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第2章⑥
飛燕の不時着から一時間。飛行場内は徐々に平常さを取り戻していった。小破した飛燕の機体がけん引されて格納庫に運ばれる。負傷した搭乗員、黒木栄也 大尉は部下たちにつきそわれ医務室に連れていかれ、そこで軍医によって治療を施されることになった。
金本が戦隊本部において戦隊長から辞令を受け取れたのは、夕方に近い時刻だった。
辞令の事務的な文面に目を通す金本に、戦隊長は型通りの訓示を垂れた。国難に際し、粉骨砕身して己が任務を果たすべし、云々――。
決まり文句を一通り並べたあとで、彼は不意に表情を崩した。
「ここの窓から昼間の事故の一部始終を見させてもらった。逆上した黒木は、手負いの虎より手に負えないやつだからな。止めてくれたことに、感謝する」
どう反応したものか迷い、金本はとりあえず、「…はっ」とだけ答えた。自分から余計な詮索はしない。西洋のことわざにもあるではないか。「好奇心は猫を殺す」と。
というより、今日の一幕を振り返ると黒木という陸軍大尉には、あまり近づかない方が賢明だろう。どう割り引いても、次に会った時に穏便に済みそうにない。金本はそう考えたが、どうにも嫌な可能性が先ほどからずっと頭をついて離れなかった。
調布飛行場には第十飛行師団に属すいくつかの飛行戦隊が所属している。各戦隊にはそれぞれ二、三の飛行隊が下部組織としてあるのだが、たいていその隊長は――大尉をもって充てることが多かった。
「当たるな、当たるな」と金本は天に祈る。しかし戦隊長は無情にも宣告した。
「そうだ、金本曹長。貴官の属す飛行隊、『はなどり隊』だが、明日の午前に予定されていた訓練は中止となったから」
続く台詞を聞くより先に、金本は心の中で天をあおいだ。
「隊長の黒木が負傷したんでな。午後の予定は明日直接、はなどり隊の隊員に尋ねてくれ――以上だ」
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