心地もいいですよ…。  多分そうだろう。  しかし、狭い空間に誰かと閉じ込められることが、金本はいまだに苦手だった。自分の身に降りかかったあの事件から何年も経とうとしている今でも。それを思うとこの六年間――陸軍の飛行学校の門を旅立った日から、ほとんどの時間を単座の戦闘機操縦者として過ごせたことは幸運だったと言える。  とにもかくにも――誰かと一緒にいてお互い気まずい空気を味わうよりは、一人で風に吹かれている方がずっと気分は楽だった。  見上げる夏空は雲一つない。快晴だ。戦闘機の編隊は、すでに機種を見分けられる距離にまで降下していた。ほっそりした特徴的なシルエットは見間違えようがない。  大日本帝国陸軍制式機キ六一。三式戦闘機「飛燕(ひえん)」。  金本が見つめる先で、ジュラルミンでできた機械仕掛けのツバメたちが次々と胴体から主脚を下ろしていく。車輪を覆うカバーには、各機の機体番号が鮮やかな赤や青の塗料で記されている。十一機の飛燕は、エンジン音を轟かせ、多摩丘陵の向こうに広がる空間へと吸い込まれるように降りていく。  その光景を横目に、金本は胸元から飛行時計を取り出した。到着予定時刻に少し遅れている。ひょっとすると、遅刻の言い訳を考えておいた方がいいかもしれない。  そんなことを考えながら、金本は最後尾の一機が彼らの巣へと戻っていくのを見送った。  そこはこれからしばらく、金本の巣にもなるはずの場所だった。  巣の名前は東京調布飛行場――本日付けで金本が配属される第十飛行師団所属の飛行戦隊が、そこに配置されていた。

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