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第3章⑪

 クリアウォーターがカトウを連れて焼死体の見つかった河川敷を訪れたのは、翌土曜日のことだった。  問題の死体が発見されたのは水曜日の早朝だという。発見者は付近に住む初老の男だった。彼は夜半、橋のたもとで誰かが火を焚いているのを不審に思い、翌朝になって飼い犬を連れて様子を見に行ったところ、そこで何かを燃やしたらしいドラム缶を見つけた。近づいていくとひどく臭う。男は一九四五年に複数回にわたって行われた浜松空襲を経験していた。その臭いに心当たりがあった。  飼い犬の存在にはげまされ、意を決してドラム缶をのぞきこむ。そこで予期していたものを――赤黒く焼けただれた男の死骸を発見した次第だった。  佐野は身元が分からないと言っていたが、土曜日の時点で警察は被害者をほぼ特定していた。ドラム缶の周りに、被害者の持ち物と思しき時計や万年筆が打ち捨てられていたのだ。  さらに浜松市内に居住するある一家から、家の主人が火曜日の午後から行方が知れなくなっている旨、警察に相談が寄せられたことが大きな手掛かりとなった。遺留品である時計や万年筆をその家族に見せると、半ば予想されていた通り、行方不明となっている家の主人の所有物であると証言が得られた。 「発見された焼死体は、行方不明になっている河内作治(かわちさくじ)と見て、ほぼ間違いないでしょう」  訪れた警察署の一室で、クリアウォーターとカトウ、それに仲介してくれた対敵諜報部隊(CIC)静岡支部の日系二世の軍曹は、事件を担当する沼田(ぬまた)という刑事から説明を受けた。死体発見時の状況について、クリアウォーターはカトウの口を通じて事細かに質問を重ねた。答えの中には胸の悪くなるようなものもあった。 「仏さんの解剖をしたら、気管支や肺の中が(すす)で真っ黒だったんです」  クリアウォーターはその意味するところをよく知っていた。  周囲で炎が燃えさかっている時、人がすでに死んでいれば煤は肺には入らない。それがあるのは、呼吸していたことを示す。つまり火がついた時点で、河内と見られる人物はまだ生きていた。  生きたまま、焼き殺されたということだ。 「犯人は被害者をドラム缶に放りこみ、燃えやすいよう木くずやボロを入れた上でガソリンをかけて火を放ったようです。また手足をしばられていた可能性も浮上してきました。ドラム缶の中から、焼け残った紐状の繊維が見つかりましたから」  現時点で、警察は次のような筋書きを立てていた。  火曜日の午後、外出した河内はその途中で何者かによって拉致された。単独犯か複数犯かは定かではない。前者であれば被害者を連れ去る際に、薬物を使用した可能性もある。その後、犯人(あるいは犯人たち)は、どういう理由でか被害者をすぐに殺すことなく、夜になって川岸の橋の下まで運んで焼き殺した。  そして立ち去る前に、現場に十二文字の血のメッセージを残していったのである。

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