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第2章⑮

 飛行学校を出て以来、金本はあちこちの戦地を飛んできた。  一番付き合いが長かったのは九七式戦闘機で、その次が一式戦「隼」である。三式戦闘機「飛燕」に乗るようになったのは、転属命令が出て内地に戻ってきてからだ。  明野の陸軍飛行学校ではじめて飛燕を操縦した時、金本はその重さに驚いた。戦地で飛燕を見かけたことは幾度となくあったが、自分が操縦する段になるとやはり勝手が違う。遠目にほっそり見えるシルエットと裏腹に、その機体は従来の戦闘機と比べ格段に重かった。たとえば九七式戦闘機の全備重量は一七九〇㎏、一式戦「隼」で二五九〇㎏だが、飛燕は一型乙で三一三〇㎏と三〇〇〇㎏を超える。燃料満載の上、航続距離を伸ばすための増槽を備え付ければ、さらに五〇〇㎏重くなる。この重量だが、機体の出来栄えは出色と言っていい。速度もさることながら、旋回、横転、急上昇、急降下、高高度飛行と、どれをとっても従来の戦闘機を凌駕していた。  ただし、それも操縦者が飛燕の性能をいかんなく引き出せればの話だ。  戦闘機搭乗員として経験を積み、中堅といっていい金本でさえ、「重くて速い」機体に慣れ、思うような飛行ができるようになるまで、何度も飛んでコツをつかまなければならなかった。飛行経験の浅い者ではなおのことだ。金本の見るところ、「はなどり隊」の搭乗員たちは基本的な操縦はこなせている。とりわけ飛燕は旋回時の半径が小さく、敵機によって不利な位置に追い込まれても、そこから脱して反撃に転ずる機会をつかみやすい。だから「小さな動き」を積み重ねるような、そんな飛び方をする者が多かった。  だが、その反面――飛燕のもう一方の持ち味であるダイナミックな急上昇と急降下、そして高速を生かした飛行ができる人間はほとんどいないーーー。  そういうことを、金本がつらつらと口にすると、 「確かにある意味、搭乗員の方たちは飛燕に振り回されているんでしょうね」  聞いていた千葉がうまい言い方をした。 「でも中には、飛燕の方を振り回しているお人もいますよ」 「…黒木大尉どののことか」 「はい。豪快というか何というか――あの人は時々、見ているこちらがヒヤヒヤするような飛び方を平気でしますからね」  千葉は額に浮かぶ汗を首元の手ぬぐいでぬぐい、ふっと息をついた。 「大尉どのは陰で『羅刹女(らせつにょ)』というあだ名をもらっているんです」 「ラセツニョ…?」  聞き覚えのない日本語に金本は戸惑う。千葉は気にした様子もなく、「鬼神の一種ですよ」と言った。 「仏教を守る鬼神です。羅刹が男で、羅刹女は女。激しい気性で、仏の教えを守るという目的のためなら、流血もいとわない恐ろしい神と言われています」  なるほど。黒木にぴったりのあだ名だ。しかし――。 「…なんで羅刹『女』なんだ?」  金本が疑問を口にすると、千葉が少し意味深に笑った。 「男の羅刹は醜悪な顔をしているが、女である羅刹女の方は美しいとされているんです。あの人はほら…」  みなまで言わずとも、金本は千葉が言わんとすることが分かった。最初に黒木に会った時のことを思い出す。美しい顔を血で染め、目を充血させたあの姿は、確かに人外の魔物を思わせるものがあった。

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