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第2章⑦

 辞令とともに、金本は営外居住を認める書類を受け取った。軍曹以下の兵卒は原則、隊内の兵舎に住むことを義務付けられている。しかし将校と古参曹長以上の下士官は兵営の外にある自宅や下宿から通勤するのが一般的だった。    調布に転属が決まった時、金本は新たに近くに下宿を探す必要があった。幸い、飛行場から徒歩二十分ほどのところにそれを見つけることができた。家主は都内でいくつかの店舗を貸し出している老人で、日露戦争の時に砲兵として従軍経験があった。家族はほかに、妻と息子の嫁、そして十五歳から六歳までの四人の子どもである。老人の息子は国鉄に勤めているが、今は軍属として中国大陸にいるという話だった。  木造家屋の一角にある日当たりのよい部屋が、金本のために用意されていた。金本を案内した老人の妻は親切そうな女性で、何か入用があれば遠慮なく言ってほしいと伝えた。    彼女が出て行ったあと、金本は窓を開けて(ひかり)(タバコの銘柄)で一服することにした。  見上げる夕暮れ時の空は、オレンジ色から紫色のグラデーションで染まっている。そこに、熱気の去った風に乗って、「カナカナ」とひぐらしの鳴き声が混じる。さらに耳をすますと、家路を急ぐ少年たちの声が聞こえてきた。  金本は口から紫煙を吐いた。半年前までいた南方の戦場と比べると、信じられないくらいに穏やかな光景だ。ここでは雨が降った後、泥濘と化す滑走路に悩まされることも、またマラリアをはじめとする南方特有の病気におびえる必要もない。敵機襲来の報を受けて、迎撃に向かっていた日々がひどく遠く感じられる。  だが、そんな平穏が表面上に過ぎないことも金本は知っていた。  この内地にも戦争の足音は確実に近づいていた。今年の六月には、中国大陸から飛来したとみられる米軍の戦略爆撃機B-29により、北九州が空襲を受けた。実に二年ぶりの本土空襲である。日本人は上から下まで不安の色を隠せず、各地で様々な憶測や流言飛語が飛び交った。  さらに日本の唱える「大東亜共栄圏」は今や、積み上げたマッチを倒すようにその屋台骨を次々と崩されていた。七月には、サイパン島が陥落し、将兵と共に多くの民間人が犠牲となった。つい数日前には、やはりB-29が満洲へ飛び、北九州の八幡と並ぶ製鉄の拠点、鞍山(あんざん)を攻撃している。その報せは、内地にいる金本の心をざわつかせた。アメリカ軍は明らかに、日本の産業を支える工業地帯を狙って爆撃している。彼の故郷も鉄鉱石の産地として知られていて、戦略爆撃の目標とされる危険があった。  そんな暗いニュースを覆い隠すように、あちこちに戦意高揚のポスターが新たに張られた。国民服を着ている者も以前よりずっと増えた。米をはじめとする様々な食糧・日用品は何年も前から配給制となったが、食料事情は年を追うごとに悪くなる一方だという。今ではどこの家でも庭さえあれば、そこで野菜やイモを栽培していた。先入観から来るものかもしれないが、子どもの体格すら、ひと昔前に比べて細く小ぶりになった気がした。  金本はずっと前から疑問に思ってきた。この穏やかな夕暮れひとつで分かる。日本人は自分たちの故郷で、十分に平穏な暮らしを享受できる。なのにどうして、海の外にある他人の土地を奪わずにいられなかったのか。取り立てて好戦的な民族とも思えないのに……。  そこまで考えて、いつも同じ矛盾に突き当たる。  帝国陸軍の航空兵となった自分こそ、まさに「好戦的な」人間ではないか。    航空機操縦者になりたい。軍人になりたい。少年の頃に抱いた二つの希望をかなえてくれるのが航空兵だった。幸か不幸か金本には才能があり、飛行学校の狭き門をくぐり抜けて自分の夢をつかむことができた。ただ――今の自分の姿が、子どもの頃に思い描いていたものと、随分かけ離れているのも事実だ。  金本は短くなった煙草を灰皿に押しつけた。  ちょうどそこで家の人間に呼ばれ、彼は夕食の席へと歩いていった。

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