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第3章⑤

 一九四四年九月。ニューギニアのポートモレスビーから離陸した一機のアメリカ陸軍所属のC-四七輸送機が、オーストラリアのブリスベンを目指して飛行していた。輸送機の機内には操縦を行う搭乗員三名と、オーストラリアへ向かうアメリカ、オーストラリアの将兵十二名が乗り合わせていた。  穏やかに晴れた日で、順調にいけば三時間程度で到着するフライトであった。ところが出発から一時間後。機体がまだ洋上にある内に、輸送機は運悪くエンジントラブルに見舞われた。  急いでどこかに着陸しなければならなかったが、搭乗員たちはそろって太平洋戦線に来てまだ日が浅く、周辺の地理にくらい。適当な飛行場を探し出せず、このままでは海上に着水するしかないかと思われた。  機内が絶望感で満たされかけたーーまさにその時である。  輸送機のコックピットに、妙に手足の長い男が、実に軽やかな足どりで乱入してきた。 「ハアイ、お若い中尉さん」  半分パニック状態にあったパイロットは、突然背後から登場した男に激発しかけた。しかし相手のジャケットの肩につけられた大尉の階級章を見て、かろうじて罵言を飲み込む。そのパイロットに、麦わら色の髪の大尉はタバコの火をねだるような軽い口調で言った。 「悪いんだけど、今すぐその席をゆずってくれないかしら?」  パイロットはふざけた大尉に向かって、善良な人間が聞いたら眉をひそめる罵りを浴びせた。大尉は怒らなかった。ただし冗談めいた言動と裏腹に、その眼には有無を言わせぬ光があった。 「よく聞きなさい。自分たちと後ろの人たちの生命。それと――」  大尉は親指で天井をさした。 「こののんびり屋のマダム(C-四七輸送機)を守りたいのなら。かわってちょうだい」  中尉は従った。自棄(やけ)になったのかもしれない。席を立った相手と入れ違いで操縦席に座ったエイモス・ウィンズロウ大尉は別にかまわなかった。操縦桿さえ握れれば、途中経過は気にする必要はない。  それから十五分後。ウィンズロウによって操られたC-四七輸送機は、トラブルが発覚した地点からもっとも近い距離にある飛行場へ緊急着陸したーー乗員乗客、そして機体いずれも傷ひとつ負うことはなく。  その三日後。輸送機を無事生還させた功績により、エイモス・ウィンズロウ大尉は通算二度目となるエア・メダルを授与され、十日間の特別休暇を与えられた。ウィンズロウはありがたくメダルを受け取ると、連合国軍太平洋司令部の置かれたブリスベンで休暇を過ごすことに決めた。  目的地に到着すると、大尉はさっそく一夜の恋の相手を物色しにかかった。  対象には事欠かない。なにせブリスベンはアメリカ各州から来た若い兵士たちであふれている。もちろん現地のオーストラリア兵、それにイギリス兵も。ウィンズロウの経験上、一個小隊の男がいれば、その内の一人か二人は彼と同じ同性愛者か、さもなくば両性愛者である。そして「同類」の男を見つけ出す能力において、ウィンズロウは群れの中から一番足の遅い羊を見抜く狼にも劣らなかった。  二軒目に訪れた少し高めのバーで、ウィンズロウの目がある男にとまった。  奥のボックス席に、一人で座る青年。年はウィンズロウと同じか、二三歳上くらい。端正な顔が沈んでいるのは、暗い照明のせいばかりでもないようだ。  ウィンズロウは、その赤毛の男にたちまち引きつけられた。元々、美男子は大好きである。が、それ以上に傷心する男に目がなかった。本能的に慰めに行きたくなってしまう。 「――そこの席、空いてる?」  こうしてエイモス・ウィンズロウ大尉は、その日失恋して四週間目を迎えていた連合国翻訳通訳部所属(A T I S)のダニエル・クリアウォーター大尉と知り合い、休暇が終わるまでの短い関係を楽しんだのである。

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