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第2章③
金本はごくりとのどを鳴らした。つい先日、明野 の陸軍飛行学校で未修だった飛燕の操縦訓練を受けた時、整備兵から聞かされた。このほっそりした金属のツバメは理論上、降下時に時速八五〇キロまで機体が耐えられるとーー。
問題は中の操縦者の方だ。航空機の搭乗員はある程度のGに耐えられる訓練をしている。それでも短時間の内に、あの高度差の上昇と急降下を繰り返すのは危険すぎる。最悪、視界がブラックアウトして失神しかねない。
金本が見つめる先で、飛燕は三度目の急降下を試みた。知らず知らずの内に、金本は祈る気持ちになっていた。どうか、右の車輪が出てくれ――。
祈りは通じなかった。
片足を欠いたまま、飛燕は機首をもたげた。そのまま再び上昇に転じるか――と思われた時だった。機体が旋回し、水平飛行に移った。
急降下によって車輪を出すことに失敗した。ならば、残された方法は二つだ。危険を承知で着陸を試みるか、あるいは機体をあきらめて落下傘 降下を試みるか――脱出時に十分な高度を保てているのなら、落下傘降下の方が分 がある。あの飛燕の搭乗員は、判断力も操縦の腕もある。きっと高度を上げてから落下傘降下を選ぶだろうと、金本は考えた。
夏の陽射しを受けた飛燕の翼が、青空の中で一瞬キラリと輝いた。銀色の機体が飛行場から一度離れ、南の方向へ飛んでいく。
そして――ーー降下しながら戻ってきた。
――着陸する気か!?
金本は驚き、目を南北方向に走る長さ千メートルの滑走路に向けた。先に降りた他の飛燕はすでにエプロンの方へ移動が完了している。それでも、まだ少数の整備兵たちがそこに残っていた。
金本は思わず駆け出した。
「全員、滑走路から退避しろ! 急げ――!!」
金本の声にほかの叫び声が続く。
それらが届くより前に、近づいてくる轟音に気づいた整備兵たちは全力で逃げ出している。少し離れたところにいる者たちは、その場でうずくまって頭を守った。
そこにエンジン音を轟かせて、ジュラルミン製の巨鳥が突っ込んできた。
車輪が迷彩の施された路面に接地した瞬間、すさまじい摩擦音が響いた。思わず何人かが耳をふさぐ。見つめる金本は心の中で叫んだ。
――止まれ、止まれ!!
飛燕の機体がバランスを崩し、右側に大きく傾いた。翼がコンクリートの路面をこすり、耐え難い音を上げる。誰もが最悪の事態を覚悟した。
だが最後の瞬間に――奇跡が起こった。
ジュラルミンの翼が折れることもなく、そして翼や胴体内部の残存燃料に引火することもなく、飛燕は百五十メートルほど滑走し――ついに停止した。
一瞬の静寂。
その直後、歓声交じりのどよめきが滑走路のあちこちで上がった。
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