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第3章①一九四七年七月

 スティーヴ・サンダース中尉が三階の執務室をノックした時、部屋の主であるクリアウォーターは一枚のメモに見入っていた。 「入ってくれ」 クリアウォーターの前に現れたサンダースは、書類を綴じたファイルを抱えていた。 「対敵諜報部隊(C I C)のソコワスキー少佐のところからです。例の『ヨロギ』の事件で拘束した日本人たちの調書をまとめたものだそうです」  差し出されたファイルをクリアウォーターは礼を言って受け取る。しかしすぐには見ずに、机の一角に積み上げてしまった。それを目にしたサンダースはわずかだが、眉をひそめた。  副官の表情に気づいたクリアウォーターは、サンダースの方に向き直った。 「心配しないでくれ。今日中に必ず目を通すから」 「お願いします。しかし――例の殺人事件に随分、ご執心のようで」  サンダースの言葉は嫌味ではない。単に事実を指摘しただけだ。だからクリアウォーターは腹も立たなかった。  すでに一昨日の午後、クリアウォーターは現場に赴いて見聞きしたことや発見した点について、参謀第二部(G 2)のW将軍に報告を済ませていた。報告書も提出済み。将軍はクリアウォーターをねぎらい、そこでひとまず赤毛の少佐が果たすべき仕事は終わったはずだった。  しかしクリアウォーターは、どうにもこの事件のことが頭から離れなかった。  個人的な好奇心から、クリアウォーターは事件に関する資料を事件を担当する吉沢刑事に依頼して送ってもらい、その経過を追っていた。実際に今、手の届くところに、サンダースが来る直前まで読みふけっていた書類が置かれている。  吉沢刑事の読みは、残念ながら外れた。採取した村内の男たちの指紋を現場に残されたものと照合したが、一致するものが出てこなかったのである。報告書によれば、これから照合を再度行うこと、そして採取対象を女性にまで広げるとあった。  しかし現時点では別の可能性――犯行を行った者が外部からやって来たことを疑って、捜査を進める方向に舵を切らざるを得なかった。  同時に、殺害された小脇順右の過去を洗うことも始まっていた。クリアウォーターはさらに別の資料に目を向けた。吉沢刑事に頼み込んで送ってもらった写しで、小脇の家族への聞き取りを通して明らかになった彼の経歴が記されていた。そこに占領軍側で保管されている資料を合わせれば、小脇順右という人物の生涯を概略ながら復元することができた。  ……小脇順右は一九〇九年、栃木県東部の生まれ。実家は地元では有名な富農で、子どもの頃は不自由のない生活を送っていたそうである。小脇は地元の尋常小学校を卒業後、東京の中学に進学。そこに在学していた時に陸軍幼年学校へ進んだ。  そこから辿った足跡は典型的なエリート士官のそれだ。陸軍士官学校卒業後、少尉に任官。三年務めた後、陸軍大学校へ入学。卒業時は歩兵大尉であった。  小脇はその後、中国大陸の戦線へ派遣されるが、一九四一年に内地に呼び戻され、大本営第二部に勤めた。その後、一九四三年から翌年年末まで、大本営陸軍報道部に所属していた。  一九四五年一月に第六航空軍に転属。そのまま八月に敗戦を迎える。連合軍による日本占領が開始された頃、小脇はすでに故郷の栃木に戻っていた。  一九四五年十二月、郷里に戻っていた小脇のところへGHQの参謀第二部(G 2)傘下の一部門であり、敵対勢力の謀略および破壊活動の有無を監視する対敵諜報部隊(C I C)の要員が訪れる。  そして小脇に対して東京への出頭を求めたのである。

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