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第3章⑨

 クリアウォーターは自らの仕事を遂行するために、これまで情報源を積極的に開拓してきた。それは日本警察のような公的な機関から、東京都内に勢力を拡大しつつある中国人系の黒幇(マフィア)「白蓮幇」のような裏社会の組織にまで及んでいる。以前、仕事を依頼していた貝原靖(かいばらやすし)のように、能力のある人間を個人的に抱き込んだり、また今は巣鴨プリズンに収監されている元大日本帝国陸軍の情報将校、甲本貴助(こうもときすけ)のような男を利用することもあった。  そういった情報源の中で佐野敬(さの けい)は取り扱いに少し注意が必要な人間だった。  エイモス・ウィンズロウ大尉、それから副官であるスティーヴ・サンダース中尉と立て続けにプライベートの範疇に属す会話を交わしたその日。クリアウォーターは夕方の退勤時間まで精力的に仕事に取り組んだ。新たに判明したいくつかの事実を頭から締め出したい思いが、多分に働いていたこともある。  日中の暑さがようやくやわらぐ頃、ササキが執務室のドアをノックした。 「『やまと新聞』の佐野という記者から、電話がかかってきていますけど…」  新聞記者からU機関に電話が入ることはめったにない。表向き、この建物は「日米戦史共同編纂準備室」という、見るからに退屈そうな看板を掲げている。その内実が参謀第二部(G 2)のW将軍の肝いりで作られた機関であることを知っている人間は、ごく限られている。  佐野敬はその一人だった。  ただし、彼からの電話に対し、クリアウォーターはよく居留守を使う。  新聞記者という人種、特にスクープをものにするような敏腕は、記事になりそうな出来事に対し、ハイエナ並の嗅覚とハゲワシに匹敵する視野の広さ、一度爪にかけた獲物をどこまでも追うヒグマに似た執念を持っている。やっかいなことに、自分がつかんだ事実を公表するという基本スタンスにおいて、間諜(スパイ)より始末が悪い。  そして面倒なことに、佐野は優秀な記者だった。  クリアウォーターはササキに尋ねた。 「用件は?」 「はい。西多摩で神社の神主が殺された事件について、自分がつかんだ情報を教えたいと」  クリアウォーターは少しの間、思案した。そして電話に出る決断をくだした。 「お久しゅう。少佐さん」  特徴的な関西弁で佐野はあいさつした。  クリアウォーターが日本語の会話や読み書きに不自由がないと知っての上だ。  それがばれたきっかけは、クリアウォーターの失敗による。以前、ある事件の現場で日本語のポスターに見入っていたのを、偶然現場に駆けつけた佐野に目撃されたのである。クリアウォーターの目が、縦書きされた字を上から下へ、横書きされた字を右から左へと正しい方向に追っているのを見て、佐野は若いアメリカ人将校が日本語の読めることを直感的に看破した。  その事実をつきつけられた時、クリアウォーターはしらばくれることもできた。  そうしなかったのは、佐野の観察眼と物おじしない態度に感心したからだ。齢四十というこの記者は、大学に在籍していた時に政治運動に携わって一度逮捕され、新聞社に入社した後も幾度となく当局に拘束されてきた。  それでもめげることなく、今日まで現場の第一線に立って記事を世に送り出し続けている。   個人として、クリアウォーターはそういう気骨のある人物が嫌いではなかった。

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