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第2章⑬

 黒木栄也大尉率いる「はなどり隊」の訓練内容は、金本の目から見ても相当過酷だった。  基本的な離着陸にはじまり、上昇からの編隊編成、低空飛行、高空飛行、燃料満載での飛行(重くて離陸が大変)、逆に少量の燃料での飛行(いつ燃料が尽きるかという緊張と隣り合わせ)、急降下、急上昇、連続旋回運動(金本が来てから二名の隊員がこれで危うく殉職しかけた)などなど――これらのメニューは通常、昼間行われたが、その内のいくつかは、何と夜間飛行訓練で行われた。夜に飛ぶことは実戦で鍛えられた金本でも、心身に大きな負担を強いる。ほかの隊員については推してはかるべしだ。  そして隊員が何かへまをするごとに、黒木はその人物を全員の前でつるし上げた。嫌味を言われるのはまだましな方で、たいてい罵倒と鉄拳制裁の二つがついてきた。金本ですら、その洗礼を完全に逃れることはできなかった。  そんな飛行隊の中で――金本は黒木に宣告された通り、『嫌われ者』になった。  はなどり隊に来てほどなく、金本はすべての搭乗員の顔と名前、それから主だった整備員の顔と名前を一致させることができるようになった。ただし、ほとんどの搭乗員とはピストで集合する時以外、ほぼ口をきかない。また金本は専用の機体を割り当てられたが、機付きの整備員はまだ決まっておらず、その時々で手が空いている整備員が整備を行う状態だ。  そういうわけで、一週間経ってもいまだ「親しくなった」という人間はいなかったーー。  その日、黒木はほかの隊長たちとともに午後から公務で出かけていた。訓練は休止され、隊員たちはそれぞれのやり方で、忙中の閑を過ごすことになった。金本は特にやることもない。搭乗員たちのたむろするピストを離れ、ぶらぶら歩く内に大格納庫の前までやって来た。  そこで給油される機体に見入っていた時、一人の男が金本のいる方に歩いてきた。 「――金本曹長は、『飛燕』はお好きですか?」  近づいてきた男に声をかけられて、金本は最初とまどった。目を向けた先にいたのは、二十代後半と見えるひょろりとした青年だった。整備員のつなぎを着ているが、金本の記憶にない。初めて見かける男だった。 「整備員の千葉登志男軍曹です。黒木隊長どのの機体の整備班長を務めております」 「ああ……」  千葉がそう自己紹介した時、金本はてっきり岐阜に転属となった整備員の代わりとして、新しく来たのだと思った。しかし、それはすぐに勘違いと判明した。この千葉こそ元々、黒木の操縦する飛燕の整備責任者で、先ごろ黒木にあやうくなます斬りにされるところだった整備員は、千葉が不在だった間、臨時で機体整備を担当していたとのことだった。 「身内に不幸がありまして。一時、帰郷していたんです」千葉は言った。 「おまけに葬式の後、そのままひどい夏風邪をひきましてね。かれこれ十日近く実家にいて、昨日になって調布に戻って参った次第です」 「それは……亡くなったのは?」 「父です」 「お悔み申し上げる」  金本の言葉に、千葉は疲れがまだ残る顔で「ありがとうございます」と笑った。  千葉は話しやすい男だった。金本は三人兄弟の末っ子で、千葉の持つ穏やかな雰囲気は二番目の兄とどこか似ている。そのせいもあってか、初対面にも関わらず気づくと個人的なことにも話が及んでいた。千葉は山陰地方の出身で、実家は地元で二百年以上続く寺だという。亡くなった父親はその寺の住職だった。千葉には兄が一人いて、彼が父親の四十九日が明けた後、正式に跡を継ぐ予定だという。 「金本曹長は、どちらのご出身で?」  予想していた質問に、金本は型通りの返事をした。 「大阪だ。わけあって、叔父の家で兄と二人世話になっていた。十七で少飛(少年飛行兵)の試験に合格して、飛行学校に進んだ」  その言葉に、千葉は「なるほど」とつぶやく。それからごく自然に言った。 「実は黒木大尉どのから、あなたの乗る『飛燕』を一度、()るように頼まれたんです。今の状態でも問題はないでしょうけど、あちこち調整してもっと動かしやすくしてほしいと」

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