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第3章⑦

「ーー姉に会ったのなら。私のことは、彼女から聞かなかったのかい?」  クリアウォーターの問いに、ウィンズロウは言葉をにごした。 「…うーん。実はあなたと知り合いだってこと、スーには言ってないのよ」 「おや。それはまたどうして?」 「ワタシの貞操に対する無節操さを知られたくないのよ! 彼女には嫌われたくないから」  クリアウォーターは納得した。夫の浮気現場に遭遇して、激高のあまり配偶者を階段の下へ叩き落した姉のことだ。ウィンズロウが一度に複数の恋人と付き合って平然としていることを知れば、確かにいい顔はしないだろう。 「私は元気だよ。今は……この電話番号をつかんでいるなら、もう知っていると思うが、東京に拠点を置いて仕事をしている。君は?」 「ワタシも少し前から東京よ。次の配属先が正式に決まるまでの、まあつなぎみたいなものね。今は調布の飛行場にいて、時々、荷物や人をあちこちに届ける仕事についている」  戦争が終わって平和になった証拠よね――ウィンズロウの声は明るいが、そこにはごく微量の寂しさが混ざっていた。    クリアウォーターは記憶をたどった。記憶違いでなければ、自由恋愛主義者の大尉は戦時中、夜間爆撃機の操縦者だったはずだ。 「正確には夜間爆撃機よ」  ウィンズロウは訂正した。 「乗っていたのは、最高にイカした淑女(レディ)だったわ。その彼女も引退して、もう飛ぶことはないけれど」  追憶の余韻を振り切るように、航空軍の大尉は口調を改めた。 「で、赤毛さん。今週末とか時間ある?」 「…どうして、そんなことを聞くんだい?」  クリアウォーターの脳内で小さな警報が作動した。 「せっかく近くにいるって分かったんだもの。一緒に飲みたくなったのよ。もちろん、飲んだ後のことも含めてね」  予感的中。クリアウォーターは見えない相手に向かって肩をすくめた。 「そういうつもりなら、残念だけど応じるわけにはいかないな。今、私は付き合っている相手がいる」 「あら。別にかまわないわよ」 「君がかまわなくても、私はかまうんだ」 「お堅いわね。いいじゃない。ワタシたち、けっこう身体の相性よかったでしょ」  確かにそれは覚えている。加えてあの時、ウィンズロウの少しずれた陽気さが、失恋で沈んでいたクリアウォーターの心を慰めたのも事実だ。最初から十日と期限が決められ、同時に複数の相手と付き合うことをウィンズロウが宣言していなければ、案外、この男に惚れていたかもしれない。  しかし、それも過去の話だ。 「ダメだ」  クリアウォーターは断固とした口調ではねつけた。たとえウィンズロウが気分を害したとしても、ここははっきりしておかねばならないところだ。  土壇場で自分の自制心が十分に機能するか、絶対の自信がないのならなおさらだった。 「もう、強情なんだから!」  ウィンズロウは気分を害したというより、すねた。  それでも最後には、「仕方ないわね。そういうことなら、ほかで探すわ」とひとまず納得したようだった。 「でも、気になるわね。どんな男なの? その新しい恋人って」 「教えない」 「えー、なんで。意地悪?」 「君に手を出されたら困る」  クリアウォーターの口ぶりは真剣だ。今回に限って、それは演技ではなかった。  だが、そう答えたのは失策だったようだ。 「へーえ。よっぽどいい男のようね」  ウィンズロウの好奇心を、よからぬ方向に刺激してしまったらしい。 「いずれ紹介してよね。ワタシ、まだしばらく東京にいるから。安心してよ、取ったりしないって」  台詞の後半に関して、遺憾ながらクリアウォーターは信用できなかった。 「…いずれね」  あいまいな返事を返して、早々に元恋人との電話を打ち切った。 「…さてと」  頭を振って、クリアウォーターは気持ちを切り替えた。サンダースに指摘された通り、なすべき仕事が彼を待っていた。さらに彼の生真面目な副官と、改めて話をする必要もある。  クリアウォーターはその前に、机の一角に置かれた郵便物を開封して片付けることにした。 ペーパーナイフ片手に手紙をかき分ける。  その直後、京都の消印が押された封筒の存在に気づいた。  差出人:スザンナ・M・クリアウォーター。  姉からの封書をクリアウォーターはこわごわと開いた。  そしてこの日、二度目となる青天の霹靂をわが身にくらったのである。

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