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第3章⑫
今、クリアウォーターはカトウと並んで、橋桁 の下に血で書かれた文字を見つめていた。
――此身死了死了――
――一百番更死了――
文字の大きさも筆跡も、小脇順右の殺害現場に残されたものと瓜二つだった。
手帳に漢字を書きとったカトウは、固い表情でクリアウォーターを見上げた。
「……河内作治を殺した人物は、小脇を殺害した犯人と同一人物でしょうか」
「十中八九、そうだと思う」
クリアウォーターは認めた。
「二つの事件には、この奇妙な漢字の羅列以外にも共通点がある。刺殺と焼殺という違いはあれど、犯人はわざわざ手間をかけて、被害者に必要以上の苦痛を与えて殺害した。よほど強い恨みか憎しみーーあるいはその両方を、被害者に対して抱いていたようだ。何より、殺された二人の過去だ」
上官の言葉に、カトウは先刻、警察署でクリアウォーターと沼田刑事が交わしたやり取りを思い出した。
「――殺害された河内作治の仕事は何ですか?」
カトウが翻訳した言葉を聞き、沼田刑事は答えた。
「仕事は特にしていなかったようです。少なくとも、どこかに勤めていたということは。まあ、食糧難のご時世ですから庭でサツマイモや野菜なんかを育ててはいたようですが、家族の話を聞く限り、隠居暮らしというのが一番近いようです」
「それはいつ頃から?」
「戦争が終わってから。復員したあとの話です」
それを聞いたクリアウォーターの中で、第六感めいたものがひらめいた。
「戦時中、河内は兵士だったんですか?」
「兵士?いやいや、とんでもない」
年かさの刑事は手を振って否定した。
「河内家は地元ではちょっとした名士でしてね。三代にわたって、陸軍の将官を出している軍人一家なんですよ。河内作治も最後には陸軍大佐にまでのぼりつめたというのだから、えらいもんです……」
クリアウォーターは言った。
「殺された小脇順右も河内作治も、帝国陸軍の佐官だった。小脇は少佐、河内は大佐。河内がどのような軍歴をたどったか、これから調べなければならないが。二人を殺害した人物が、戦時中に両者と接触を持ち、何らかの理由で殺すに至る動機を持った――その可能性は十分考慮に値すると思う」
「そうだとすれば……二人を殺した犯人も、軍人ですかね?」
カトウのつぶやきに、クリアウォーターは難しい表情になる。カトウは軽率な発言だったかと自分を戒める。しかし――。
「それはありうる」
赤毛の少佐はカトウの考えを一蹴に付すことはなかった。
クリアウォーターは橋桁のメッセージに、再び目を向ける。頭の中で、ある不穏な考えが毒草のように根を生やし、はびころうとしていた。
――此身死了死了(この身が死んだ、死んだ)――
――一百番更死了(百回さらに死んだ)――
英語に訳すと、どこかマザーグースの歌を思わせるフレーズである。そう、まさに歌か詩だ。もしこれが一篇の詩だとすれば、たった二句で終わりということはあるまい。
必ず続きがある。
そして続きがあるということは――。
アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』を例に取るまでもない。小脇と河内を殺した犯人は、残りの詩句を誰かのために取っていることになる。
未完の連続殺人。
犯人はさらに、誰かを殺める危険があった。
クリアウォーターは東京に戻った後なすべきことを頭に刻んだ。
ひとつ。河内作治の過去を徹底的に洗うこと。
ふたつ。この血文字のメッセージを詩と仮定して、その出典を探すこと。
そして、みっつーーこれ以上の殺人を阻止すること。
そのために小脇と河内を殺害した犯人を、一刻も早く見つけ出して捕えなければならなかった。
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